947.「命のやり取りを、もっと、もっと」
死を覚悟した振る舞いは、それだけでもう、対面する者の鼓動を高く速くさせる。興奮が全身に伝播していく。アダマスの一挙手一投足は、わたしの愉楽を絶えず刺激し、高めていた。
鱗がバキバキに割れて、真っ赤な肉の塊となった爪。それを振る形相は凄まじい。懐に潜り込まれて、お腹の鱗を割られた瞬間の、悲鳴に似た咆哮。そういうの、すごくいい。命が迸ってる。ズタボロなのに攻撃の手を止めようとしない姿勢があるからこそ、彼の決死さは光を放つ。
わたしもわき腹を抉られたし、尻尾が直撃して左の肩が砕けた。本当に、本当に、痛かった。戦ってるうちに全快したけど、あなたが与えた痛みはちゃんとわたしのなかに記憶として残ってる。だから、どうか、諦めないで。
ほら、今だって、あなたの折れた翼が足首を狙っていて、わたしはそれを避けることが出来る体勢じゃないの。
「うぅんっ」
皮膚が裂け、骨が見える。もちろんわたしの足首の、だ。
痛いからちゃんと叫んだよ?
でも、続けざまの攻撃はちょっと甘い。ぐちゃぐちゃの右手で、性懲りもなくわたしの首を狙うなんて。あなたとの決闘を長く長く愉しみたいんだから、そうやってすぐに『一撃で終わる箇所』に意識を向けないでほしい。そんなの分かり易すぎて、簡単に対処されちゃう。そうでしょ?
それともそんなに、今のわたしは甘ったれに見える?
「ぐ、がぁぁぁァァァアアア!!」
傷だらけの右手が刃を受け、さらに多くの血を流す。アダマスの悲鳴は心地良い。すぐに咆哮へと変わって、次の攻撃へと彼の意志が一直線に向かうのが分かるから。それはきっと、痛みに怯んだ自分を誤魔化すための演技なんかじゃない。今の彼にはそういう、族長として、あるいは竜人としてあるべき姿という無駄な装飾は剥がれきっている。一個の雄として、命を激しく燃焼させる本能的姿勢だけがある。それを見ていると麗しくて麗しくて、わたしの気持ちはトロトロに蕩けてしまうの。油断じゃなくて、それとは真逆の作用を齎すトロトロ。
サフィーロの爪も依然としてわたしの身体を捉えて、迫る。二度だけわたしの肉を抉ったけど、アダマスの必死さに比べれば自然現象と同じくらい淡泊に思えてしまう。爪の雨。ふぅん。それで? みたいな。
彼もアダマスと一緒になって、接近戦をすればいいのに。挟み撃ちみたいな感じで。そうなればもちろん、二人の攻撃は意図せず相手の身体を傷付けてしまう。でも、それがどうしたの? 三人で一緒に遊ぶの、とっても愉しいと思うんだけど。だから今のサフィーロには、がっかり。安全圏から爪をチクチクするだけなんて、ちっとも本気を感じない。そこに命の光はない。爪を砕かれれば痛みはあるかもしれないけど、それって今アダマスが全身に受けてる刃の傷とは比較にもならない。少しの痛みを引き受けてる分、狡い、とさえ思っちゃう。
あ。
「ラァァァァァア!!」
アダマスの拳がわたしの顔面を捉えた。どろっとした濁った痛みとともに、身体が否応なく吹き飛ばされる。
鼻が折れた。歯も。ズタズタになった鱗のおかげで、顔の皮膚もノコギリをかけられたみたいにあちこち裂けたのが分かる。血で視界が濁ってて、首から上全部が途轍もなく痛い。脳震盪を起こしかけてる感じもある。
足が地面を捉えるまでの刹那、そんなふうに自分の状態を客観的に把握した。
ざざざざ、と爪先で砂地に踏ん張る。否応ない後退が止まってから、赤く濁った視界を拭った。
頭のどこかが破裂したのか、耳に液体の感触を覚えた。手を当てて、それを視界の端に持っていくと、べったりと赤に濡れていた。
痛みは治まっている。やや右曲がりになった鼻を、ゴキ、と直す際に少しだけ痛みが復活した。
頬に手を当てると、がさがさした傷口の感触がみるみる滑らかになっていく。わたしが壊滅的な顔面になったのは一瞬のことで、もうすっかりもとの通りになったことだろう。噛み合わせた歯も全部揃っている。歯は抜けてもすぐ生えるというのはひとつの発見だった。ありがとう、アダマス。あなたの決死のパンチはわたしの可能性をひとつ教えてくれた。
七メートルほど遠くなった位置で、アダマスが膝を曲げるのが見えた。それがとっても悔しい。ねえ、アダマス。殴っただけで終わると思ったの? なんで殴った直後に追撃の姿勢を取らなかったの? 塵も残さないつもりでやってくれないと、わたしは全然愉しくない。
一秒後か二秒後。アダマスは突進してくる。彼の予備動作は分かりやすい。それに合わせて、手痛い反撃を食らわせてあげよう。もしかしたら死んじゃうくらいの。いいでしょ、別に。わたしをこんなにも失望させたんだから、償いはしてくれなきゃ。わたしの気持ちに、ちゃんと命で応えてよ。それが本当でしょ?
「アダマス様!! もう勝ち目はありません! これ以上やっては死んでしまう!!」
後ろのほうでサフィーロが叫んで、アダマスが突進直前の姿勢で静止した。
え、なに?
なに言ってるの、サフィーロ?
死んじゃう?
信じられない。
「死ぬつもりでやってなかったの……?」
振り向いて、サフィーロにそう返した。そしてすぐに前を向く。やっぱりアダマスは突進前の姿勢のままだ。
なによ、もう。なんで攻撃してこないの? わたし、振り返ったんだよ? とっても大きな隙だったでしょ?
つまらない演技は全部なくなったと思ったのに、サフィーロのせいで全部全部全部台無し……。
「決死で戦っただろうが!!」やや遅れて、サフィーロが叫んだ。「もう雌雄は決している! 誰の目にも明らかではないか!!」
張りのある声で、聞く人によっては威厳を感じただろう。でもわたしは逆。空威張りにしか思えない。
というか、ほんとに苛々する。サフィーロは外側からちまちま攻撃してただけで、つまり外野なわけでしょ? 本気で戦ってたのはわたしとアダマスだけで、この戦いをどうするか決めるのもわたしたちしかいないじゃない。勝手に判断するのって卑怯よ。
アダマスの身体に力が漲るのが見えた。
それでいいの。
おいで、アダマス。命のやり取りを続けましょ?
腰を落としたアダマスが残像と化した瞬間、わたしは全身の昂りとともにサーベルをかまえた。速度は把握してる。威力も分かってる。まともに受けたら無事ではいられないレベルの突進だ。斬撃を放ったわたしの右腕は間違いなく内側から粉砕されるだろうし、肩だってきっとぐちゃぐちゃになる。刃を合わせるタイミングを誤れば突進の威力を殺しきれず、わたしの命にヒビが入るだろう。誤るなんてこと、今のわたしにはありえないのだけど。でも、アダマスにチャンスがあったのは確かだ。死ぬ確率もあったけど、殺す確率だってあった。
それなのに――。
高速で向かってくるアダマスに、別の影が飛び込んで――二人とも真横に吹き飛んでいった。
サフィーロ、そんな素早く動けたんだ。ふぅん。
壁に突っ込んだアダマスはぐったりと地に伏している。
壁に食い込んだ片翼をずるりと抜き、サフィーロは足を引きずりながらアダマスの前で両腕を広げた。身体のあちこちから流血しているのは、アダマスの突進に自分自身の突進をぶつけた結果、いくつもの鱗が弾け飛んだからだろう。
「我々の負けだ」
後ろを向く。すると、サフィーロの側近たちがびくんと身体を震わし、互いに顔を見合したあと、わざとらしくごろんとその場に転がった。
なにそれ。
視線をサフィーロのほうへ戻すと、彼もまた砂地に腹這いになっていた。
だから、なんなのそれ。
「決闘の場に最後に立っているのはお前だ、クロエ。お前の勝ちだ。ゆえに、これで決闘は終わりなのだ」
喘ぐように、荒い息遣いを隠すことなくサフィーロは言い放った。
目尻が燃えるように熱くなって、胸の奥がぎゅうっと締め付けられるように痛い。
「なんで」
両の頬を液体が流れていって、顎を伝って落ちた。
「なんで邪魔するの……?」
それから、ふっ、と心の内側が冷えていった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アダマス』→竜人の族長。透明度の高い鱗を持つ。厳格な性格。詳しくは『685.「開廷」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて




