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956.「不幸の使者」

「サフィーロさんがどうしてお嬢さんに食ってかかったのか、理解してますか?」


 暗闇にべっとりと塗りこめられた空間を上へ上へと登っているときに、背後でそんな声がした。質問の内容もそうだが、ヨハンがどうしてそんなことをたずねるのか分からなかった。ゆえに大した意味はないと判断し、暗闇を登り続ける。


 先ほど、わたしたちはヘイズから帰還した。てっきりまた庭に戻るものとばかり思っていたが、転移先は真っ暗闇だったのである。そこがラクロー(てい)の地下であることに気付くのに、それほど時間は必要なかった。一度訪れた空間は、たとえ光がなくとも質感や音の響き、横幅などからそれと理解出来る。


 真っ暗なのは、単に壁の蝋燭が(とも)されていないからだ。忘れているのか、歓迎されていないのか。どちらであっても別にかまわない。なんにも感じないというのは便利なものだ。以前のわたしなら、冷遇的(れいぐうてき)な状況にやきもきしただろうから。最終的に飲み込まなければならない物事に対し、(いきどお)ったり動揺したりするのはまったく無駄なことである。無駄だと理解していても心が動いて仕方ないというのは、ストレスに拍車をかける。今の自分にはそうした自傷じみた要素はなにひとつない。


「あのですね」わたしの沈黙を気にすることなく、ヨハンは続ける。「サフィーロさんはあれで、竜人の皆さんをまとめようとなさったんですよ」


 そうなんだ。


 どうでもいい。


「あのままでは暴動に発展しますからね、それを危惧(きぐ)して彼は我々の口から説明させたのです。ヘイズの戦力となることがいかに有利であるかを。つまりですね、彼はそのあたりのことをほとんど瞬時に(さっ)し、ある意味では納得さえしていたように思えます。お嬢さんに見せた苛立(いらだ)ちもすべて演技ですよ。サフィーロさんはなにもかも諦めていました。今のお嬢さんにどんな言葉を投げかけたところで、少しも響かないことをよく分かっていたのです」


 それでもなお怒りを表出して見せたのは、竜人たちの誰よりも自分が激怒しているのだと周囲に思わせるためです、とヨハンは続けた。(よう)するに、理解力が(とぼ)しく感情的な竜人たちが、自分たちの気持ちをリーダーに仮託(かたく)してしまうよう、サフィーロが誘導したということだろう。


 わたしに決闘を申し込んだのも、同じ理由だろう。族長の命令は許容するとして、しかし怒りを収めきれない者がいると考えたからこその発言だったわけだ。サフィーロにとってはすべて意味のある行為だったのかもしれないが、わたしにとってそうではない。表面上は円滑(えんかつ)にやり取りを行うとヨハンに約束したけれど、彼らの内心を理解してあげることはその範疇(はんちゅう)にない。


 とはいえひとつ収穫があったとすれば、決闘云々(うんぬん)が演出上必要だったという点だ。はなから(おう)じる予定もないけれど――なにせ勝ったところで得る物がないから――サフィーロと顔を合わせる機会があったとして、そのことを無駄に持ち出されなくて済むというのは時間の節約になる。


 と思ったけど、どうも違うらしい。


「しかし、最後の決闘だけは別ですね。あれは演技ではありません」


「なら、なんなの?」


 返事をするつもりはなかったのだけれど、そう返していた。


「そればかりは私にも読めませんでした。少しばかり複雑な感情があるんでしょうなぁ」


 ヨハンの返答には、もちろんなんの落胆(らくたん)も感じなかった。たずねた意味がなかった、と思っただけである。


 ヨハンは、自分と二人でいるときだけは()のわたしでいていいと言ってくれた。だから徹底的に無駄を排除していくつもりなのだが、まだわたしのなかには余計な何物かがあるらしい。それはきっと、()ぎ落とすべき荷物だ。


「なんにせよ、あれで場が収まったのは事実ですから、我々としては喜んでいいでしょう」


 ヨハンが()(くく)ってすぐに、ラクロー邸の一階へと出る扉が見えた。木製ドアの僅かな隙間から光が(にじ)んでいる。


 ドアを開け放つと、眼球に圧迫感と少々の痛みを覚えた。目の前が真っ白に焼けて、一瞬なにも見えなくなる。


「んっ……」


 どん、と身体の側面になにかがぶつかって、脇腹(わきばら)に焼けるような痛みが走った。けれど、よろけることはない。痛みにはある程度慣れているから。


 わたしにぶつかってきた相手のほうが、むしろフラフラだった。よろめきつつ後退するメイド姿が、光に慣れつつある視界に映り込む。


「ふぅ……! ふぅぅっ……!」


 メイドは血走った目でこちらを(にら)み、肩で呼吸をしていた。確か、花壇がどうとか叫んでいた女だっけ。


「つっ……」


 再び、脇腹にまとまった痛みと、液体の感触が広がった。


「どういう料簡(りょうけん)ですか。いきなり包丁で刺すなんて」と言ったヨハンの声は冷え切っていて、横目で見たその表情は虚ろだった。


 刺されたことはかまわない。というか、凶器が(せま)っていることはドアを開けた瞬間に分かった。もっと言えば、ドアのすぐそばで息を殺している気配にも気付いていた。わたしが()けることも(はじ)くこともしなかったのは、別段そうする理由がなかったからだ。痛いから、なんてのは今のわたしにとって行為の理由にはならない。もちろん、息を(ひそ)めている相手が魔術師であったり、あるいは致命傷を与えかねない攻撃を仕掛けてくるようだったら話は別だが、そのような手合いは自分の気配をだだ漏れにするようなへまは仕出かさない。そういうことだ。


「お、お前のせいで……!」ヒステリックに震える声が、狭い廊下に反射する。陽光の射し込む廊下には不似合いな必死さだった。「お前のせいでマグオートが壊れてしまう!!」


「壊れるとはなんです?」とヨハンが冷ややかに返す。


「うるさい! なにが戦争だ! お前らは私たちを不幸にするためにやってきた悪魔だ! お前たちさえいなけりゃ、ベアトリス様が人間の守り手になってくださったのに!!」


 当初ベアトリスが思い描いていたプランのことを言っているのだろう。


 ヘイズの戦力がマグオートを攻め落とすふりをする。ベアトリスが戦果(せんか)としてマグオートを得る。マグオートを人間最後の土地にする。その流れは今や、頓挫(とんざ)した。彼らは戦争において、夜会卿という最大戦力とぶつかることとなる。マグオートを保護する余裕などない。


「とんだ八つ当たりだ。それで刃物を突き立てるなど、愚劣(ぐれつ)極まりない」


 吐き捨てるように言うヨハンは、もしかして苛立っているのだろうか。わたしが無駄に傷付けられたから? でも、傷なんて大したことではないのだ。むしろ、わたしはこのやり取りこそ無意味に思う。


 メイドのほうへと一歩、二歩と踏み出す。そのたびに彼女は慌てて後退したが、やがて足がもつれてその場に転んだ。


 わたしの視界は廊下の真ん中で固定されていて、歩調も変わらない。彼女がみじめに転ぼうが、狼狽(ろうばい)しようが、恐怖しようが、なんの関心もない。単に彼女の立っていたのが邸の出口方面だったというだけだ。


 彼女をまたぐ瞬間、足元で短い悲鳴がした。


 自分が刺した相手に(おび)えるなんて。そんなに恐いなら、そんなに憎いなら、もう少しやり方があったろうに。


 一瞬だけそう思ったけれど、すぐにどうでもよくなってしまった。


「お嬢さん」後ろのほうでヨハンの声がする。振り返るつもりはない。「滅多(めった)()しにしてやりましょうか、この女」


 (がら)にもない言葉だ。


「興味ない」


 とわたしが答えるのを期待したのだろう、きっと。無視してもいいのに返事をしてしまったわたしは、やっぱりなにかしらの無駄を(かか)えている。


 ある意味、彼女を相応(そうおう)に痛めつけてやるほうが優しい対応だったかもしれない。()った傷に対する代償を迫ることは、傷の意味を重くすることでもある。すると彼女の行為にもちゃんと意味が生まれる。ともすれば、彼女の心に英雄的な陶酔(とうすい)が生まれるかもしれない。それはある意味で、わたしを殺す以上に、彼女にとって価値のあるものになり得ただろう。


 でも、現実は違う。わたしにとって彼女の行為は――彼女という存在さえ――なんの重みも持っていない。(げん)に邸を出た瞬間、もうその顔さえ忘れてしまった。今後思い出すことも、きっとない。


 鉄柵の外側で所在(しょざい)なく空を見上げるスピネルに、笑いかけた。


「ただいま、スピネル」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ラクロー』→マグオートの現町長。邸の地下にヘイズと接続した転送魔道具がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『ベアトリス』→ヘイズの長であり、バーンズの子孫。血族。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下(ぎんりょうしっか)』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて

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