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965.「双子兎と森の宮殿」

 一瞬の暗闇が訪れて、それから視界は一変した。律儀(りちぎ)に整列する巨木に挟まれた一本道が姿を見せたのである。それが現実の『聖樹宮』へと続く道であることは、もはや疑う必要もないことだった。


「やれやれ」


 声につられて振り返ると、ヨハンがちょうど伸びをしていた。相変わらず目の下にくっきりと付いた(くま)のせいで陰鬱な印象が拭えない顔だったが、幾分(いくぶん)か晴れやかな雰囲気がある。


「ようやく幻覚の世界とおさらばですよ。いやはや、現実は信じられないくらい暖かいですね」


 先ほどの寒さはもうどこにもない。それも当然で、一切は幻であり、はじめから存在していないのだ。けれどヨハンの言っている意味は分かる。肉体は先ほどの冷気を記憶していて、現在の気温に過剰反応していた。熱いくらいに感じる。


「あーあ」


 木々の暗がりから声がして、目を()らす。仕立てのいいズボンとシャツを身にまとった、どう見ても裕福な家庭のお坊ちゃんといった風情(ふぜい)の子供が、茂みを()き分けて大通りに出てくるところだった。彼が出てきた反対側の茂みに目を向けると、木の陰からじっとこちらを覗いている少女がいる。ほんのりと口が尖っていた。


『黒兎』と『白兎』である。


 思い返すと、幻覚世界に入る以前と木々の様子がまったく同じだった。代わり映えのしない道のりであることは確かだけれど、差異というのはどこにだって存在する。樹皮の模様や道の凹凸。あるいは特徴的な草花などなど……。


 つまりわたしは幻覚のなかを進んでいただけで、現実にはちっとも前進していなかったらしい。


「おや、ハルキゲニアの双子兎さんじゃないですか。これはこれは、ごきげんよう。お久しぶりですね」


『黒兎』と『白兎』を交互に見やり、ヨハンが言う。


『黒兎』はポケットに手を突っ込み、気安い態度でそばまでやってきたが、『白兎』のほうは相変わらず木の陰でこっそりしている。


「久しぶり、じゃないんだよオッサン。ボクはアンタと初対面なんだけど。いや、厳密には初対面じゃないかもだけど。さっき見たし」


 さっき見た。


 なるほど。


 考えてみれば、そうか。今わたしのそばにいるヨハンは二重歩行者(ドッペルゲンガー)で――。


「ああ、それは私の本体ですね。驚いたでしょう?」


 ツン、と口を尖らせて『黒兎』が返す。「いや、全然。トカゲの化け物なんて、魔物にもいるし」


 すると、木の陰に隠れていた『白兎』が呟いた。


「クラウスはトカゲを見て、悲鳴上げて、逃げた」


「うるさいなぁ、もう! ルカだって今みたいに隠れてたじゃないか!」


『白兎』がルカで、『黒兎』がクラウスという名前らしい――というのはどうでもいいことで、トカゲとは。


貴方(あなた)がたに危害は加えなかったでしょう?」とヨハン。


『黒兎』は渋い表情でぎこちなく(うなず)いた。


 それからヨハンはわたしのほうを向いて「スピネルさんのことですよ」と説明を加える。


 スピネルが『聖樹宮』への道を突き進んだということらしい。意識を失ったヨハンを背中に乗せていたのだろう。だから『黒兎』は「さっき見た」と言ったのか。


 話を聞く限り『黒兎』たちは、現れた竜人に面食らってしまったらしい。


「ボクは追いかけようって言ったんだ! なのにルカが『ここにいるほうがいい』って言って!」


「違う。逆」


 ようやく大通りまで踏み出した『白兎』に、『黒兎』がムッと渋面(じゅうめん)を向ける。


 姉弟喧嘩は好きなだけやればいい。それに付き合う義理はないけど。


「あ、待ってよオネーサン」


「あなたたちとじゃれてるほど暇じゃないの」


「違う違う。ボクらも一緒に行くよ」


「そう」


 勝手にすればいいと思う。彼らが一緒に『聖樹宮』へ行こうとも、わたしの行動とはかかわりのないことだ。もしなにかあるとすれば彼らがまた妨害行為を仕掛けることくらいだが、今のところその様子はない。それに、もし敵意を向けてくるのなら相応(そうおう)の対処をすればいいだけだ。


「あのトカゲ、オネーサンの手下なの?」


「そうよ」


「へー。噛む?」


「噛むわよ」


「……オネーサンにも?」


「わたしのことは噛まない。でもあなたたちは噛むでしょうね」


 会話の応答くらいはしておくべきだ。そして無意味な会話には茶目っ気で(おう)じるべき。それが今のわたしの最適解なわけだけれど、『黒兎』は蒼褪(あおざ)めた。隣でヨハンも苦笑いしている。


「あのトカゲくんは私たちの仲間なので、貴方がたが大人しくしていれば噛んだりなんかしませんよ」


 そう言って、ヨハンはからからと笑う。


 靴音は四人分で、『白兎』もついてきているようだった。見ると、ヨハンの後ろを不満げに歩いている。


「森の王様と話はついたの?」


 そう質問したのは『白兎』だった。


「話は今している最中です。しかし、ひと段落したのは確かですな」


 今している。つまり、彼の本体(・・)がグレガーと会談中なのだろう。てっとり早くて助かる。まあ、話といってもロジェールたちの解放を要求するだけだが。


「ふぅん」わたしの横を歩く『黒兎』が、手を頭の後ろに組んで言う。「ま、ボクらはどっちでもいいんだけどね。森の王様がどうなろうと」


 わたしよりもよっぽど隣の少年のほうが不穏当だ。


「あなたはグレガーの味方をしていたんでしょ? 彼の考えに賛同していたわけじゃないの?」


「いや、まあ、そうだけどさ。王都で戦うよりも、王都が負けたときに備えたほうが賢いかな、なんて……アハハ。冗談冗談」


『黒兎』はわたしに気を(つか)ってなのか知らないが誤魔化(ごまか)したけど、言っていることは正しいと思う。渦中(かちゅう)に飛び込むよりも、漁夫の利ではないが、最悪のケースに備えるほうが賢明である。わたしだって彼と同じ立場ならそうしたかもしれない。


「それで」ヨハンが首を突っ込む。「『黒兎』さんとしては、グレガーさんが敗北した以上、王都に行くというプランで異論ないわけですか?」


「うん、まあ、もともとそのつもりだったし。でなきゃ『鏡の森』まで来ないって。今からハルキゲニアに帰るなんて子供みたいなこと言わないよ」


 今だ、と思った。だから満面の笑みを作り上げて、『黒兎』の顔を(のぞ)き込む。


「でもあなた、子供よね」


 彼の表情が凍り付く。それから、露骨(ろこつ)なまでの眉間(みけん)(しわ)。小さな舌打ち。


 かなりお茶目な返しだと思ったのだけど、どうやら機嫌を損ねてしまったようである。円滑なコミュニケーションは利益をもたらすだのなんだのをヨハンから言われて、だからこうして心にもない――というか今は心がない――ことを口にしているのに、今のところは成果がないように思える。


 やがて、道の両側に倒れた人影が見えた。道の真ん中を()けて左右に五人ずつ、一定間隔(かんかく)で並んで倒れている。なかには見たことのある顔もあったが、注視(ちゅうし)することなく歩き続けた。(はる)か先、木々の途切れたあたりまで倒れた人影が続いている。彼らの腹や胸は規則的に上下しており、それがさざ波のように見えた。


「素晴らしい働きですね、ロジェールさん」


 ヨハンの意見に異論はない。一万人はいないだろうが、延々と続く人々の列を見るに、おそらく千人は越えている。道で寝入っているくらいだから、『聖樹宮』のなかに入りきらなかったということだろう。


「ボクら以外はみんな寝てるんだ」先ほどの不機嫌を明らかに引きずった口調で、『黒兎』が説明する。「森の王様の言うことに賛成したのはボクらくらいだったから」


 これだけの人数がいながら離反者がたった二人だったいうのは、喜ぶべきことなのだろう。


『黒兎』は続ける。


「それで、みんな王様が眠らせたのさ。戦争が終わったときに起こして、恩着せがましく『王都は負けたのだよ。つまり私は諸君を負け(いくさ)から救い出したのだ』とかなんとか言ってチヤホヤされたかったんだろうね」


 つい少し前まで味方をしていた者の言葉とは思えない。ずいぶんと(あざ)やかな手のひら返しだ。


 それにしても、チヤホヤされたいなんて動機ではないだろう。命の恩人であることを強調して、『鏡の森』へと(せま)るであろう血族の魔の手からハルキゲニア地方を救うだとかなんとか扇動(せんどう)して、ここにいる人々を肉の盾にしたかっただけなのではないか。


 でも、ヨハンの見立ては違うらしい。


「よほどオブライエンが怖いんでしょうなぁ」


 ぼそりと、そう呟いた。


 具体的に確かめようと思った矢先、低い、重層的な音が聴こえた。それらはわたしたちの進行方向から流れてきている。


 進むごとに、音の輪郭(りんかく)が確かになっていく。『聖樹宮』の中心にそびえる巨樹が見えたときには、音の正体がなんとなく把握出来た。


「さあ、到着ですね」


 巨樹の根本で、ヨハン(本体)の足元に(うずくま)ったグレガー。『聖樹宮』の(すみ)で、何体ものバンシーに囲まれてポカポカと身体を殴られているスピネル。どちらもしくしく泣いていて、それらが音の正体だった。


 が、異様なのはそれらばかりではない。びっしりと、放射状に人々が倒れていた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて


・『白兎(しろうさぎ)』→ハルキゲニアの元騎士。魔術師。本名はルカ。ハルとミイナによって撃破された。現在は『黒兎』とともにハルキゲニアの夜間防衛をしている。詳しくは『112.「ツイン・ラビット」』『164.「ふりふり」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』『幕間.「それからの奇蹟~ある日のハルキゲニア~」』にて


・『黒兎(くろうさぎ)』→ハルキゲニアの元騎士。ナイフを複製する魔具『魔力写刀(スプリッター)』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』にて


・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『二重歩行者(ドッペルゲンガー)』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『バンシー』→人の上半身のみを持つ魔物。人語を解し、人を騙すほどの知性がある。『鏡の森』のバンシーは例外的に無垢。詳しくは『198.「足取り蔦と魔樹」』にて


・『聖樹宮(せいじゅきゅう)』→『鏡の森』の中心にある領域。詳しくは『202.「聖樹宮の王様と、眠りの揺り籠」』にて


・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』


・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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