969.「冷えた再会」
ニコルの転移魔術で『最果て』に飛ばされたわたしを保護してくれた二人の恩人――ハルとネロ。彼らがこの場にいることを、きっと以前のわたしなら快く思わなかっただろう。二人には平凡な幸せを謳歌してほしいと願ったはずだ。
今は、幸せがなにか、そもそも分からない。
盲目の少年――ネロが、足元を気にしながら踏み出した、一歩、二歩とこちらに近付いてくる。
すぐ目の前までやってきた少年を、ハグしてみた。くすぐったそうに身を捩るのを感じ、それが恥ずかしさからなのか不快感からなのか分からなくて、身を離すほかなかった。
「お姉ちゃん、元気だった?」
ネロはわたしを見上げ、笑顔でたずねる。彼の周囲に光の粒がまとわりついて、その身を暖かに照らし出していた。
「さあ、分からない」
少年の笑顔が一瞬固まり、それから急に眉尻を下げた。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
「僕は、お姉ちゃんに会えて嬉しい」
「そう」
「……」
なにをもじもじしているのだろう、この子は。
ネロがなにを求めているのか分からないので黙っていると、わたしの横合いからヨハンが顔を出した。
「ごきげんよう、『最果て』の偉大なる魔術師さん」
ネロの顔が先ほど以上に曇った。そんな彼を守るように、背後からハルが抱き寄せる。彼女の表情は見事に凍てついていた。
二人にとってヨハンが好ましくない人物であることは、今のわたしにも理解出来る。ネロの首にナイフを突きつけて脅し、ハルの誘拐を試みた前科があるのだ。ハルキゲニアで再会したときも、双方が和解した記憶はない。
「クロエお嬢さんは少し調子が悪いのですよ。以前のように感情豊かに振舞うことが出来なくて申し訳ないですね」
調子は悪くない。けど、彼の言葉を訂正する必要性は感じなかった。
「病気なの?」とネロが不安そうにたずねる。声の小ささや震えは、会話の相手がヨハンだからだろう。
「いえ、肉体的には問題ありません。ただ心が冷え込んでいましてね。まあ、ご心配いただかなくて大丈夫です。いずれ元に戻りますから」
元に戻る保証もなければ、戻る必要も感じていない。なにせ不便がないのだから。それなのに、まるで大問題であるかのようにハルが食ってかかった。
「アナタがクロエになにかしたんじゃないでスカ?」
「とんでもない! 誓って、なにもしてませんよ。そもそも私はお嬢さんの味方として動いていますし、お嬢さんの利益――ひいては人間全体の利益のために苦労を惜しまず働いています」
「本当でスカ? クロエ」
「ええ。ヨハンは味方よ」
聞かれたので答えたわけだけれど、ハルが納得した様子は見えない。ネロは依然として沈んだ面持ちだった。
今の状況は二人の不興を買っているのだろう。こうならないために『円滑なコミュニケーション』が必要なのかもしれない。
だからヨハンの肩を抱き寄せ、笑顔を作った。ついでにピースサインも。
「仲良しでーす!」
……なんの音も聴こえない。『最果て』の二人は顔を強張らせている。
降り積もる静寂のなか、いつまで笑顔とピースを維持していればいいのか分からず、じっとしていた。
「……クロエの洗脳を解除してくだサイ」
ハルは真剣な口調で言う。
「誤解ですよ!」と言って、ヨハンがわたしの手を振りほどいた。それを契機に、笑顔とピースをやめる。
「その男は洗脳などしていない」と助け船を出したのは意外にもグレガーだった。
一同の視線が、巨樹の根元へと集まる。グレガーは咳払いをひとつして、続けた。
「彼女は自らの思考に基づいて行動している。度外れに空気が読めなくなったのは、そこの男が言った通り、精神的な理由だろう」
誤解がとけたのかどうかは分からないが、ハルはそれ以上なにも言わなかった。次々と『最果て』の人々が目を覚まし、周囲が段々と騒がしくなってきたからかもしれない。目覚めた人々のなかには見知った顔もあった。
たとえば、『最果て』で出会ったふたつの盗賊団。
「姐さんじゃないっすか!」
「どうしてここに!?」
「お久しぶりです!」
いくつかの声がわたし目掛けて放たれる。それらの数はどんどん増えていき、質問攻めへと発展していった。わたしが応答を返すたびに彼らは怪訝な顔をしたり困ったように頭を掻いたりしたが、勝手に彼らの側で解釈してくれたようだった。疲れているので反応が淡泊になってる、だとか。彼らがどのようにわたしのことを捉えようとも一切関心がないので、好きに判断すればいいと思う。ときどきヨハンが口を挟んで訂正したりしたけれど、それすらどうだっていいことだった。
盗賊たちは実に様々なことを喋った。自分たちは王都のためじゃなくて姐さんのために行動するつもりでいるとか、かつてわたしがハルキゲニアで戦った『帽子屋』が、今はジャックという名前で『タソガレ盗賊団』で働いているとか、今回の戦争協力においてもジャックが一番に名乗りを上げたんだとか、ハルキゲニアでの見送りパレードが華やかだったとか。
『アカツキ盗賊団』の面々もその場にいたが、彼らはどうやら王都来訪の目的が違うらしい。もちろん表面的には戦力となることを表明しているが、中心となっている問題が異なるのだ。
「『親爺』がいなくなったんだ」
と話してくれたのは、『アカツキ盗賊団』のリーダーをしている赤髪の少女――ミイナだった。『アカツキ盗賊団』は基本的に孤児たちで構成されており、中心にいるのは『親爺』と呼ばれるモグリの魔具職人である。わたしが今も武器として使用しているサーベルを作り出したのも彼だ。
「攫われたんだよ、王都から来た男に」
背が高く、シルクハットを被った男。そいつが『アカツキ盗賊団』のアジトに現れ、『親爺』に触れるや否や消えたらしい。……おそらく転移魔術だろう。男が王都の者であることをどうしてミイナたちが知っていたかというと、単にそう口走ったからだという。
『吾輩は王都から参りました使者でございます。優秀な魔具職人がいると伺って、ぜひ都にご招待したく馳せ参じた次第でございます』
男は大仰に言ったのち、『親爺』の手を掴んで煙になった。あっという間の出来事で、ミイナたちにはどうすることも出来なかったらしい。今からひと月近く前のことだと、彼女は語った。
『親爺』を攫った男がオブライエンであることと、彼に『親爺』の情報を渡したのがほかならぬわたしであることは、教えなかった。聞かれていないことをわざわざ喋る必要はどこにもない。
わたしが人々と話をしているうちに、ヨハンはいつの間にか『聖樹宮』の隅――スピネルのそばに移動していて、どうやら眠っている様子だった。遠くから見ると死体と判別がつかない寝姿である。
彼が本当に眠りたくてわたしをこの場に留めたのかは分からない。もっと別のことを求めていたようにも思うが、その正体は判然としなかった。
「クロエは変わったケロ」ハルキゲニアのカエル頭の魔術師、ケロくんが言う。「なんだか冷たいケロ」
そんなケロくんを盗賊団の面々が叱咤していた。姐さんはお疲れだとかいう、見当違いの解釈によって。
「『最果て』の人はみんな起きたみたいだけど、出発しないの?」
誰にともなく言うと、もごもごと要領を得ない反応が返った。いくつかの視線がひとりの人物――肌の白い、意志薄弱そうな男に向けられる。気球職人のロジェールだ。彼は先ほど得意げに気球の自慢話をして、方々から顰蹙を買っていた。また始まったよ、と。彼は気球で『最果て』入りしたが、肝心の愛機はハルキゲニアに置いたままであるらしい。ハルキゲニアの面々に協力を求めた際、戦争が終わって人々が戻ってくるまで担保として気球を預かるという条件を出され、泣く泣く呑んだという。
実質、ロジェールが『最果て』の人々のまとめ役を担っていた。以前よりも痩せて見えるのは、これだけの人数を束ねなければならないことへの心労からだろう。現に今も、判断を求められている。
「クロエ。よければ君も一緒に来てくれないか?」
ロジェールは自身なさげに言う。彼らとともに『岩蜘蛛の巣』を通過して王都までの行程を歩んでくれということだろう。
「先に行って」
わたしはヨハンとスピネルが起きるまでここにいるつもりだ。それで問題はない。けれど彼らがわたしに合わせて歩みを止めるのは不合理でしかなかった。
「冷たいケロ!」
ケロくんは泣いてるみたいな声で叫ぶ。直後、彼は盗賊たちにたしなめられた。道中もそんなやり取りを繰り返してきたのだろう。慣れを感じる。
「それじゃ、王都で落ち合おう」ロジェールはそう呟いてから、全員に呼びかける。「出発するぞ!」
去っていく人々の背を眺めながら、王都に戻るつもりはないけど、と内心で呟いてみた。オブライエンとの接触を回避するためである。そうなると、戦争が終わるまで彼らと顔を合わすことはないかもしれない。もっと言えば、今後二度と再会することもない者もいるだろう。ひとりの犠牲もなしに戦局を乗り切れるはずがないのだから。
そこまで考えて、思う。
そっか。
冷たいって、そういうことか。
わたしはただただ、黙って彼らを見送った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『親爺』→アカツキ盗賊団の元頭領。彼が製造した武器がクロエの所有するサーベル。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて
・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『帽子屋』→ハルキゲニアの騎士団長。魔力察知能力に長けている。シルクハットの魔具『奇術帽』で戦う。本名はジャックであり、『タソガレ盗賊団』元リーダー。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』『幕間.「Side Jack~正義の在り処~」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて
・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『アカツキ盗賊団』→孤児ばかりを集めた盗賊団。タソガレ盗賊団とは縄張りをめぐって敵対関係にある。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『タソガレ盗賊団』→マルメロを中心に活動する盗賊団。詳しくは『第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『聖樹宮』→『鏡の森』の中心にある領域。詳しくは『202.「聖樹宮の王様と、眠りの揺り籠」』にて
・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。実は最果てと王都近辺を繋いでいる。中には小人の住処も存在する。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




