954.「人でなしたちの行く先」
「以前のお嬢さんなら考えられない脅しですね」
間もなく約束の三十分が過ぎようとしている頃、ヨハンがそんなことを口にした。
垂直に降り注ぐ太陽光が竜人たちの身体に反射して、庭中が複雑な色彩で照り輝いている。二階の窓からコソコソとこちらを窺っている使用人たちは、一様に目を細めていた。
「昔のわたしでも脅しのひとつやふたつ、平気で言ったわよ」
枯葉の擦れ合うような、乾いた笑いが隣で鳴った。
「口だけならそうですね。ですが、今のお嬢さんは有言実行でしょう?」
「そうね」
「約束の時間を過ぎても、少しオマケして待つなんてこともしないでしょうな」
「もちろん」
答えてから、邸へと一歩踏み出す。三十分きっかりだ。予告した通り、邸を破壊してでも地下へ行こう。
サフィーロはじめ、竜人たちへ呼びかけようと息を吸った瞬間。
「も、戻りましたぞ! 時間内です!」
玄関ドアから転び出たラクローを見下ろして、二秒過ぎてる、と思った。全然時間内ではない。
ともあれ、だ。
「ヘイズへの転送準備は出来たのね?」
わたしが言うや否や、ラクローは「しっ!」と人さし指を口元で鋭く立てた。「あちらの世界のことは外では他言無用です」
ここはマグオートであり、その住民ではない者はわたしとヨハンと竜人たちだけだ。そして全員、利害関係者である。隠し立てする意味なんてどこにもない。
が、それを指摘したところでこの男には無駄だろう。
「それで、準備は出来た?」
「ええ、ええ。それはもちろん。庭の生体を転移出来るよう調整してくださったので。全員敷地内に入っていただければ、あとはこちらで彼の地の代表に合図を送るだけです」
「分かった」振り返り、敷地から溢れた竜人に呼びかける。「聞いてたわね? 庭に入ってきて」
総勢五十の竜人が並んだ庭を見下ろす使用人たちの瞳には、あからさまな怯えが浮かんでいた。玄関付近に陣取ったわたしでさえ、身じろぎするのも難しい密集具合である。庭木なのか邸の木材なのか分からないが、絶えずミシミシと音がしている。
「もう少し詰めろ!」
「馬鹿野郎! こっちだって限界なんだよ!」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは!」
竜人たちの小競り合いの声もまた、途切れることなく続いている。そのなかにいて、頭ひとつ大きいサフィーロがむっつりとした表情で腕組みしているのが見えた。目をつむり、不快な圧迫と喧騒から心を閉ざしている様子である。
「いやはや、大変な密度ですね」
ヨハンの声だ。見ると、彼は体格のいい竜人になかば潰されるようにして、邸の壁に身を預けていた。
あと一体でも竜人が庭に入れば、ヨハンは限界を迎えるだろう。
「スピネルが待機でよかったわね」
「ええ、本当に……」
彼はヘイズに行く必要はない。兵士としての頭数に入っていないからだ。ゆえに先ほど待機を命じたのである。ここからでは姿がまったく見えないが、敷地を区切る鉄柵の外側で大人しく待っていることだろう。
不意に窓の開く音がした。見上げると、メイドが身を乗り出している。
「花壇! 私の花壇を踏まないでぇ!」
花壇なんてあっただろうか。まったく記憶にない。でも、庭のどこかには存在するのだろう。
「うるさいぞ小娘が!」と、どこかから怒声が飛ぶ。常に誰かから押され、足を踏まれるような密度だ。苛立つのも無理はない。
すると別の方角からも声がした。「八つ裂きにしてやろうか劣悪種め!」
「なにが花壇だ虫ケラ!」
「貴様を引き裂いて花壇に撒いてやる!」
「この奴隷女が!」
はけ口がほしかったのだろう。竜人たちは次々に罵倒を叫んでいる。
騒ぐ彼らを止めたのは、案の定サフィーロだった。
「黙れ貴様ら! 恥を知れ!」
瞬間、周囲は水を打ったように静まり返った。
サフィーロの心情など知りようがないし興味もないものだけれど、わたしのなかに蓄積された彼の性格から類推は出来る。おおかた竜人たちの言動に節度のなさを感じて、同胞としての恥じらいを覚えたのだろう。
一秒、二秒と静寂が維持される。遠くで風の音がしていた。
「地獄に落ちろ、人でなし!」
メイドの叫びを最後に、窓は閉ざされた。彼女の声は、ほとんど泣いているように聞こえた。
瞬発的に高まった熱気に冷水を浴びせるように、サフィーロが言う。「反応するな。誇りが穢れる」
行き場のない怒りを抱えた鼻息だけが、いくつもいくつも重なっていた。
メイドが叫んだように、もし地獄というものがあってわたしたちが死後そこへ落ちていくとしたら――。
だとしたら、なんなのだろう。問題にすらならない。永遠の責め苦を受けるとして、それが確定しているのなら別段憂うこともなかろうと思う。花壇を荒らしたくらいで裁きを与えようとする程度の狭量な存在が、地獄行きかどうかを判定しているのなら、あのメイドだって地獄に落ちるのではないか。
そんなことを考えた直後に、ふ、と視界が暗転した。
まばたきほどの一瞬の暗闇ののちに、赤黒い景色が広がった。ドーム状の高い天井にも足元にも、一様に植物の根が張っている。それらは赤黒い色彩を持っており、微かな光を湛えていた。
周囲にどよめきが広がったのも無理はないし、「なんだここは……」と不信感たっぷりの呟きをしてしまうのも理解出来る。
はじめてこの場所に転移したとき、わたしも空間の異様さに息を呑んだのだから。
どうやらここは広間のようで、幸いなことにラクローの庭より広い。おかげで竜人たちは、警戒心を滲ませながらも互いの距離を少しずつ離していった。わたしもまた、息苦しいほどの密集から解放される。
「おい、ここはいったいどこだ」
声のしたほうを見ると、腕組みをしたままのサフィーロがこちらを睨んでいた。
「あなたたち竜人を指揮してくれるひとの邸よ」
「は? 指揮だと?」
「詳しいことはそのひとに聞いて。ベアトリス卿は――ああ、そこにいたの」
ドームの端に、一体の鎧が屹立していた。兜の奥で、怜悧な瞳がこちらへと注がれている。
竜人たちの群れから一歩抜け出して、鎧の男へと笑顔を作ってみせた。
「約束通り竜人を連れてきたわ。五十体でいいでしょ?」
「まさか」吐息の多い声が返る。「本当に連れてくるとはな。むろん、五十で充分だ。むしろお前が遺漏なく約束を果たしたことに感謝と驚嘆が堪えない」
「それじゃ、こっちの約束も守ってもらうってことでいいわね?」
「むろんだ。きたる戦争において、我々は夜会卿の背後を取ると約束しよう」
うしろで竜人たちが不安げに囁き合っているのが分かる。
「わたしたち人間も、ヘイズの兵士を攻撃しないようにするわ。そのための目印だけは事前に共有して頂戴。そこの――蒼い鱗の竜人がわたしたちへの連絡手段を持ってるから、彼に伝言を頼んでくれればいいわ」
突然指をさされたサフィーロは、もちろん怪訝そうに顔をしかめた。自分の疑問を無視され、トントンと事が運ばれていくのを眺めているのはさぞ不愉快だろう。けれど、仕方のないことなのだ。竜人はわたしに敗北したのだから。今やわたしの意志は竜人全体の意志でもある。驕るわけではなく、事実として。
「承知した」とベアトリスが頷く。
さて。こちらの目的は完了した。もののついでに、竜人とベアトリスとの橋渡しをしてあげよう。余計なコミュニケーションを取ると、ヨハンに約束したから。
「こちらが」くるりと踵を返し、ベアトリスを手で示す。「この場所――地下都市ヘイズの代表、ベアトリス卿よ」
わたしの紹介に合わせて、彼は兜を脱いだ。
瞬間――。
「な……血族だと」
「どういうことだ……」
「話が違う……」
いくつもの疑問が広間に流れ出た。
「言ってなかったけど、あなたたちはこれから血族側の部隊に加わってもらうわ。ベアトリス卿の指示をしっかり聞いて、いい子にするのよ?」
舌ぺろ。
「殺すぞ、貴様」
そう言ったサフィーロの身には、殺気が溢れていた。
茶目っ気を見せるべきタイミングだと判断したのだが、どうやら違ったようだ。どうでもいいけど。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ラクロー』→マグオートの現町長。邸の地下にヘイズと接続した転送魔道具がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『ベアトリス』→ヘイズの長であり、バーンズの子孫。血族。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて




