944.「不在期間」
体内を灼熱の刃で焼き切られる痛みに、はたしてどれほどの者が耐えられるのか。
地に伏して呻く者。砂地の隅へと退散した者。すべてを諦めて観客席に逃げ込んだ者。いまだ膝を突くことなく闘志を燃やしている者は、ごく僅かだった。どうやら竜人であっても、痛みに対する耐性はさして高くないようである。
「化け物め……」
客席のどこかから、そんな声が聴こえた。
わたしは特別なことなどなにもしていない。刀身を『痛みだけを与える火炎』に変え、飛びかかる竜人たちを順番に斬りつけていっただけのことだ。
残り数体となった竜人のうち、光の加減で七色に色彩を変える鱗に目をやる。アダマスの表情に焦りは見えなかったが、真一文字に引き結んだ口元は後悔の表れとも感じられた。
全員で一斉に飛びかかることなく、順番に竜人を投入する戦略を取ったのはアダマスだ。後方に下がった彼が全体の指揮を取っている様子は、戦闘中に何度か見て取れた。こちらの消耗を狙ったのだろう。あるいは、わたしを打ち倒したあとにはじまる乱戦を懸念したのかもしれない。いずれにせよ彼の目論見は功を奏さなかった。
サーベルを引き、腰を落とす。
「なんでピンピンしてやがんだ……」
浅葱色の鱗を持つ竜人の呟きが聴こえた。わたしと彼との間には、倒れた竜人がまばらに散っている。直線距離でもっとも近い位置にいるのが彼で、すなわち次の標的だ。
「退け!」
アダマスがそう一喝してから、浅葱色の竜人が反応するまでの一瞬。一気に距離を詰めたわたしをぎょっと見下ろした彼の顔は、すぐさま苦悶一色に染まった。
「が、あ――」
袈裟斬り、逆袈裟、横薙ぎ、首への一閃、心臓への突き。合計五発。それだけで充分だった。外傷なく積み重なる痛みに耐えかねたのか、彼の瞳が、ぐるん、と上向く。
さて、残りは両手で数えられるほどしかいない。一方のわたしは無傷だ。何度か敵の攻撃が命中したけれど、刹那的な痛みと流血があっただけで、それらはすぐに跡形もなく消え去ってくれた。疲労もない。
残りの竜人たちは一様に、わたしから距離を取っている。アダマスとサフィーロと、それぞれの側近らしき者が四体ずつ。
側近たちはいずれも優秀に見える。地に伏した多くの竜人たちとは違い、わたしへと向いた視線には怯えの量が少ない。それに、一挙手一投足を見逃さぬよう気を張ってもいる。
「サフィーロよ」わたしから決して視線を外すことなく、アダマスが言う。「あの者の実力はお前が把握していたはずではないのか?」
「以前はこれほどではありませんでした」
口早に返すサフィーロも、こちらへの警戒は怠っていない。その目付きは真剣そのもので、落ち着き払っているように見えた。
わたしの知るサフィーロは、誰を相手にしても傲慢なまでの自信を撒き散らす男だ。それが今、素直にこちらの実力に驚嘆しているらしい。
「クロエなる者」アダマスが一歩前進する。「お前の望みは、竜人の戦争参加だったな?」
「ええ」
彼は口元に手を添え、しばし悩む素振りを見せた。それから――。
「お前の罪を不問としよう。それから、数名であれば戦に人員を送ってもよい」
場内がどよめく。困惑の声がそこここから聴こえた。
客席の者にしてみれば、今さらアダマスが要求を呑むなど信じがたい暴挙だったらしい。それらの反応を無視して、アダマスは続ける。
「ただし、この決闘からは降りてもらう」
アダマスとしては、戦争参加を約束してでもわたしに退場してもらいたいらしい。妥当な交換材料だ。万が一にもこのまま全滅してしまえば次期族長はわたしとなり、もはや交渉の余地などないのだから。
はじめからそう言っていればいいものを、このタイミングまで引き延ばしたのは、決闘の参加者が全滅する未来を到底思い描けなかったからだろう。屈強な竜人の群れと、魔術師ですらない人間の女。サフィーロに勝利した過去を持つ人間だとしても、アダマスの未来予想図を稚拙だとは言えない。
場内ではいまだ「誇りが」とか、「小娘ごときに」とか、「人間相手に膝を折るなど」だとか、現実を直視出来ていない声が上がっていた。
わたし自身はどちらでもいい。このまま続けて全滅させてもいいし、アダマスの交渉に応じてもいい。たとえ数名であろうと、ヘイズに竜人を送り込めれば目的達成なのだから。
「それは、筋違いじゃなぁ」
お偉いの席から、そんな声が聴こえる。響きからして老人なのだが、よく通る声だった。
老人の声は続く。
「アダマスよ。族長は決闘開始と同時に解任となり、最後に立っていた者が次の族長となる。それが決闘の規則じゃ。今は決闘のさなか。お前は先代族長であり、次期族長はまだ決まっておらん。つまり、今この瞬間は族長不在の期間……お前の言葉に竜人を率いる力など、備わっておらんわい」
アダマスは絶句し、客席の一角に視線を送った。
なんとも意外な言葉だ。今参加者の置かれた状況くらい理解出来るだろうに。老いたからこそ、竜人の尊厳を過剰に信奉しているのかもしれない。なんにせよ、わたしには無関係だ。
全員の視線が外れた今、誰がわたしを捉えているだろう。少なくとも砂地に立つ竜人の視線は、ひとつも肉体に浴びていない。
「ぎゃっ」
「ぐがぁ!?」
「ヴェアッ」
「アアァゥ!」
悲鳴が重なる。アダマスを囲うように立っていた四人の竜人が、ほとんど同時に崩れ落ちた。順番に五発ずつの斬撃。ほかの竜人と同じように、彼らにもそれで充分だった。
アダマスへと放った斬撃が、残像を薙ぐ。わたしの不意打ちを悟り、大きく後退したのだ。途轍もない速度で。
速さに定評があるというのは事実だったらしい。まさか回避されるとは思っていなかった。
「卑怯者め……」
サフィーロの側近が憎悪剥き出しの口調で言う。
卑怯。なんのことやらさっぱり分からない。今は決闘中だ。よそ見をしている相手を律義に待つのが賢い選択だとは思えない。
今やアダマスは、楕円の砂地の端にいる。反対の端にはサフィーロ。
アダマスから始末しよう。あの速度は少し面倒になるかもしれない。
――そう思った瞬間、微かな風音がした。空を切る、いくつもの細かな音色。
ふ、と息を吐いて、サーベルに付与した火炎を解除する。そして振り返ることなく、背後に迫るサフィーロの爪をサーベルで突き砕いた。
「そんな……」と言ったのは当のサフィーロではなく側近だろう。わたしはもう、アダマスに照準を定めた。それ以外は大して問題にはならない。
「貴様――」
今度は正真正銘、サフィーロの声がした。砂地の端から一歩踏み出したくらいの位置だ。一瞥さえせずとも、そんなことくらいは容易に分かる。他種族独特の気配を肌で感じるまでもなく、単に、声には位置があるのだ。
アダマスの身体が、ぐっ、と沈み込む。
踏み出した太い足が砂地を抉る。
粒子が舞い、七色の鱗が残像と化す。
「こちらを向け! 私を侮って――」
サフィーロの声は歪な高音――アダマスの爪とわたしの刃が激突する音によって消え去った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アダマス』→竜人の族長。透明度の高い鱗を持つ。厳格な性格。詳しくは『685.「開廷」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて




