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951.「耐久テスト」

 ヨハンとの今後の打ち合わせは済んでいるし、サフィーロにも翌朝までにメンバー選出を依頼してある。


 つまり、暇になった。


 すべての時間は有意義に使わなければならない。だから『霊山』内の一室を借りて人払いをし、ひとりきりで過ごしていたのだけど――。


「お嬢さんっ……!!」


 四方五メートル程度の小部屋に足を踏み入れたヨハンが、露骨(ろこつ)に顔をしかめる。なぜそんな顔をするのだろう。床に散らばった武器や血液のせいだろうか。それともわたしが裸だったからだろうか。


 分からない。


 興味もない。


「なに?」


 (なた)を手にしたままたずねる。本当に、なんの用事だろう。すでにサフィーロとの面会から二時間ほど()っている。広間での宴会から三時間程度。お開きになったから、わざわざわたしを探してやってきた? それとも不測の事態が起こった?


 ヨハンはわたしの手から鉈を取り上げると、入り口付近の椅子に腰かけ、がっくりと項垂(うなだ)れた。ため息をひとつしてから顔を上げ、じっとこちらを見る。視線はわたしの左脇腹と顔とを緩慢(かんまん)に二往復した。


「なんの真似だ?」


 抑揚(よくよう)のない、平坦な声。(あき)れているときの声じゃなかった。


 他人の感情がどうであろうと今のわたしには些細(ささい)な問題だけれど、ヨハンに対してだけは少し事情が違う。人間も竜人も、そのほかの様々な種族に関してもほとんど一過性の関係にすぎないが、魔王の城――つまりニコルへと(いた)る道のりの上にいるのは、今のところわたしとヨハンだけ。ゆえに、彼の感情は多少なりとも()むべきだった。しかし、今の彼がなにを感じて、なにを思っているのか分からない。椅子に腰かけたヨハンの表情も声も、はじめて出くわすものだった。


「試してるだけよ」


「自分の身体の耐久性を?」


 言って、ヨハンは椅子から降りた。そしてわたしのそばまで歩み寄り――。


「うっ……」


 わたしの左脇腹に刺さった剣を引き抜いた。刃が肉を傷付け、焼かれるような痛みが走る。血が吹き出る。それらが、みるみる治っていく。


 鮮血に濡れた剣が彼の足元で跳ねるときには、すでに傷口は塞がっていた。


 ヨハンは床の服を一枚一枚拾い上げて、こちらに差し出した。


「着てください」


 拒絶することなく、身に着けていく。実験の途中だったけれど、彼の機嫌を損ねても良いことにはならない。素直に従っておくべきだった。


 わたしが衣服をすっかり身に着けるのを確認してから、彼はようやく見覚えのある仕草と表情を見せた。頭を()いて、苦笑。


「気に食わないことをしたなら、謝るわ」


 なるべく機嫌を取り戻したい。円滑(えんかつ)に物事を進めていくために。より厳密に表現するなら、今後決定的な場面でわたしの行動が邪魔されないために。


「今のお嬢さんに謝られても、なんの意味もありませんよ。それに、なにに対しての謝罪なのやら」


 正論だ。わたしは謝るために謝った。悪いだなんて欠片も思っていない。


 ヨハンは入り口付近の椅子をふたつ持ってきて、片方をこちらに寄越(よこ)した。


「座ってください。お嬢さんにはいくつか伝えておきたいことがあるんですよ」


 なんだろう。やはり、不測の事態が起こったんだろうか。広間で酔った竜人が今回の一件に対して反旗を(ひるがえ)したとか。もしそうなら、わたしがサーベルで片付ければ済む。頑強(がんきょう)な鱗を持つがゆえ、彼らは痛みに強くない。反逆者を叩きのめしたのち、アレクや、権力欲にまみれた老竜人――アパタイトなど、(しか)るべき者の口を通してもう一度わたしの正当性を証明してもらえばいい。


 が、ヨハンが話したのはそんなことではなかった。


「まず、ご自分の身体を無暗(むやみ)に傷付ける真似(まね)(ひか)えていただきたい」


「どうして?」


 これは必要なテストだった。わたしの身体はどれだけの傷に対して、どの程度の速度で治癒可能か。切断された部位はどうなるのか。欠けた箇所の修復はどうなるのか。


 爪を()いでも、数秒で元の通りに()えた。手も足も同じで、左右で異なることもなく、指の種類でも差分はなし。左足の小指を切断して、そのまま患部をくっつけておいたら元通りになった。


 でも。


 ヨハンは床の血だまりから肉片――わたしの右足の小指を()まみ上げると、視線の高さまで持ち上げた。


「これ、取り返しつきませんよね?」


「ええ。たぶん治らない」


 自分の右足に視線を落とす。そこには四本の指が綺麗に並んでいて、けれど一番端は根元から欠けていた。


 切断面を接触させることなく放置した結果、患部はつるりと丸っこい肉に(おお)われた。以後、切り落とした小指をもう一度くっつけてみても無駄だった。恢復(かいふく)した肉を()いでから、落ちた指と触れ合わせても、繋がることはなかった。貴重な発見のひとつ。


「……ほかになにを試したんです?」


 隠す理由はないので、すべてを素直に話した。


 致命的な箇所を除いて、肉体の様々な部位に、竜人から借りた武器を刺したこと。そのうち一本は刺さったままにしておいたこと。痛みは途中から消えたが、先ほどヨハンが引き抜いた通り、刺さった部分は空洞(くうどう)にはならず治ってくれた。


 壁に頭を叩きつけてもみた。今のわたしに気絶ということがそもそもありうるのか。以前なら気を失ったであろう衝撃を与えても、意識は途切れることなく続いていた。けれど、この検証は不充分。気絶を観測する第三者がいて、衝撃の度合いと以後の身体状況を詳細に記録してくれないと駄目だと(さと)り、中止した。


 左手の小指を折ってみて、そのまま放置したけれど、これは自然と元のかたちに戻った。本来あるべきかたちへと導かれるように、痛みを(ともな)う圧迫感とともに指の角度が戻っていったのである。


 と、ここまで説明している最中、ヨハンはずっと微妙な表情をしていた。口の端が右側だけ吊り上がり、左は心持ち下がっている。小鼻はやや(ふく)らんでいて、でも呼吸は一定。目は少しも笑っていない。そんな顔のまま、微動だにしなかった。


「左目に剣を入れてみた。あと、指で取り出そうとしたけど上手くいかなかったからやめて、その代わり、指で潰して掻き混ぜた」


 そう話したところで、不意にヨハンが動いた。(ひたい)に手を当て、首を横に振ったのである。


「私がお嬢さんと視覚を共有しているのはお忘れですか?」


「忘れては、ない」


 けど、気にもしていない。目を傷付ける際にヨハンの顔が頭に浮かぶこともなかった。なぜなら彼が共有しているのはあくまでも情報であって、痛覚ではないからだ。痛みも含めて彼と繋がっているのなら、さすがにわたしも無断ではやらない。


「あのですね、痛みが伝わらないからといってなんでもしていいわけではないですよ。目に刃が入り込む光景をリアルに見せつけられる相手の身にもなってください」


「でも痛くないからいいでしょ?」


 彼はなにも失わない。それならなにも問題ないのでは?


「人体はお嬢さんが思ってるより賢いんですよ。身体が痛まなくても、痛みの情報を勝手に作り出してしまう。脳は優秀な器官なんです」


「じゃあ、もう目は傷付けない」


 目の検証は終わってるし、追加で確認すべき事項が出てきたら右目で試せばいい。


「全部ですよ。自分をわざと傷付けて、なにかを確かめようとするのは駄目です。現に、貴女(あなた)は右足の小指を失った」


「失ってもかまわない部分を失っただけだから、問題ないわ」


「貴女はそう思ってるんでしょうが、とにかく、そういうのはナシです。それと――」


 ヨハンはわたしに返答の機会を与えてくれない。次々と(まく)し立てる。


「それと、嘘をつくのもナシです。竜人の決闘に参加するアイデアを思い付いたのは、闘技場に行く前でしょう? 私が今後の計画についてたずねた際に、貴女は竜姫(りゅうき)を説得するとおっしゃいましたね? あの時点で、お嬢さんの頭には今回の作戦があって、それを私にまで隠し通そうとしたのでしょう? 反対すると思いましたか?」


 ヨハンはようやく言葉を切った。上体を乗り出してわたしを見つめる。十センチの距離もない。


「反対するかどうかはどうでもよかった。邪魔されたくないから隠しただけ」


 (いつわ)りのない返事だ。わたしはわたしのすることを、ヨハンに邪魔されたくなかった。決闘での勝利がもっとも確実であり、また、必要とする時間の少ない方法だったからだ。ヨハンならきっと、安全策を選ぼうとする。わたしにとって竜人と戦闘することがリスクですらないことを、きっと理解してもらえない。だから隠した。


「お嬢さん」


 (あご)を掴まれた。ぐい、と押されて上向(うわむ)く。


「怒ってるんですよ、私は」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『アレク』→青みを帯びた緑の鱗を持つ竜人。興奮すると鱗の色が変化する。サフィーロ同様、次期族長候補であり派閥を形成している。詳しくは『685.「開廷」』にて


・『竜姫』→竜人たちにとって、族長に次ぐ重要人物。竜人たちの住処である『霊山』一帯の山脈に雪雲を固定し、人間の侵入から守っている。彼女の姿を見た者は目が潰れ、命を失うとされる呪いを持つ。『聖域』と呼ばれる場所に隔離されており、接触が出来るのは盲目の世話人であるパルルか、唯一前述の呪いの対象にならない族長のみ。詳しくは『687.「姫の呪い」』『Side Grimm.「困惑小人の赤面」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて

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