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955.「説明不足の代償」

 殺すぞ、と言われて真っ先に頭に浮かんだ言葉は『困る』だった。


 次に、『あなたじゃ無理』。


 わたしはまだ道なかばであり、したがって今倒れるのは許容出来ない。いかなる理由があろうとも抵抗しなければならなくて、サフィーロにわたしの抵抗を突破するだけの実力が備わっているとは思えなかった。たとえこの場の竜人全員が徒党(ととう)を組んだところで結果は同じ。それはすでに『霊山』で証明済みだ。


 サフィーロもそのあたりのことは充分に承知しているはずだ。なにせ、二度もわたしを相手に膝を突いたのだから。プライドの塊みたいな性格をしている彼が、片時もそれを忘れていないことは容易に見通せる。にもかかわらず(はな)たれた殺害予告は、激情に駆られて反射的に飛び出た中身の(ともな)わない叫びにほかならないだろう。


 つまり、まともに取り合う必要などないのだ。彼がわたしの目の前に立ちはだかり、息を荒くして(にら)みつけていても、赤黒い微光を反射して(きら)めく爪が振り下ろされることはない。


 でも、ヨハンとしては事態を重く受け止めたのかもしれない。


「私の口から謝罪させてください。お嬢さんの説明が不足した結果、貴方(あなた)がた竜人にいらぬ混乱を招いたことを、深くお()びいたします」


 わたしの隣まで歩み出て頭を下げるヨハンを、横目で眺めた。


「その通り、貴様も同罪だ」サフィーロが苛々(いらいら)と返す。「貴様らは我々を騙したのだ。血族の下で戦うなど、ひと言も聞いていない」


 わたしとヨハンは血族なのだし、その意味では前提は変わらない。人間に加担する血族として、人を滅ぼすべく挑みかかる血族に相対(あいたい)するという構造も変わらない。出発地点が血族の地であることと、直接の指揮官が彼らにとって見ず知らずの血族――ベアトリスとなることが想定外だったのかもしれない。けれどそんな想定をしていたところで、構造が一緒ならなにも変わらないではないか。口から泡を飛ばすだけの動機になりえない。


 ――と思ったのだけれど、竜人たちは口々にサフィーロに同意する。なかには「『霊山』に戻って(しか)るべき裁きを!」なんて声もあった。


「お嬢さんが黙っていた理由はいくつかあります」ヨハンはわたしを一瞥(いちべつ)して続ける。「第一に、時間的な制約。貴方がた竜人をこちらの御仁――ベアトリス卿に引き渡す期限が迫っていたのです」


 振り返る。漆黒の兜に包まれて表情はほとんど見えないが、ベアトリスの瞳に感情の(たか)ぶりは見出せなかった。わたしへの非難の情も、そこにはないように見える。ただ黙って成り行きを見守る腹づもりらしい。


「引き渡し? 期限? すると貴様らは、はじめから我々を道具として考えていたわけだな? 先ほどそこの小娘(・・・・・)が、約束がどうとか言っていたな。要するに貴様らにとって我々竜人は『協力者』ではなく『交渉材料』でしかなかったわけだ」


 その通り。分かってるならもういいじゃない。


 そう言おうとした矢先、ヨハンが先を制した。


「約束自体はお嬢さんとベアトリス卿との(あいだ)()わされたものであって、貴方がたに事情を明かす(たぐい)の物事ではありません。事前に説明していた通り、貴方がたは人間のために戦う。ベアトリス卿もまた、貴方がたの参入によって人間側として戦う決心をしてくださったわけです。むろん、ベアトリス卿は血族側の参戦者ですので、表面的には敵方として振る舞うことにはなりますが……それ自体は貴方がたにとって不利な条件ではありません」


「どこがどう不利ではないと?」


「貴方がたは当初、人間側として、つまり王都の近傍(きんぼう)に配置されて血族を迎え撃つイメージをしていたのでしょう?」


「むろんだ」


「真っ向勝負は(いさぎよ)いですが、損害は大きいでしょうな。一方で、血族側に立ったケースを考えてみてください。当然味方を(よそお)っていますので、ほかの血族から攻撃を受けることはありませんし、人間側もベアトリス卿の部隊と衝突しないよう動きます。つまり被害はほとんどゼロ。決定的な場面でベアトリス卿は、敵の一大勢力に反旗を(ひるがえ)すことになりますが、その(さい)は人間の勢力も加担するわけです。ただでさえ頭数の減っている竜人にこれ以上死傷者を出さないためには、むしろ今回のサプライズのほうが理想的な条件ではありませんか?」


 すべてヨハンの言う通りだ。王都周辺で人間側として戦った場合、すべての血族と魔物が敵となる。が、ベアトリスの部隊に参入した場合にぶつかるのは夜会卿(やかいきょう)の勢力のみ。


 サフィーロはしばし(もく)していた。その(かん)、竜人たちは落ち着かない様子で周囲の者と顔を見合わせ、怪訝(けげん)そうな表情を浮かべていた。


「私が問題にしているのは」先ほどよりトーンを下げてサフィーロが言う。表面化こそしていないものの、怒りや苛立ちは口調に(にじ)んでいた。「なにひとつ説明を加えることなく、ここまで我々を引き込んだことだ」


「その点については申し訳なく思っております。それが先ほど申し上げた時間的制約によるもので、貴方がたへの説明や意志の確認をするだけの余裕がなかったのです。そしてこれが第二の理由になりますが、貴方がたが人間側に利するために戦争参加をするという点にはなんら変わりないため、お嬢さんは説明を省いたのです」


「道義的な瑕疵(かし)は認めるのか?」


「ええ。本来なら貴方がたに説明を尽くすべきでした。ですが、それによってベアトリス卿との約束の刻限を過ぎてしまうことを危惧(きぐ)したのです。これは言うまでもないことではありますが、もし貴方がたが余計に不利になる場合や、人間側に利するという前提と大幅に異なる場合は、私の口から遺漏(いろう)なく説明差し上げたことでしょう」


 ヨハンとサフィーロの話を耳にしながら、わたしはただただ『早く終わらないかな』と思っていた。こんなことに付き合っているのは本当に無駄だと思う。ヨハンは無駄なコミュニケーションも大事だと言ったけれど、それはあくまでも表面的なことだけだ。挨拶程度の。こちらが決めた物事をいちいち説明したり不要な説得のために言葉を(つい)やしたりするのは、あまり納得がいかない。


 なのにわたしが黙って立っていたのは、ヨハンの好きにさせようという思いからだった。竜人なんか全然関係なくて、彼が彼自身にとって納得出来ることをすればいい。


「理屈は分かった。ここに居並ぶ同胞(どうほう)たちも、今の状況のほうが損害の意味では有利であると理解していることだろう」


 まっすぐヨハンを見下ろしたまま、サフィーロは言った。彼の後ろで群れを成す竜人たちの顔に浮かんでいた困惑や嫌悪感が、サフィーロの言葉によって(うなず)きへと変わっていく。


「しかし、いかなる理由があろうとも必要な説明を省いた点は容赦(ようしゃ)出来ん。貴様らは我々を対等な協力者としてみなしていなかったことになる。これは竜人全体への侮辱(ぶじょく)にほかならん。たとえ族長であろうとも見過ごせる罪ではない」


 以前のわたしなら、サフィーロの口にした言葉をちゃんと受け止めただろう。


 誇り、道義、倫理(りんり)――今は、それら空虚なものを取り扱う動機がない。中身がないとさえ思ってしまう。


「どうすれば納得していただけますか?」とヨハン。


 サフィーロは不意にヨハンから視線をずらし、わたしを睨みつけた。


「私と決闘しろ、小娘。どちらかが死ぬまでだ」


「いいわよ。でも――」


「分かっている。戦争が終わったらだ。私と小娘の決闘をもって、竜人と人間の繋がり、ないし竜人と血族の繋がりはすべて断ち切る。徹底的な不干渉(ふかんしょう)となる。いいな?」


 (さえぎ)られたけど、わたしが言おうとしていたのは戦争云々(うんぬん)ではない。


 それ、あなたが死ぬけどいいの?


 そう言おうとしたのだ。


 余計にプライドが傷つくだけでなんの利益もないのではないか。勝つ算段もきっとない。溜飲(りゅういん)を下げるための決闘なら、『死ぬまで』なんて条件は(かせ)でしかない。自分が負けることを知らないほど、サフィーロは無鉄砲ではないのだから。


 じゃあ。


 もう死にたいってこと?


「分かった」


 それならそれでかまわない。約束だ。守るかどうかは状況次第だけど。


 わたしの返答に、サフィーロはひどくつまらなさそうに頷いた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ベアトリス』→ヘイズの長であり、バーンズの子孫。血族。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて


・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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