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949.「至高の星」

 ほどなくして、広間で宴会がはじまった。運ばれた料理の匂いが充満し、あちこちで(さかずき)のぶつかる軽い音がする。


「どうぞ、族長殿(どの)も一杯」と。わたしに酒を(すす)める竜人の声にも態度にも、形式的なものが(うかが)えた。本当は今すぐにでも『霊山』から消えてほしいと思っているのだろう。それを口に出せない理由は、礼節のためか、それとも怯えからか。どちらも含まれているように思える。


 わたしが「いらないわ」と返すのと、ヨハンが「これはどうも。ありがたくいただきます」と杯を受け取ったのは同時だった。


 彼はこちらを一瞥(いちべつ)してから一気に飲み干し、給仕の竜人に微笑みかける。


「美味ですなぁ。ときに、これはなんです?」


「こ、根菜(こんさい)と芋をこねて焼いた品です」


「ひとついただいても?」


「あ、えー……お口に合うか分かりませんが」


「では失敬して。あぁ……これは……んぐ……滋味(じみ)深い素敵な味わいですな。――お嬢さん、どこへ行くんです?」


 広間の出口へと踏み出したところで、ヨハンに呼び止められた。


「医務室」


 振り返らず、足も止めずに答えた。大股(おおまた)の靴音がわたしを追い越し、前に立つ。


 目の前に立ちはだかったヨハンは、軽薄そのもののへらついた表情だった。見慣れた顔である。


「怪我でもなさったんですか?」


「サフィーロとアダマスと話をするのよ」


 彼の横を()り抜けるようにして足を踏み出す。すると、ヨハンは長い足を駆使(くし)して、またぞろ彼はわたしの進行方向に立った。


「今から戦争の話をするんですか? いささか性急(せいきゅう)ですよ。まだ日数に余裕はあります」


「無駄な時間を過ごす意味なんてない」


 痩せた身体を片手でどかして進む。ずんずん進む。


 わたしの靴音と、ヨハンの靴音とが並んだ。


「いやいや、士気(しき)にかかわるんですよこういうコミュニケーションは……と言っても、今のお嬢さんには分かりませんか……」


 言いたいことは分かる。交流によって得られるものだって確かにあるのだ。顕著(けんちょ)なのは信頼だろう。ただ、現時点では信頼など必要ない。わたしは決闘に勝利し、竜人たちに戦争参加を命じた。拒否権はない。であれば、わざわざ信頼を構築したり士気を上げてやる意味もないのだ。


 ――そうした自分の考えを伝える意味もまた、ない。


 黙って歩くわたしに根負(こんま)けしたのか、ヨハンはため息()じりに言う。


「なんにせよ、ひと晩は『霊山』で過ごしましょう。お嬢さんは平気でしょうが、私には食事と睡眠が必要ですからなぁ」


「そうね」


「決闘に参加した竜人たちにも休息が必要です。戦力になるのはもっぱら彼らでしょうから」


 休むならマグオートに行ってから休めばいいと思う。が、飛行出来ないほど疲労した者もいるのは理解している。特にアダマスにはまとまった休息が必要だろう。


「私は」諦めたようにヨハンが続ける。「会場でしばし、皆さんとお喋りしてきますよ。のちほど落ち合いましょう」


「ええ」


 不要なやり取りもこれで終わり。


 そう思った矢先、薄黄色の影が目の前に飛び出してきた。


 スピネルだ。


「えっと、このたびは、あー、族長就任? おめでとうございます、でいいんすよね? いやぁ、姉さん血族だったんすね。マジびっくりしたっす。てか、今もブルってます。あ、ちょ、無視して行こうとしないでくださいよぉ!」


 スピネルはわたしに追い(すが)り、さっきまでのヨハンと同じように目の前に回り込んだ。しかも、両手を広げて通せんぼときた。さすがに足が止まる。


「なに?」


「一言お礼を言いたいんすよ。姉さんが乱入したときはマジでイカれてると思ったんすけど、勝ってくれたおかげでオレの罪も帳消(ちょうけ)しになりそうっす。さっきアレク様と話して、姉さんの行動は確かに侵入罪なんすけど、族長を審判する仕組みそのものがないんで、姉さんの罪は不問になったんす。で、オレもオマケで不問ってことになって、マジ、助かったって感じで」


「よかったわね」


 これで話は終わり――と思ったが、スピネルが道を(ゆず)る気配はなかった。


 ポン、と肩に手が置かれる。にやにやと笑うヨハンの顔が隣にあった。まだいたんだ。


 彼は「まあまあ、話に付き合ってあげましょう」なんて耳元で言う。


 得るもののないやり取りになんの興味もないし、時間の無駄としか感じない。


「で、どうしても姉さんに言っておきたいことがあるんすよ」


「手短かにお願い」


「いやぁ、気付いたんすよ、オレ。もしかして姉さんがアレなんじゃないかって」


「アレって?」


至高(しこう)の星」


 妄想にコーティングされた意味不明な話は、これまでの人生で何度も聞いている。直近だとカイルのロマンスがそれだった。この(しゅ)の話には同じ(にお)いと同じ結末がある。自己満足の臭気と、徒労感(とろうかん)(いざな)う自己解決。これもその(たぐい)の話だろう。


「どうでもいいから、どいて」


 しかし、スピネルは一向にどいてくれない。彼の身体を迂回(うかい)して進もうとしたが、すぐに通せんぼされてしまった。


「それが、どうでもいい話じゃないんすよ」


「あなたにとっては、でしょ?」


「いやいや、姉さんにとってもっす」


 わたしにとって価値があるかどうかを決めるのは、わたしだけである。さらに言えば、スピネルに誰かの価値観を推察出来るような洞察力はひと欠片(かけら)も見出せなかった。


 以前なら、こんな具合に付きまとわれたら腹を立てるか、折れて付き合うかどちらかだった。試しに怒鳴ったら消え失せるだろうか。あるいは刃物で(おど)せば二度とまとわりついてこなくなるだろうか。


 両方やってみよう。


 腰のサーベルに手を伸ばして息を吸い込んだところで、スピネルが一気に(まく)し立てた。


「オレ、昔に婆ちゃんから『至高の星』の話を聞いてから、ずっとそれを探してきたんす。『至高の星』は、オレたちの全部を()み込んで、世界を良くしてくれるんすよ。竜人だけじゃなくって、全部っす。生き物以外も全部。そういう存在が世界にはいるんだって、婆ちゃんマジな顔で言うんすよ。もう死んじまったんすけど、オレ、婆ちゃんが言った『至高の星』の話が忘れられなくって」


 スピネルによると、至高の星とやらは別世界からやってくるらしい。だから、竜人にとっては悪いものに映る。しかしその存在を決して手放してはいけない、誠心誠意手助けしなければならない、『至高の星』に対して行うことは世界全体に対して行うのと同義なのだと、スピネルはそのように語った。早口で。一語も噛まずに。


「まさか『至高の星』が血族だとは思わなかったっすけど、でも、あまりにも違うからこそマジもんなわけで、オレ、どうしても姉さんが世界を良くすると思っちゃうんすよね。だからオレに、姉さんの手助けをさせてほしいんすよ」


「そう。困ったことがあったら言うわ」


「いや、困ってなくてもぜひ言ってほしいっす。ほら、そういうことってよくあるじゃないすか。あったらいいな的な。必要っていうわけじゃなくて、でもあれば少し楽になる的な。たとえばっすよ? 姉さんが料理を作るとするじゃないすか。芋を潰すじゃないっすか。時間をかければ姉さんでも綺麗に潰せますけど、やっぱ思うじゃないすか、自分より力持ちで身体の大きい誰かがいてくれたらな的なことを。オレはそういう存在になりたいんす」


 芋の(たと)えはよく分からなかったが、要するに――。


下僕(げぼく)になりたいってこと?」


「言い方悪いっすね……でもまあ、そういうことっす。痛いのはちょっと勘弁っすけど、それ以外ならなんでも」


 なるほど。


 ちらとヨハンを見ると、ちょうど視線が合った。そのにやにや笑いに、(わず)かながら(あき)れが混じったように見える。


 今の状況において、わたしに進んで身を(ささ)げてくれる竜人はいないだろうと思っていた。わたし自身、あくまでも戦争に参加してくれさえすればそれでいいと割り切っていた(ふし)もある。竜人全員がサフィーロのように横暴ではないし、アレクのように規則にがんじがらめにされているわけではないと思いつつも、融通(ゆうずう)()かない連中だと判断していたのは確かだ。


 どうやら得るもののないと思っていた会話は、ひとりの下僕を生み出したらしい。だからといって、無駄なコミュニケーションを積極的にしようなどとは思わないけれど。


「それじゃ、スピネル」


「なんすか?」


「まずは、そこをどいて」


「了解っす」


 代償なしに使える翼は、わたしたちの行路(こうろ)に別の可能性をもたらすだろう。


 竜人の本隊をヘイズに送り込んだのち、血族たちが『毒色(どくいろ)原野(げんや)』を越えるまで一週間ほどの猶予(ゆうよ)がある。


 一週間の旅程(りょてい)では到底たどり着けない場所を、頭に浮かべた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『アダマス』→竜人の族長。透明度の高い鱗を持つ。厳格な性格。詳しくは『685.「開廷」』にて


・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『アレク』→青みを帯びた緑の鱗を持つ竜人。興奮すると鱗の色が変化する。サフィーロ同様、次期族長候補であり派閥を形成している。詳しくは『685.「開廷」』にて


・『カイル』→ベアトリスの召使い。ロマンスに目がない。彼自身、どうやらラブロマンスをこっそり執筆しているらしい。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『毒色(どくいろ)原野(げんや)』→人も血族も住まない荒廃した土地。グレキランスの人間は『中立地帯』と呼んでいる。夜会卿の統べる都市とキュラスとの中間に広がった荒野を指す。常に濃い靄に覆われており、毒霧が発生しているとの噂がある。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下(ぎんりょうしっか)』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて


・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて

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