110.「もしもあなたがいなければ」
追放者。
王都に甚大な損害を与えた罪人。王政の転覆を狙う危険人物。あるいは、グレキランス領内に存在することが相応しくないとされる人間。
彼らは王都の南に位置する『岩蜘蛛の巣』と呼ばれる洞窟に捨てられる。洞窟の入り口は恐ろしく重い鉄扉が取り付けられており、追放者を放り込んでから扉を閉める。悲鳴さえ聴こえないほど厚い扉、との噂だった。付近には武装した兵がおり、洞窟から逃げ出そうものなら容赦はない。兵に潰されるか、『岩蜘蛛の巣』を彷徨うかの二択である。
もし、だ。
もし『岩蜘蛛の巣』が『鏡の森』へと続いていたなら。
森で発見された二人。片や、防壁や騎士団といった王都仕込みの武装を都市に施し、片や魔具や魔道具の製造及び維持によって都市を発展させていった。そこにはグレキランスの影響がありありと感じ取れる。
あながち間違ってはいないどころか、わたしは確信してさえいた。
ドレンテとレオネルを交互に見やる。
「女王と青年。森で見つかった二人はグレキランス出身です。彼らに聞けば辿った道を教えてくれるかもしれない」
ドレンテは眉根を寄せて否定した。「無根拠です。それに、あの二人が君に協力するなんて思えない」
「どうして言い切れるんですか? 同郷のよしみで優しくしてくれるかもしれない」
「希望的観測でしかありません。そんな考えで彼女に近付くのは危険過ぎる」
彼女、とは女王のことだろう。そういえばドレンテは女王の元夫だった。すると、彼女のことはある程度理解しているのだろう。
「デリケートなことを聞くようで申し訳ないんですが、女王はどんな人なんですか?」
ドレンテは両手を組み合わせ、俯きがちに目を閉じた。「難しい質問ですね……。私は彼女と共に数年間を過ごしましたが、考えるほどに分からなくなってくる。一見我儘に見えて妥協点を知っている人です。策謀家と言えるでしょうが、情熱的でもあります。直情と論理のバランスを取るのが上手い、とでも言いましょうか……。そんな女性です」
要するに、ヨハンを少しばかり感情的にしたようなタイプなのだろう。策略を通すために感情を動員し、また、私情をあたかも公益であるかのように繕えるほど舌と頭が回る。面倒極まりない。ドレンテの言う通り、女王に近付くのは少々危険とも考えられた。
「女王が駄目なら青年は?」
「彼は滅多に表には出てきません。どこでなにをしているのかもはっきりしない。『アカデミー』や防御壁に手を入れているのでしょうが、所在は我々も掴めていません」
防御壁のメンテナンスくらいはするだろうか。いや、都市を丸ごと覆う壁だ。彼ひとりでは担い切れない。すると、防御壁の維持管理は他に任せて別の仕事をしていると考えるのが自然だろうか。
「お嬢さん」とレオネルは呟いた。老魔術師の目は沈んだ色合いをしている。「貴女がなにをしようとも、我々は邪魔立てしません。無論、ヨハンの礼があるからです。しかし、革命の火種を消すようなことは決してせぬよう、約束して頂けませぬか? 介入しないと言うのなら、どちら側に利することがあってもいけないはずです」
レオネルの言葉はもっともだった。レジスタンス壊滅の発端になるようなことはしてくれるな、と。本来なら革命勢力について知ってしまった時点で生きて外に出すわけにはいかないだろう。ヨハンの救出という功労から斟酌しているに違いない。
彼らを責めるつもりはさらさらなかったが、血と鉄の匂いが強い場所はどうにも狭隘で困る。王都の騎士団も寛容といえる場所ではなかった。
「……分かりました。あなたたちの障害になることはしません。レジスタンスのことだって口外しないつもりです。ただ、わたしはわたしが進むべき道を見つけなければなりません。そのためには二人のうち、どちらかと会う必要がある」
ドレンテは呆れたように首を横に振った。「そこまで仰るなら止めはしません。しかし、忠告しておきます。女王とその側近たちは容赦がない。君は……」
ドレンテは言い淀んで言葉を切った。それからぼそりと続ける。「拷問にあったとして、我々について話さないと誓えますか?」
「ドレンテ」とレオネルは即座に割って入った。「そこまでのことをお嬢さんに求めるのは恥知らずです。……いいですか、化け物を倒すために自分まで化け物になってしまってはなりません」
ドレンテは不服そうにレオネルを見やった。「レオネルさんの仰ることは理解出来ますが、しかし……」
「……ドレンテ。これは聖戦です」
正直、聞くに堪えなかった。ドレンテの言葉もレオネルの意志も分かるが、そこに同調するつもりはない。あくまでも第三者なのだ。
「いいです、分かりました。拷問でも尋問でも耐えて見せます。痛みや脅しで口を割るような人間に騎士は務まりませんから」
そもそも、捕縛されるくらいなら戦うほうが性に合っている。
「そう言って頂けて助かります。……大変面目ないことですが、我々も正念場なのです」とドレンテは安堵したように返した。
レオネルはというと、目を閉じて黙考している。
「明日には女王の城に向かおうと思います。その前に聞いておきたいことがいくつかあります」
ドレンテは手を組み合わせたり解いたりしている。「なんでしょうか」
「女王の側近について、特に避けるべき相手について教えてくれないでしょうか?」
余計な戦闘は避けたい。そして、万が一戦わざるを得なくなったときには注意すべき相手は特定しておきたかった。いくら辺境である『最果て』といえども、王都を知る人間が牛耳っているとなれば話は別だ。グレキランスの騎士に匹敵するほどの人材を得ているかもしれない。
「特に危険なのが四人。まずは――」
部屋でひと眠りすると、すっかり陽が上がっていた。頭はすっきりしている。昨日の酔いが嘘のように覚め、加えて、ヨハンを背負って地下を駆けた疲れも殆ど残っていなかった。伸びをして身体を捻っても痛みを感じない。
回復力にかけては自身があった。一晩の傷や一時の不調をいつまでも引きずっているようでは前線で戦う騎士になんてなれない。勿論、傷の具合にもよるが。
部屋を出て、一階分降りる。そこで廊下に出て、奥まった部屋に遠慮なく入った。
ふわり、と風を感じた。そしてわたしの瞳は、ベッドに横たわるヨハンを捉える。
窓際に花瓶がひとつ。その中には一輪の白い花が活けられていた。
昨晩、ドレンテの部屋を去る前にヨハンの居場所を聞き出しておいたのだ。もしかすると、これきりになってしまうかもしれなかったから。
今日、女王に謁見する――無理にでも。
上手く王都までのルートを確認出来れば、船着き場に直接向かい、そこにいる船番に一隻借りられる手はずになっていた。ドレンテは昨晩、こちらの意志が固いことを確認すると、朝一番で船番に話を通しておくと約束してくれた。問題なく出発出来るかどうかはさておいて、目途は立った。
ヨハンを見下ろす。その寝顔はやはり不健康だった。濃い隈と、はっきりした骨格。
ダフニーでのろくでもない夜。『関所』の血も凍る騒動。マルメロでの豊かな時間。廃墟での助け。ハイペリカムの泉での共闘。そして『毒瑠璃の洞窟』。
今日までの出来事が頭を駆け抜けて、胸をいっぱいにした。
「……今までありがとう。あなたがいなければここまで辿り着けなかった。……ろくに恩返しも出来なかったけど、あなたなら笑って許してくれるわよね……」
勿論、返事はない。深く息を吸い込んで、気持ちを整えた。
ここからは、ひとりきりの旅路だ。
「ハルキゲニアに到着したわ。……契約終了よ」
窓際の花が、ひとひらの花弁を落とした。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』
・『アカデミー』→魔術師養成機関とされる場所。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』
・『ダフニー』→クロエが転移させられた町。ネロとハルの住居がある。詳しくは『11.「夕暮れの骸骨」』にて
・『関所』→アカツキ盗賊団の重要拠点。対立組織に奪われたがクロエたちの働きで取り戻した。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『マルメロ』→商業の盛んな街。タソガレ盗賊団のアジトから近い。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて
・『廃墟』→『61.「カエル男を追って~魔物の巣~」』参照
・『ハイペリカム』→ハルキゲニアの手前に位置する村。『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』の舞台
・『毒瑠璃の洞窟』→毒性の鉱物である毒瑠璃が多く存在する洞窟。詳しくは『102.「毒瑠璃の洞窟」』にて




