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952.「雲海の対話」

 雲の絨毯(じゅうたん)が眼下に広がっている。朝陽に照らされて金色に染まったそれは、途切れながら果てまで続いていた。収穫期の麦畑に似た光景は、どこか神々しくもある。雲海を最高速度で進む竜人の姿は、まさしく渡り鳥だ。


「スピネル、平気?」


 わたしを左腕に(かか)える、薄黄色の竜人に呼びかける。彼は「あざっす! 平気っす!」と(はず)んだ調子で返した。


(つら)くなったらすぐに言うのよ」


 体力の限界を訴えたところでどうにもならないけど。せいぜい彼を置いて、わたしは別の竜人に運んでもらうことにしかならない。


 わたしの内心を知らないスピネルは「ご心配あざっす!」と満足げに答えた。見上げると、口元が(ほころ)んでいる。他人に心配されて、そんなに気分がいいのだろうか。それとも、誰かに気にかけてもらうだけで喜びを感じる程度には素直なだけかもしれない。


 三十分に一度のペースで、こうしてスピネルに声をかけている。言葉だけではなく、表情も(つくろ)って。誰の目から見ても、感情を()めて気配りしているふうに見えるだろう。


 スピネルの右腕に抱えられたヨハンを見る。彼はぐったりと(うつむ)いていた。まるで死体だ。竜人の腕のなか、風音が耳元で(うな)りを上げ、落下すれば絶命必至の状況で熟睡出来る神経は見事なものである。感動することはないけれど、稀有(けう)な能力だとは思う。それがなんの役に立つのかさっぱり分からないけど。


 今トードリリーにいる人々は、自分たちの頭上を竜人の大群が通過しているなんて夢にも思わないだろう。多くの物事は、それと知らないうちに訪れ、去っていく。ごく当たり前の事実だ。誰だって、知っていることよりも知らないことのほうが多い。重要かどうかは関係なく。


 昨晩、わたしはヨハンから懇々(こんこん)(さと)された。長い長い話が終わる(ころ)には夜が明けていて、そのまま二人で広間へと向かったのである。そこには仏頂面のサフィーロを筆頭として、五十体の竜人が揃っていた。全体の半数には満たないが、『霊山』の竜人の総数から考えると極端に少ない人員とは言えない。それなりに苦労して集めたであろうことは(うかが)える程度の数だった。そのなかにスピネルは含まれていなかったが、彼は特別に同伴することになった。ゆえに現在、五十一の影が雲の上を進行している。


「姉さん、言おう言おうと思ってたんすけど、今朝はやけに機嫌いいっすね」


 ほんのりと(おび)えの(にじ)んだ声で、スピネルが言った。風の音にぎりぎり負けない程度の声量で。


「これが普通なの。昨日はごめんなさい。ちょっと頭が痛くって、それで冷たい感じになっちゃったの」


「そうだったんすね。いや、マジで恐かったっすよ。だから今、めっちゃホッとしてます」


 今朝からわたしは、記憶にある限りの自分らしい態度を装っていた。そうするようヨハンに説得されたのだ。


『いいですか、お嬢さん。今の貴女(あなた)の態度では、いずれ不要な衝突を生みます。不信も買います。それでいいとお考えなのかもしれませんが、暴力や恐怖で支配出来る物事はそう多くありません。表面的であれ、善意を見せた方が動かせる事柄(ことがら)はずっと多い。たとえばシンクレールさんと再会したとき、今のお嬢さんとしてコミュニケーションを取ったらどうなるか分かりますよね? 意気消沈した彼は、きっと戦場で失敗を演じますよ。ですので、演技でかまいませんから、以前のお嬢さんとして振る舞ってください』


『それは、今までみたいに感情で判断しろってこと?』


『違います。物事の判断や行動は今のお嬢さんとして行えばいいのです。ただ、表面的な――言葉であるとか仕草であるとか、そういったものを軟化(なんか)させてくださいと言っているんです』


 昨晩の会話だ。ヨハンとしては、わたしが冷静なだけでは不充分と考えているらしい。確かに、一利(いちり)ある。現にわたしとしても、シンクレールやアリスと対話するときは以前の自分を演じるつもりだった。戦場での彼らの動きは重要になる。わたしの変化によって彼らに悪影響を与えるわけにはいかない。


 逆に言えば、これまで接触の薄かった相手に対しては、感情を(まじ)えない態度でかまわないと思っているのだけど、ヨハンとしては違うらしい。ならば接触の濃淡にかかわらず、わたしの態度によって悪い結果が生まれかねないような相手にだけ親しく接すればいいかと思ったけれども、それにも彼は(いな)を突き付けた。


『私の前でだけ、今の自分でいればいいんです』


 今のところ、感情が消えてしまったことを知っているのは彼だけだ。だからヨハンの前では演じる必要がないということらしい。


 演技するのは負担ではない。それによって必要な行為が(さまた)げられない限り、中身のない会話に(おう)じてもいい。それで減るような貧弱な体力ではないのだから。


 ゆえに、スピネルへのこの態度である。


「それにしても、姉さん。マグオートってのはどんな町なんすか?」


「綺麗なところよ。建物もちゃんとしてるし、文化も発展してる」


「へー。そりゃいいっすね」


 スピネルの声には、どこか不安が混ざっていた。それも当然だろう。彼はこれまで一度も『霊山』から離れたことがないらしく、今回はじめて外の世界へと出たのだ。わたしたちの後方を飛ぶ四十九の竜人も、風よけとして先頭を飛ぶサフィーロも、『灰銀の太陽』に協力して樹海へと向かったメンバーだった。つまり一度は外の世界を見ており、別の種族の考え方にも触れている。それによって進歩しているかどうかは窺い知れないけれど、飛行に乱れはないし、隊列を崩して余計な会話をすることもない。冷静な進行だった。


「マグオートから、別の町に行くんすよね?」


「ええ。地下を通って」


 竜人に共有してある情報はそこまでだ。ヘイズが血族の地であり、彼らがベアトリスの配下として戦争に参加する流れまでは伝えていない。余計な混乱と問答とで時間を(つい)やしてしまうのが目に見えていたからだ。どうせ動揺してしまうなら、ヘイズに到着してから存分にやってほしい。結局のところ彼らは族長命令通り、戦争に参加する必要がある。何時間ゴネたところで、彼らにはベアトリスに命運を(ゆだ)ねてもらう。細かな作戦だとかは、のちのちサフィーロ経由で知らせてくれればいい。そのための『共益紙』を、彼は所持しているのだから。


 靴のなかで、右の爪先を動かしてみる。小指一本分の欠損は、靴の内側に遊びを生んでいた。歩行も疾駆(しっく)も問題ない以上、別段気にするようなことではない。


 昨晩ヨハンと約束したのは、わたしの態度改善のことだけではなかった。


『怒ってるんですよ、私は』


 そう言った彼に対して、わたしは別段なにも感じなかった。怒ってたんだ、と思っただけ。けれど考えてみれば、彼の怒りの表情や声に対面するのははじめてだったように思う。思い出す限り、ヨハンは常にへらへらしていたし、(あき)れていた。わたしが無茶な行動を仕出(しで)かしたときも、冷え冷えとした無表情で怒りを訴えるようなことはしなかった。


 ヨハンが怒気を表明しようが、どうでもいい。どうでもいいのだけれど、どうしてか予感があった。まったくもってなんの論理も介在(かいざい)しない『悪い予感』とやらが胸の内側にあるのを自覚したのである。それを無視するのは造作もないことで、けれどもし予感が現実になってしまうのなら、それを避けるために些細なことなら(・・・・・・・)出来る。


『どうすればいい?』


『……私に嘘をつかないでください。別に、お嬢さんの行動を邪魔することはありませんから。まあ、多少は意見するかもしれませんが、それでも貴女が決めたことが論理的に正しければ合意しますよ』


 合意形成の時間なんて、無駄でしかない。結果が変わらないなら、説明に費やす時間と労力は節約出来る。


 しかしながら、その程度の時間と労力で予感を退(しりぞ)けられるのなら、悪くはない。


無暗(むやみ)にご自分の身体を傷付けないことも、お願いしますよ。今のお嬢さんは取り返しのつかないことも平気でやってしまう。もしどうしても実験が必要であれば、私にご用命ください。右足の小指を失ってしまうようなヘマはしませんから』


 追想は、サフィーロの声で(さえぎ)られた。


「目的地付近だ! 高度を下げるぞ!」


 陽を浴びて輝く雲に、蒼の彗星が飛び込んでいった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。王都の歓楽街取締役のルカーニアに永続的な雇用関係を結んだ。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『ベアトリス』→ヘイズの長であり、バーンズの子孫。血族。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『共益紙(きょうえきし)』→書かれた内容を共有する紙片。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『トードリリー』→クロエが子供時代を過ごした孤児院がある町。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下(ぎんりょうしっか)』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて

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