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941.「乱闘間際の侵入罪」

 およそ百年に一度開かれる、竜人たちの大乱闘。もっとも強い者が頂点に立つべきであるという理念に基づいた、族長を決めるための儀式。そんな血生臭いセレモニーが数時間後に(せま)っているだなんて、稀有(けう)なタイミングで『霊山』に足を踏み入れたものだと思う。


「侵入罪といっても、悪いようにはなりません」


 前を行くアレクはどこかぎこちなく歩いている。右足があまり持ち上がらないようで、ときどき地面を(こす)っていた。『緋色(ひいろ)の月』との戦闘で、竜人の最大の弱点である逆鱗(げきりん)を千切られたことは知っている。逆鱗を失った竜人が急速に衰弱するということも。


 もしかすると、アレクは長くないのかもしれない。


 以前までのわたしなら無暗に胸を痛ませたことだろう。が、今は同情を覚えることもなかった。誰しもいつか死ぬ。アレクはたまたま、終わりまでの道のりがくっきりと見えているだけのことだ。


「だ、大丈夫ですかアレク様……」


 ふらついたアレクを門番が支える。口元の卑屈(ひくつ)な笑みが隠しきれていない。今この瞬間の(いた)わりが汚名返上のための行為であることを雄弁(ゆうべん)に物語っていた。


「スピネルよ。その優しさは私以外の誰かのために取っておきなさい。ときに、貴方(あなた)も侵入者と同罪だということは理解していますか?」


「あ、あ、あ、そんな! アレク様! どうかオレにチャンスを!」


「駄目です。ただし、貴方の胸に竜人としての誇りが宿(やど)っているなら別です」


「もちろん宿ってますよ! 誇りまみれっすよ!」


「よろしい。なら、この二人の牢屋番をお願いします。このまま貴方に門番を任せるわけにはいきませんから、入り口には代わりの者を向かわせましょう。審判が開かれるまで二人をきっちり見張れたら、そのときは貴方に便宜(べんぎ)(はか)ります」


 門番――スピネルはあからさまに喜んだ。目を輝かせ、拳を突き上げ、さらには歓喜の声を上げる。


 と、すぐさまアレクが険しい顔になった。


「シッ! 静かにしてください。いいですか、牢屋まで誰にも見つかってはいけません。単なる侵入と決闘直前の侵入とでは罪の軽重が大きく変わることでしょう。クロエ氏とヨハン氏はもちろんのこと、貴方の処遇にも響きます」


 アレクはどうやら、わたしたちに対しても可能な限り味方でいてくれるらしい。


 ヨハンは「器が大きいですなぁ。素晴らしい人格者です」と情感たっぷりに言う。


「フフフ。当然ですとも。私はほんの少し前までサフィーロ氏と次期族長の座を争った(オス)ですからね。良き弁舌は良き心に宿るのです。まあ、サフィーロ氏の精神は黒く渦巻く邪悪なそれですがね!」


 ちら、とアレクがこちらを振り返る。視線はヨハンではなくわたしに向けられていた。


「なに?」


「いえ、なんでもありません。クロエ氏の素敵な苦笑を(おが)めるかと思ったのですが、どうも見当違いなことを言ってしまったみたいです。失礼失礼」


 (ほお)()きながら前へと向き直るアレクを見ても、なんの感慨(かんがい)も浮かばない。苦笑だったらいくらでもしたっていいのだが、する意味もないだろう。


 ヨハンが咳払いをした。


「ところでアレクさん。次期族長の有力候補はやはりサフィーロさんですか?」


「どうでしょうね」とアレクが首を(かし)げる。「現族長のアダマス様もまだ現役ですから。サフィーロ氏の取り巻きと私の部下を合わせてようやく互角かと」


 確か族長を決める戦いの際に、アレクの派閥(はばつ)は全員サフィーロに協力する取り決めになっていたはずだ。以前『霊山』を訪れたとき、『灰銀の太陽』の処分を決める審判で舌戦を繰り広げた結果、サフィーロがアレクを打ち負かしたのを覚えている。


 一方で、アダマスについては印象が薄かった。審判を決する存在として壇上で威厳を(はな)っていた姿が記憶の片隅にあるくらいだ。光を反射して七色に輝く鱗は、サフィーロやアレクのそれと比較すると硬度は高そうに思える。


「アダマスはどんなふうに戦うの?」


 そう問うと、アレクは「ふむ」と(はす)に天井を(あお)いだ。その(かん)も歩みは止めていなかったが、足元は覚束(おぼつか)ない。


「速いですね。竜人の誰よりも。そして硬い。サフィーロ氏のように小細工はしません」


 サフィーロの小細工というのは、伸縮自在の爪のことだろう。確かに厄介な攻撃ではあった。それと比べると速度と硬度だけというのは地味だ。しかしながら、そういう堅実な力のほうが乱戦には向いている。


「魔術は使う?」


「いいえ。先ほども言った通り、アダマス様は細工なしです。さて、と」十字路に差し掛かり、アレクが足を止めた。「私はこのへんで失礼します。なにせ決闘の準備で大忙しですからね。参加者が多いと事務方は大変です」


「事務?」


「ええ。参加者の誘導だとか薬草の運び入れだとか。決着がつけばすぐに次期族長のお披露目式典がありますし、とにかく仕事は山ほどあります。参加者に手伝ってもらうわけにもいきませんので、私のように参加を辞退した竜人が働かねばなりません。今回は竜姫(りゅうき)様も観戦なさるので前回よりも参加率は高いですから、必然的に辞退者の仕事量はパンク寸前です」


 竜姫がいるということは、グリムも観戦するのだろう。ルドベキアでの散会ののち、彼は竜人たちとともに『霊山』へ向かうことを選んだのだ。


 グリムと会うのもルドベキア以来になる。やはり、懐かしさが込み上げてくることはなかった。


「参加者は決まってるの?」


「ええ、大体は。参戦を決めた竜人は今頃地下闘技場の近くで待機していますよ。まあ、でも、今回も突発で参加する者がいるでしょうね」


「そんなことが許されるんですか?」とヨハンが怪訝(けげん)そうに尋ねる。


「戦いが始まったら無論、駄目です。が、開始の合図が出るまでは参加が許されます。闘技場の熱に当てられてフラフラと酔い心地で戦地を踏む奴がいるのですよ。(がい)して、手酷くやられますが」


 参加表明をする覚悟もなく、衝動だけで動いてしまうような計画性のない手合いが快挙を成し()げることはない。道理だ。腕に自信がある者はそんな真似はしない。もちろん、何事にも例外はあるが。


「スピネル。二人の案内を頼みますよ」


「あ、はい、喜んで!」


 アレクは去り(ぎわ)、なにか物言いたげにわたしを見つめたが、結局なにも言うことなく去っていった。




「アレク様が参加したらサフィーロもアダマス様もイチコロっすよ! マジで! 逆鱗さえ無事だったらなー、オレもアレク様の盾として出場したんだけどなー」


 三人になると、やたらとスピネルは饒舌(じょうぜつ)になった。アレクの讃辞(さんじ)ばかりがするすると流れ出て、それをヨハンが(はや)し立てるものだから止めどない。


「さぞ実力者だったんでしょうなぁ。『灰銀の太陽』としての雄姿(ゆうし)は私も聞いていますよ」


「それなー。卑怯者のクソ獣人相手に取り囲まれて、たったひとりで戦うなんてマジ痺れる……」


 どうやらアレクに心酔(しんすい)しているらしく、スピネルの口調におべっかの響きは少しも含まれていなかった。


「あなたも『灰銀』に協力して樹海で戦ったの?」


「あ、えーと……留守番だったっす」


 どうりで見覚えがないはずだ。『灰銀の太陽』に協力した竜人は、ぽつぽつと鱗の色を覚えている。そのなかに薄黄色はなかった。乱闘を辞退して門番に甘んじるあたり、大した実力はないのだろう。


「はぁー」


「どうしたんです、急にため息なんかついて」


「ヨハンさぁん。いやね、審判を考えると憂鬱で……。いや、あんたらを責めてるわけじゃないっすよ? まあ恨みがないと言えば嘘になるっすけど、目を離したオレが馬鹿だったなぁって思うんすよ」


 彼にとってはとんだ災難だったろう。でもこれで終わったと思ってほしくない。


「スピネル。罪を帳消しにする方法があるんだけど、聞く?」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『グリム』→『岩蜘蛛の巣』に暮らしていた小人。かぶっている間は姿を消せる帽子型の魔道具『透過帽(とうかぼう)』を持つ。竜人の至宝とも言える存在『竜姫』の結婚相手。詳しくは『597.「小人の頼み」』『第四話「西方霊山」』にて


・『アダマス』→竜人の族長。透明度の高い鱗を持つ。厳格な性格。詳しくは『685.「開廷」』にて


・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『アレク』→青みを帯びた緑の鱗を持つ竜人。興奮すると鱗の色が変化する。サフィーロ同様、次期族長候補であり派閥を形成している。詳しくは『685.「開廷」』にて


・『竜姫』→竜人たちにとって、族長に次ぐ重要人物。竜人たちの住処である『霊山』一帯の山脈に雪雲を固定し、人間の侵入から守っている。彼女の姿を見た者は目が潰れ、命を失うとされる呪いを持つ。『聖域』と呼ばれる場所に隔離されており、接触が出来るのは盲目の世話人であるパルルか、唯一前述の呪いの対象にならない族長のみ。詳しくは『687.「姫の呪い」』『Side Grimm.「困惑小人の赤面」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『逆鱗』→逆向きに生えた鱗で、竜人の持つ弱点。逆鱗が損壊すると、竜人としての強靭さは失われ、一気に衰える。詳しくは『Side Alec.「逆鱗」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『岩蜘蛛(いわぐも)の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。実は最果てと王都近辺を繋いでいる。中には小人の住処も存在する。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて

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