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975.「討つために必要な資質」

 斜めの陽光が、草原を赤紫色のヴェールで(おお)っている。膝丈(ひざたけ)下草(したくさ)は朝陽にじわじわと温められているようだったが、(かかと)付近には夜の冷気がわだかまっていた。


 迷いなく()を進めるわたしの隣には、痩身(そうしん)の男――ヨハンがいる。彼はいまだに欠伸(あくび)ばかりしていた。洞窟で目覚めてから、林を抜け、草原へと(いた)り、こうして窪地が見えるくらいイフェイオンに接近してからも、ずっと。


「スピネルさん、洞窟で大人しく留守番しているといいですが」


 のんびりと間延びした声が、すぐそばで流れた。


「いなくなってたら、それっきりでいいわ」


「いなくなるなんてことはありませんよ」


 ヨハンの苦笑には、わたしへの(なだ)め以上に、スピネルに対する安堵(あんど)というか信頼のようなものがあるのかもしれない。つい最近出会ったばかりの相手に対して、どうしてそこまでの判断を下せるのか分からなかった。


 でも、分からないままでなんの問題もないのだ。誰が誰に対してどう思うかなんて、わたしに制御出来ることではないから。いくつかの物事は他者への感情を(みなもと)にして発生することを、今のわたしだって理解している。けど、そこまでだ。他人の感情などという不確かなものに拘泥(こうでい)する気はない。


「お」とヨハンが声を上げる。隣を見ずとも、彼がなにを発見したのかは分かっていた。


 糸の切れた人形のように、だらんと腕を()らして(たたず)む白の巨躯――白銀猟兵(ホワイトゴーレム)。数百メートル先、風に揺れる下草のなかに、ぽつねんとその姿があった。


「どうやら本当に起動しないようですね……まったく信用していなかったのですが」


 昨晩、オブライエンはイフェイオンの白銀猟兵(ホワイトゴーレム)を数日間停止すると約束した。わたしの強情な態度に負けたのだろう。戦争前に白銀猟兵(ホワイトゴーレム)が破壊されるのは、彼にとっても好ましくない事態らしい。


 オブライエンの態度は依然(いぜん)として飄々(ひょうひょう)としていて、かつ冷淡さも充溢(じゅういつ)していたが、白銀猟兵(ホワイトゴーレム)停止の結論に(いた)るまで時間はかからなかった。深く考えるまでもないことだったのかもしれない。そこにつけこんだヨハンの追加要求にも(うなず)いてくれた。


「この調子なら、前線基地の白銀猟兵(ホワイトゴーレム)も同じというわけですね」


 満足気にヨハンが言う。


 彼の追加要求の一点目は、まさにそのことである。前線基地の白銀猟兵(ホワイトゴーレム)の停止。


『もしお嬢さんがシンクレールさんに会いに行ってくれるのなら、そこの兵隊も停止させておく必要がありますからね』


 オブライエンが去ったのち、彼はそんな説明を――別にわたしは求めていないのに――した。どうやら彼は、シンクレールがわたしに会いたいとメッセージを送った事実を、きっちり頭に入れているらしい。忘れてしまえばいいのに。意味がないんだから。


「まあ、オブライエンとの約束ですから、果たされる保証はありませんけどね。彼が教えてくれた配置場所も、(しん)を置くべきかどうか……」


 白銀猟兵(ホワイトゴーレム)の配置場所の開示。それも、オブライエンに要求したことのひとつだった。意外にも彼が情報提供を渋ることはなかった。


 どこまでが嘘かは見抜けないものの、オブライエンが虚言(きょげん)を吐く理由もない。わたしはあくまでも、それが真実だとして動くつもりだ。グレキランス地方に数百の白銀猟兵(ホワイトゴーレム)満遍(まんべん)なく配置されているのを知れただけでも収穫だった。


 それにしても、オブライエンは白銀猟兵(ホワイトゴーレム)の起動原因がヨハンにあると勘違いしてくれたが、本当のところは(さだ)かではない。血族の血が流れているわたしに反応したのかもしれないし、あるいは、他種族であるスピネルがきっかけで起動した可能性もある。いずれにせよわたしたち三人は体内に大なり小なり『アルテゴ』を(ゆう)する存在だ。白銀猟兵(ホワイトゴーレム)が自動で血族および魔物を殲滅(せんめつ)する兵士として設計されているのなら、わたしもスピネルもその対象となりうる。


「なんにせよ、オブライエンが現れてヒヤヒヤしましたよ。お嬢さんが猪突猛進(ちょとつもうしん)するのではないかと思って、眩暈(めまい)が止まりませんでした」


「そんな意味のないことはしない」


 ラルフの記憶は、オブライエンにまつわる多くの事実を語ってくれた。これまでわたしたちの前に姿を見せたオブライエンが、(じつ)二重歩行者(ドッペルゲンガー)であること。本体は地下に幽閉されていること。


 安直にオブライエンを斬ったところで、真の意味で打ち倒したことにはならない。


「もしかしたら意味があるかもしれませんよ? なにせオブライエンの本体は、ラルフ氏による魔術製の檻で監禁されていて、すでに発動させた魔術以外は外部に流せないという話ですから。二重歩行者(ドッペルゲンガー)を消し去ってしまえば、実質無効化したことになるやもしれません」


 ヨハンは半笑いで、だらだらと喋る。彼自身、それを信じていないと(あん)に言っているみたいに聞こえた。


二重歩行者(ドッペルゲンガー)を術者として、もう一体の二重歩行者(ドッペルゲンガー)を作り出すことだって理論上可能よ。消費魔力さえ気にしなければ」


「おっしゃる通りですな。オブライエンに限って言えば、魔力消費は些細(ささい)な問題でしょう。ゆえに、机上(きじょう)の空論でしかないような魔術もすべて可能と考えるべきです。……なんだかルイーザさんを思い出しますね」


「ルイーザ以上の相手よ」


 勇者一行のひとり。天才魔術師ルイーザ。今でこそすべての魔力を失った彼女だが、以前は(まぎ)れもなく、あらゆる物事を魔術によって実現可能な存在に思えたものだ。才のある者は、しばしば常識を跳び越える。その意味では、オブライエンはルイーザ以上と言ってなんの差支(さしつか)えもない。それまでの常識を踏み潰し、世界の()(かた)そのものを変えてしまった男なのだから。


「魔術を断ち切るには根っこの部分を切断するしかない。そういうことです。お嬢さんの理解に敬意を表しますよ」


 迂遠(うえん)な表現だが、要するに二重歩行者(ドッペルゲンガー)の本体を殺さなければ、オブライエンという存在の抹消には繋がらないということを言っているのだろう。


 オブライエンの抹殺。そのためにはまず地下へ降り、本体が幽閉されている場所までたどり着く必要がある。それが第一段階。


 本体を幽閉している檻を突破するのが第二段階。


 不死者である本体に死を与えるのが、最終段階。


 そして全工程を完了させるまでの(あいだ)二重歩行者(ドッペルゲンガー)としてのオブライエンと、不死者ジュリアの妨害を退(しりぞ)ける必要もある。


 あまりに困難で、リスクの高い行動ばかり。強烈な目的意識がなければ決して()しえない工程である。その意味で、わたしは適役ではない。もはやオブライエンの生死についてさえ、さほどのこだわりを持てなくなっているのだ。不適格の理由はそれ以外にもあるが、もっとも大きな障害はそれだった。


 だからこうして、イフェイオンの外れを目指している。かつてわたしたちを導いた、半血の魔術師の(やかた)へと。


 毒食の魔女を(うしな)った豪邸は、今や誰の目にも隠されず、朝陽に照らされて悠然(ゆうぜん)と佇んでいた。


 敷地に入ると、真っ白なハナニラの花壇が見えた。そして、花壇の中央に作られた墓石へ手を合わせる壮年男性の姿も。


 彼のやや後ろで足を止める。口を開きかけると、ヨハンに手で制された。待て、ということだろう。


 きっちりとスーツを着込んだ壮年男も、わたしたちの存在には気付いていることだろう。それでも黙祷(もくとう)を続けている。


 三十秒ほど()ってからようやく彼は立ち上がり、わたしたちを振り返った。疲労の(にじ)んだ笑顔で。


「お久しぶりですね、クロエさん。ヨハンさんも」


「お元気でしたか、ウィンストンさん」


 ヨハンの言葉に、壮年男性――ウィンストンは曖昧な笑みを返しただけだった。


「お茶でもいかがですか?」


「いらないわ」


 隣でヨハンが苦い顔をしているのは分かっている。もう少しまともなコミュニケーションを、とでも思っているのだろう。でもそれは用件を伝えたあとでやるべきことだ。


「約束を果たしに来たの」


 わたしがそう告げると、ウィンストンは心持ち首を(かし)げた。


「約束?」


 魔女の死後、彼が要求したことだ。そのときの()てついた声は、まだ記憶に残っている。


「魔女を殺した奴の居場所――教えてあげる」


 風が()いで、濃い静寂がわたしたちの前に横たわった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『毒食(どくじき)の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。故人。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』参照


・『ウィンストン』→『毒食(どくじき)の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照


・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。『針姐』の墨の魔術により全身に縮小した魔紋を刻んでいたが、クロエの持ち込んだ『墨虫』により無力化された。現在は記憶と魔力を失い、平凡なひとりの少女としてローレンスの館に住んでいる。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』詳しくは『第二章 第六話「魔女の館」』参照


・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ジュリア』→魔具制御局のメンバー。オブライエンの部下。オブライエンの実験による最初の不死者。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築されている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『白銀猟兵(ホワイトゴーレム)』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて


・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて


・『二重歩行者(ドッペルゲンガー)』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音(わおん)ブドウ』を交易の材としている。『毒食(どくじき)の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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