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973.「月光の下、崖に足を投げ出して」

 どこか遠くで水滴の落ちる音がしている。あちらこちらで、とんとんとん、と。音に意識を集中すると、岩を打ついくつもの雫が頭に浮かんできた。


 静けさが微音を強調するように、光もまた、夜の訪れによって日中とは別の姿を見せている。ほの(あか)りが水晶に反射して、ヨハンもスピネルも青白く沈んでいた。


「困りましたねぇ……」


 ヨハンは何度ため息をつき、何度同じ言葉を繰り返せば気が済むのだろう。ふと、そんなことを思ってしまった。


 白銀猟兵(ホワイトゴーレム)がいる以上イフェイオンに降りることは出来ず、かといって空中から奴を観察し続けていても収穫が得られそうになく、結局わたしたちは町から離れた場所でひと晩休むことにしたのである。


 この場所に足を踏み入れるのは二度目だったが、特に感慨(かんがい)もなかった。


 ヨハン。ノックス。シンクレール。そしてわたし。王都最大の裏切り者と認定されたわたしたちが一時的に身を隠した洞窟――それが今いる場所だった。


「しかし、懐かしいですな。スピネルさんはご存知ないでしょうが、以前もここで夜を明かしたことがあるのですよ」


「へええ」とスピネルが感嘆の声を上げる。「兄さんと姉さんと、二人で?」


「いえ、ほかにも仲間がいました。頼れる青年魔術師と、純朴(じゅんぼく)な少年です。お二人とも今は立派に王都で活躍していますよ。ねえ、お嬢さん」


 水を向けられたので、「そうね」とだけ返す。


 低い天井から突き出る紫水晶を(なが)めながら、頭に浮かぶのは白銀猟兵(ホワイトゴーレム)のことばかりだった。


 あのままあれと戦い続けていたら、どうなっていただろう。いつかは敵の身体を砕くことが出来ただろうか。アダマスの鱗よりは硬度が低いように感じたけれど、生半可(なまはんか)ではなかった。無生物ゆえ、(ひる)むこともない。腕が吹き飛ぼうと(どう)に穴が()こうとも、白銀猟兵(ホワイトゴーレム)は次の攻撃へと邁進(まいしん)したに違いない。


 逃げる手段を選び取ったのはヨハンだけれど、その選択に異論はない。勝てる勝てないではなく、リスクが大きすぎた。白銀猟兵(ホワイトゴーレム)がヨハンやスピネルを狙わないとどうして言えようか。二人を守って戦うには困難な相手であることだけは確かだった。


「あのときは随分(ずいぶん)とギクシャクしてましたよ。私はお嬢さんに嫌われていましたから」


「マジっすか」


「ええ、マジです。お嬢さんのことを殺そうとしたわけですから、憎まれても仕方ないんでさぁ」


「えええ!? そりゃ嫌われて当然っすよ! でも、なんでまた殺そうと? ――あ、姉さんどこに行くんすか」


 わたしが立ち上がると、すかさずスピネルの声が飛んだ。ずっと会話に夢中になっていればいいのに。


「散歩よ」


 短く返す。


 スピネルの返事はなかった。


 無意味な言葉の応酬(おうしゅう)こそがコミュニケーションだと思ったけど、これなら黙っていてもさして変わらないのかもしれない。


 やけに大きく響く自分の靴音を聴きながら、そんなことを思った。




 洞窟を抜けると、風が肌を撫でた。数歩先は絶壁で、おかげで見晴らしは良い。


 林と呼ぶには心許(こころもと)ない隙間だらけの木々が、数百メートル先までまばらな緑の絨毯(じゅうたん)を広げている。その先には延々と草原が続いていた。地平線にぽつりと(とも)った光は、イフェイオンのものだろう。月よりも(はる)かにささやかな光だった。天上の輝きに負けて、地べたに卑屈(ひくつ)っぽく()せた光。そんな景色である。


「スピネルは?」


 背後の靴音に向けて、問いかける。足音を殺しているようだったが、お粗末(そまつ)な忍び足だった。


「そんなところに腰かけていたら落ちますよ」


 そんなことを言いながら、ヨハンはわたしの隣に腰を下ろした。同じように崖に足を投げ出して。


 彼は眼下を覗くと、乾いた笑いを漏らした。「スピネルさんは休んでますよ。疲労が溜まっていますから」


「半日飛行しただけで?」


「『鏡の森』で休息を取ったといっても、それまでの道中(どうちゅう)で随分と頑張ってくれましたからね。そう簡単に疲れは癒えちゃくれません。それに、白銀猟兵(ホワイトゴーレム)の件で精神的にも打ちのめされたんでしょう」


 ヨハンの言葉を聞き流しながら、あとどのくらいもつ(・・)だろうか、と思った。


 スピネルが根を上げるのは不思議なことではない。いかに竜人といえども、彼は『霊山』から一歩も出たことがなかったのだ。『灰銀(はいぎん)の太陽』として樹海にも行かなかった。ひとつところに(こも)って安穏(あんのん)と日々を送っていたと言っていい。血の気の多い連中に囲まれていても、外敵が間近(まぢか)(せま)っている状況や、自分の命が(おびや)かされる瞬間は未経験だったろう。


 ほどほどのところでお(やく)御免(ごめん)にしたほうがいいのかもしれない。


「お嬢さん。『霊山』での約束は引き続き守ってくださいね」


「コミュニケーションなら、してる」


「結果が出なくとも続けてくださいね。無駄ではありませんので」


 無駄だと思う。無駄なことをするだけの時間の隙間があるからやっているだけのことで、ほかに優先事項があればすぐに切り捨てる。それはヨハンだって分かってることだろう。


「私のように、スピネルさんを(はげ)ましてやってください。彼は普通の神経をしていますからね。物事に面食(めんく)らい、(おび)え、それでも我々に協力してくれている。……(むく)いてやらなきゃいけませんよ」


「彼が選んだことよ」


「だとしても、です」


 月光が大地を(なめ)らかに照らしている。生命感のない光の下で、木々が風に揺れていた。


「わたしの過去を喋るのは、励ましじゃないわ」


 さっきヨハンがやった思い出話は、スピネルを奮起(ふんき)させるためのものではないだろう。彼が話したくて話したのではなかろうか。本当に聴かせたい相手がわたしなのだということは、ぼんやりと(さっ)していた。


 なんにせよ、無駄なことだ。


 昔話に花を咲かせて心が戻ってくるなんて思えないし、そもそもわたしは今の状態を歓迎している。たとえヨハンはそう思っていないとしても。


「あれは、知ってもらいたくて話していただけです」


 ずっと地上の景色へ(そそ)いでいた視線を、ヨハンへと()らした。月を眺める彼の横顔は、不健康な中年男のそれでしかない。本当に(うれ)いを(にじ)ませているようにも、すべてが演出であるようにも見える。


「スピネルさんに限らず、これから会う人にはお嬢さんのことを知ってほしいんですよ」


 なんのために?


 そしてなにより――。


「スピネルはわたしを知ってるわ。『鏡の森』で、もう化けの皮は()がれた」


 親切で気さくな人間、という装飾はとっくに消滅している。今のわたしに感情の欠片もないことくらい察しているだろうし、そもそも『鏡の森』でそれらしい会話をした覚えがある。あのときはハルとネロに対してヨハンが説明を加えたわけだが、スピネルがそれを耳にしていなかったとは思えない。


 つまりスピネルは、今のわたしについて充分に知っている。ゆえにヨハンの願いは達成されているはずだ。


「そりゃあ、今のお嬢さんについては知っているでしょうね」


「それ以外のことを知る必要なんてない。昔どうだったかなんて関係ないわ」


 今の自分を知ればそれで事足(ことた)りる。過去のことを語ったところで得るものはない。それになにより、今のわたしには何事も物語れなかった。厳密には、なにを物語ればいいのか分からないのである。『最果て』の街道をぼんやり歩いた日と、謁見(えっけん)の日とが、同じ価値にしか見えない。


 数十秒の沈黙のあと、息を吸う音が聴こえた。


「今のお嬢さんを知っていただくのも重要ですが、しかし、一面的ですね。私は強欲ですから、別の側面も(あま)さず知らしめたいのですよ」


「なぜ?」


「さあ、なぜでしょうね」


 分からないなら、そんなことしなければいいのに。


 刻一刻と魔物の時間へと近付いていくなかで、そんな疑問が頭に浮かび、すぐさま霧散(むさん)していった。わたし自身が会話の内容に対して重要性を認めなかったのもあるけど、それ以上に、遠方――林と草原の境界部分に魔力の塊が()えたからである。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食(どくじき)の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師(ネクロマンサー)。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照


・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照


・『アダマス』→竜人の族長。透明度の高い鱗を持つ。厳格な性格。詳しくは『685.「開廷」』にて


・『白銀猟兵(ホワイトゴーレム)』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音(わおん)ブドウ』を交易の材としている。『毒食(どくじき)の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて

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