108.「革命家の午餐」
ハルキゲニアの元領主ドレンテは机に掛けられていた杖を手に取り、ぎこちなく立ち上がった。上質な白シャツ。首元でかっちりと締められた紫のタイは、深い蒼を湛えたブローチで留められている。ベストは光沢のある黒。
ドレンテは杖を頼りに、ゆっくりとソファまで歩いた。「どうぞ、お二人ともおかけになってください」
トラスは一礼をして真っ先に腰を下ろした。肝が据わっているのか、単に抜けているか……。おそらくは後者だろう。わたしも彼に倣ってソファに座った。張りの強い上等なソファである。
ようやくソファまで辿り着くとドレンテは苦笑した。「足が悪いもので、みっともないところをお見せしました。しかし、こちらが机に座ったままというのは失礼ですからね……」
ゆっくりと座ると、ドレンテは深く息を吐いた。彼の背後で振り子時計が規則的に揺れていた。
「さて」とドレンテは切り出した。「先ほども申し上げましたが、ヨハンをここまで運んでくださって本当にありがとうございます」
「いえ。わたしはわたしの思うようにしただけです」
ヨハンを置いて行くことなんて考えられなかったし、彼を早急に手当しなければならないと思っただけだ。
「思惑はどうあれ、感謝致します。……トラス。クロエさんはなにか召し上がりましたか?」
トラスは勢いよく首を横に振った。彼はどれだけ体力があり余っているのだろうか。「いえ、クロエはなにも食べていません。水はガブガブ飲みましたが」
顔に火照りを感じた。彼は遠慮がなさ過ぎる。
「間もなく昼食ですから、ご一緒にどうですか? 勿論、無理強いはしません。お身体の具合もありますから」
「折角だからいただきます」
返事を聞くと、ドレンテは柔らかく微笑んだ。
彼は部屋を出て、広間へと先導した。広間の長テーブルは、いつの間にか現れた十人の男たちが座を占めていた。そのうちの四つ分だけ席が空けられている。
テーブルの上にはバケットやスープ。薄く切られた肉、色彩豊かなサラダ。グラスには深い紅の液体が注がれていた。ドレンテは上座、わたしは彼に一番近い席、その隣にトラス、といった順に座った。向かいは空席になっている。
ドレンテが「じきレオネルが来ます」と言うや否や、広間の扉が開け放たれ、ローブ姿の老人が姿を現した。老魔術師レオネルである。
彼はわたしの向かいに座り、深々と礼をした。
「さて、皆さん。召し上がりましょう」
ドレンテの合図で一斉に食器の音が鳴った。なかでもトラスは遠慮なく食器をカチャカチャいわせている。薄切りの肉は癖がなくて食べやすく、サラダは新鮮。スープはカボチャだろうか、落ち着く味だ。こっそりバケットを浸して食べると、幸せな気分に満たされた。実に良いマッチング。
「お嬢さん」
レオネルの声がして、わたしは顔を上げた。「なんでしょう?」
「ヨハンを救ってくれて感謝します。ありがとう」
辺りを見回すと、トラスも含めて全員がこちらを見つめていた。そして口々に感謝の言葉を言うものだから、なんと反応して良いやら分からなくなった。
咳払いをひとつして「それで、肝心のヨハンの具合は?」と訊ねた。
「恢復に向かっています。後は儂に任せておってください」
「……良かった」
レオネルはゆったりと頷き、少しばかり探るような目付きをした。「ときに、お嬢さん。貴女は我々が何者か存じておりますかな?」
「いえ、知りません。ヨハンもあなたたちのことは語りませんでしたから。……けど」
言葉を切って、失礼を承知でコルセットに手を差し入れた。そして、例の手記をテーブルに乗せる。老魔術師は訳知り顔で頷き、領主は怪訝そうな顔をした。他の男たちは目を丸くしている。トラスだけは首を傾げて手記を見つめていた。なんことやら分からない、といった具合に。
「この手記は読みました」
レオネルは周囲を制すように、片手を心持ち挙げた。「よろしい。なら、儂らがどういった目的を持って集まっているのかも察しはついておるでしょうな?」
「ええ。女王への対抗勢力、ってところでしょうか」
今度はレオネルの代わりにドレンテが口を開いた。「その通り。我々は現行勢力の転覆を目指すレジスタンスです」
わたしの隣でトラスが露骨に狼狽する。「そ、そんな簡単に部外者に言っちまったら不味いんじゃないですかい?」
そんなトラスに、レオネルは笑いかけた。「良いのですよ。お嬢さんは手記を読んでしまっている。全てはそこに記されておりますから、今さら隠し立てしたところで無意味でしょうな。それに、ヨハンを救い、ひいては儂らの未来を繋いだお嬢さんに言わず語らずでは失礼でしょう」
「はあ、なるほど」とトラスは納得する。
「クロエさん」とドレンテは呼びかけた。ああ、来たな、というある種冷めた感覚でその言葉を聞いた。「もしご迷惑でなければ、我々の革命に手を貸していただけませんでしょうか? この都市が正常な状態に戻るためには猛者の力が必要です。今は地下組織として力を温めていますが、じき表に出るつもりです」
レオネルも頷いて同調した。「吶喊湿原、毒瑠璃の洞窟、大虚穴……。意識を失った男を背負って進める道ではありません。お嬢さん、貴女は相当の勇気と胆力と強靭さをお持ちだ。……腰の魔具も飾りではないでしょうな?」
見抜かれている。『親爺』の製造したサーベルは、刀身をまじまじと見つめなければ把握出来ないほどの微弱な魔力しか帯びていない。それを魔具と言い切るということは、老魔術師はわたしよりも遥かに魔力の察知に長けているのだろう。あるいは、こちらが眠っている間にサーベルを検分したかだ。しかし、目の前の老人を見る限りそのような狡賢さは感じなかった。純粋に察知力と考えるほうがしっくりくる。
さて、どう答えたものか。全員がわたしの言葉を待っている。トラスも含めて、だ。
ヨハンを生きて運んだという事実に賭けて、素直に返事をしたほうがいいだろう。そう判断した。
「あなたたちの革命は、きっと正しいんでしょう。けれど、わたしはそこに介入する気はありません。判断材料が少ないですし、わたしにはわたしの目的があります」
「目的とは?」とドレンテは訊く。些か気落ちした様子ではあった。
息を吸い、心を落ち着かせて口を開く。「グレキランスへ行くのがわたしの目的です」
静寂。
それは涼しげな静けさではなく、疑い混じりの濁った静寂だった。
やがてレオネルが沈黙を破った。「グレキランス、ですか。……なぜです?」
レオネルは真剣な眼差しをこちらに向けていた。その瞳は信頼に足る思慮深い輝きを持っている。彼に対して話すつもりで、言葉を紡いだ。
勇者ニコルの凱旋。
彼の裏切り。
そして転移魔術。
「クロエ! あんたは凄い奴だったんだな!」
いの一番に反応したのは意外にもトラスだった。彼はなんでもかんでも信じ込んでしまうような性格なのだろうか。
ドレンテは訝しげに眉根を寄せている。レオネルも沈思黙考の体を貫いているようだった。
「トラス……わたしは別に凄くないわ。革命を起こそうとしているあなたたちのほうが凄いかもしれない」
「いや、でも、騎士なんだろ? 強いんだろ? それって凄いぜ」
短絡回路。そんな言葉が浮かんだが、彼ほどシンプルな感動を表現してくれる人間は『最果て』にはいなかった。そのことにちょっぴり嬉しさを感じる。
気恥ずかしくなって、グラスの中の赤い液体を一気に飲み干した。
……なんだこれ、美味しくない。
視界がぐらりと揺れる。頬がぽわぽわと温かくなる。
その後のことは覚えていない。気がついたらベッドの上で頭痛に苛まれていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『親爺の製造したサーベル』→アカツキ盗賊団の元頭領である『親爺』が製造した武器。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて。




