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962.「智者の誤謬」

 香気(こうき)舞う。


『聖樹宮』を表現するなら、そのような優雅な言葉がよく似合う。明滅する(あわ)い光の粒たち。それらはひとつひとつが微細(びさい)な生物であり、全体的に緩慢な動きをしている。けれども不意に一斉に散ったり、あるいは昇ったり、空間そのものを厳かな華やぎで演出していた。ルドベキアも幽玄な光の粒で満ちていたけれど、あちらは規模が大きく、そのために満天の星空の下にいるような遠い心地になったものだ。『聖樹宮』は大豪邸のエントランスか、ダンスホールくらいのサイズ感で、言うまでもなくルドベキアとは比較にならないほどこじんまりとしている。漂う光に遠景が重なることはない。だからこそ、静かに完成された(うるわ)しさを(たた)えていた。


 ――と、他人事の景色を(なが)めながら、他人事として、思う。美しいとか、色味が良いとか、あるいは涼気(りょうき)を含んだ無言の(にぎ)わいだとか、形容はいくらでも出来る。でも、それらはあくまでも客観的で表層的な評価に過ぎない。この空間に立ち尽くしているわたし自身は、それらの美しさを胸の奥で味わうことなんて出来やしないのだ。五感と思考を所持した物体。過去の記憶をなぞることによって、感情的な振る舞いが可能になっている存在。そのように自分を形容しても、やはりなにも感じない。


「ところで」


 わたしの肩に腕を回すヨハンを、振り払う動機も持ち得ない。


「グレガーさん。貴方(あなた)はオブライエンに恨みでもおありなのですか?」


 ガクンと、まるで首が折れたような具合にヨハンが首を(かし)げた。真顔で、しかも目を見開いている。どこからどう見ても狂人の仕草(しぐさ)だ。即座に顔をしかめたグレガーのほうが、よほど正常な反応を(ゆう)している。


「無意味な問答をするつもりはない。悪いが、君はとてもじゃないがまともな人間ではないようだ」


 言って、グレガーは片手を持ち上げた。微光を塗り潰すだけの、煌々(こうこう)とした魔力が指先に集中している。


「おっと、幻覚の魔術なら無駄ですよ。私はただの分身ですから。痛覚を持たない、魔術だけの肉体というわけでさあ。そんな相手をペテンにかけようだなんて、無駄骨でしょうに」


 ヨハンはわたしの肩から腕を外し、小さな川に区切られた巨樹の外縁(がいえん)を歩む。不器用なスキップのような、弾んだ足取りで。そんな彼を、グレガーの指先と視線が追った。


「そんなことはとうに理解している。君は――」


 グレガーの指先から(ほとばし)った光が、ヨハンの(ひたい)に食い()った。


「――私を見誤っている」


 直後、ヨハンが足を止め、脱力するのが見えた。でも、崩れ落ちたりはしていない。その場に立ってはいる。仰向(あおむ)いて。両腕を()らして。身体のどこにも力が入っていない、人形じみた姿だった。額に刺さった光がグレガーの指先と繋がっている様相(ようそう)も、さながら操り人形である。


「君は愚かだ。二重歩行者(ドッペルゲンガー)(あつか)えるだけの魔術的な知識と技術を持っているがゆえに、目が曇ったのだろうな。過信……自惚(うぬぼ)れ……。目の前の相手が自分よりも(はる)かに上等な魔術師だとは思わなかったのだろう」


 びくん、とヨハンが痙攣(けいれん)した。ゆるく開いた口から、(よだれ)の筋が(きら)めいている。


二重歩行者(ドッペルゲンガー)は本体と繋がっている。どれほど巧妙に隠蔽(いんぺい)しようとも、だ。分身から伸びる魔力の糸が()えさえすれば、それを辿(たど)り、本体に幻覚を送り込むことも可能なのだよ。先ほど彼女が味わった死の痛みを、君も存分に体験したまえ。もっとも、君には一度の死さえ乗り越える精神力はなさそうだが。運良くショック死を(まぬか)れたなら、さっさとグレキランスに舞い戻るといい」


 ヨハンは賢い。グレガーの背後を通り抜けながら、そんなふうに思った。意気揚々(いきようよう)と喋っているグレガーは、随分(ずいぶん)スローに(・・・・)口を開閉させている。


『今のうちにロジェールさんたちを解放してあげてください』


 グレガーが得意気に講釈(こうしゃく)()れている間に、わたしの耳に入った声だ。もちろん、ヨハンの交信魔術である。


 巨樹を螺旋状に取り巻く階段に足をかけながら、思う。グレガーの音声と口の動きは連動していなかった。音がどんどん先へ先へと展開されていき、本来あるべき口の動きはどんどん遅れていく。普通じゃない。そしてヨハンの扱う魔術は、しばしば普通の(いき)(だっ)している。


 遅延領域(レント・メモリア)


 彼が得意とする魔術だ。自分に近付く者の動きをスローにしてしまう魔術。今回の現象は、その応用だろう。相手が相手だからこそ、込み()った手段を選んだに違いない。


 遅延領域(レント・メモリア)は人の意識までスローにさせるわけではない。あくまで行動だけを遅くする。少しでも違和感を察知(さっち)したら、グレガーはすぐさま気付くだろう。


 ヨハンがグレガーの魔術を食らったのは、ちょうどグレガーの視界からわたしが外れる位置だった。偶然ではなく、全部予期していたのだろう。どのようなかたちであれ、グレガーが仕掛けてくる。その瞬間に遅延領域(レント・メモリア)を仕掛ける。その(すき)に、わたしを動かす。


 足音を殺し、木製の階段を登った。以前わたしは、『聖樹宮』に監禁されたことがある。洗脳魔術をかけられ、巨樹内部の小部屋で夢を見たのだ。その部屋は、わたしの身体に流れる魔力を奪うための部屋で、ロジェールたちもそこに(とら)われているのかもしれない。いや、でも、大人数を格納出来るほど広い部屋はなかったはず。とはいえ、巨樹を()()いて作り出した空間以外、どこに身を隠すというのだろう。


 螺旋階段の終わり(ぎわ)に、木製のドアがあった。地面を見下ろすと、どうやらグレガーはまだ喋っているようで、得意気な台詞が途切れることなく続いている。もし彼が遅延に気付き、それを解除するだけの魔術を頭で考えついても、実行するまでには遅延した長台詞(ぶん)の時間を待たなければならない。何十分、もしかすると何時間も肉体の(おり)の中で間延(まの)びした時間を過ごすことになるだろう。


 ヨハンはというと、依然(いぜん)として脱力していた。ということは、本体も死んではいないのだろう。分身が存在し続けているということは、基本的には術者の生存を意味している。グレガーの(ほどこ)した幻覚が、今現実のヨハンの眼前に展開されていることを思うと――。


 ドアノブに触れる。(なめ)らかな木肌が、指先に吸い付いた。


 ヨハンに死なれたら面倒だ。彼には、わたしには扱えない魔術や、彼だけの繋がりがある。でも、それは彼が今生きているから思うのであって、死んだらきっと、なんとも思わないだろう。「死んだな」と思うことすらなくて、次の瞬間には今後の行程を修正しはじめているに違いない。彼がいなければ、使えるリソースが減る。そして面倒な相手も増える。たとえばシャオグイに出くわしたら悲惨だ。殺し合いになる可能性が高い。


 だから。


 死なないでほしい。


 ドアを開けると、()ぎ慣れた(にお)いが鼻を刺激した。薄暗く、あちこちが赤黒く染まっている。家具もなにもない。中央に、濡れそぼった糸くずのようなものが散乱していた。


 なんだろう。


 二歩進むと、不意に扉が閉まった。


「クスクスクス」


 どこからか声がする。音の方向が(さだ)まらない。はっきりと耳に届いているのに、出所(でどころ)が分からなかった。


「久しぶり、オネーサン」


 ああ、そうだ。これはバンシーの声だ。どこにいるんだろう。


 あたりを見回しながら部屋を歩いているうちに、ずる、と足元が滑って尻もちを突いてしまった。


 床に突いた手に、新鮮な赤が付着している。


 血。


「それね、気球のオニーサン」


 それってなんだろう。ああ、中央の毛屑のことか。あれは、毛髪だ。血と脂の入り混じった髪だ。でも、ひとり分には見えない。


「あとね、ミイナちゃん」


 ミイナ。『最果て』で出会った盗賊の名前。


「ネロくん」

「ハルちゃん」

「ジンおじさん」

「ケロくん」

「ハルキゲニアのみんな」

「最果てのみんな」

「勇敢だった人」

「人だった人」


 ヨハンは賢い。


 けど、わたしも彼も、グレガーを本当に見誤っていたらしい。


 見上げると、天井から鋭いトゲがびっしり伸びていた。それがみるみる降下してくる。やがて先端がわたしへと到達し――。


 自分自身の頭蓋(ずがい)が砕け、肉が潰される音を聴いた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師(ネクロマンサー)。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照


・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照


・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて


・『ジン』→アカツキ盗賊団の副団長。主にミイナの暴走を止める役目を負っている。弓の名手。詳しくは『20.「警戒、そして盗賊達の胃袋へ」』にて


・『ケロくん』→カエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照


・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて


・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使っていた。詳しくは『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』にて


・『バンシー』→人の上半身のみを持つ魔物。人語を解し、人を騙すほどの知性がある。『鏡の森』のバンシーは例外的に無垢。詳しくは『198.「足取り蔦と魔樹」』にて


・『二重歩行者(ドッペルゲンガー)』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて


・『遅延魔術』→ヨハンの使用する魔術。対象の動きをゆるやかにさせる。ヨハン曰く、魔術には有効だが、無機物には使えないらしい。正式名称は遅延領域(レント・メモリア)。詳しくは『69.「漆黒の小箱と手紙」』にて


・『聖樹宮(せいじゅきゅう)』→『鏡の森』の中心にある領域。詳しくは『202.「聖樹宮の王様と、眠りの揺り籠」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて


・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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