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931.「末裔」

『クロエさん。貴女(あなた)は、あまり昔のことを考えるべきではありません』

『なぜですか?』

『忘れている物事は、忘れるだけの理由があるのです』

『それは……警句ですか? それともなにか具体的な――』

『ただの警句です。久しぶりにお会いしたので、なにかそれらしい言葉を残してみたかっただけです』


 ひと月ほど前、先生と再会して()わしたやり取りだ。あのときは単に親心として、わたしのためにそれらしいことを言いたかったのだろうと解釈し、それなりに温かい気持ちになったのだけれど、今にして思うと、なにか別の意図があったんじゃないか。先生にああ言わせるだけの具体的ななにかが、わたしにはあるんじゃないか。


「思い出話ですね」


 先生の目尻に少しだけ(しわ)が寄る。孤児院時代はほとんど見ることのなかった微笑だ。


「違います。わたしが孤児院に来る前のことです」


 わたしが知りたいのは、自分自身のルーツだ。どこで生まれて、どうやって孤児院まで来たのか。それを知っているのは先生しかいない。


 勇者一行の三人とのそれぞれの戦闘で、わたしは自分自身の制御を失った。というより、別の自分が引きずり出されたような感覚。テレジア戦とルイーザ戦では、タガが外れて別人格と交代したのかもしれないなんてうっすら考えていたけれど、違った。決定的だったのはゾラとの戦いのときである。樹海の奥地で、わたしは自分の肉体さえ変わってしまっている事実に直面したのだ。


 先ほどまで(まぶ)しいくらいに射し込んできた西日が、いつの()にか(はかな)くなっている。室内の薄暗さに順応するように、執務机も壁もソファも暗くぼやけていく。先生の微笑みも少しずつ、それと分からないくらい徐々に無表情へと戻りつつあった。


 カラスの鳴き声。子供たちの足音。家鳴り。静けさが小さな物音を強調して、室内の沈黙をより濃く縁取(ふちど)っていくようだった。


「もうじき夜ですね。明かりを(とも)しましょう」


 そう言って院長先生は立ち上がった。スカートのポケットからマッチを取り出し、壁のランプに火を灯す。カーテンが引かれ、外の光が遮られる。カーテンとランプひとつで部屋は一層秘密めかした、(おごそ)かな空間へと変わった。


 ソファに戻ると、先生は普段通りの冷ややかで無機質な声で言った。「なにか悩み事があるのですか?」


「ええ、身体のことで」


「そうですか。あまり無理をしないように。戦争のことで気を揉んでおられるのでしょう。貴女は前線に立たないほうが良いでしょう」


 ふと子供の頃のことを思い出す。先生はいつだって、わたしに『やり返すな』と(さと)したっけ。それで随分傷ついた記憶がある。王都に行き、それなりに経験を積んでいくうちに、あのときの先生の言葉は非暴力によって暴力を遠ざけるとか、そういう意味だったんだと解釈するようになっていったけど――きっとそうじゃないんだ。


 今でも先生は、わたしが戦うことを(こころよ)く思っていない。きっと。間違いなく。


「わたしは戦いますよ、先生」ローテーブルから漂う紅茶の香りが、場違いに甘い。「……だから、教えて欲しいんです。わたし自身のことを。自分を知らないままで良かった時期は、もう終わったんです」


 いきなり押しかけて図々しいことを言っている自覚はある。でも、もう限界なのだ。ルドベキアを離れてから急激に疑問と不安が頭を(おお)っていて、息苦しくてたまらない。


 食欲も眠気もなければ、疲れも感じない自分。これがゾラとの戦闘によって変化しただけなのか、それとも元々持っていたなにかなのか。


「貴女は、ある日町に迷い込んだのです。両親も分からず、記憶も失っていました」


 伸びた背筋。膝に重なる両手。瞳は、わたしの視線を受け止めてなお揺るがない。


 いつもの先生だ。()てついていて、感情の見通せない、先生だ。わたしはこの人がずっと怖かった。今では感謝しているし、ひと月前には和解した想いがあった。でも、それでホッとしたのは本当はわたしじゃなくて、先生のほうだったんじゃないかと思ってしまった。


「嘘がお上手なんですね、先生」


「どうして嘘だと思うのですか?」


「先生は先月、随分と気にされてらっしゃったじゃないですか。わたしが昔のこと――孤児院に入る前のことを覚えているかどうかを」


 あのときはフェルナンデスに奪われたゴーシュの魂を取り戻すことしか頭になかったけど、思い返すと、不自然なやり取りがあった。


『クロエさん。貴女は、孤児院に来る前のことを覚えていますか?』


 あのとき先生の口から出た言葉だ。


「貴女がかつての記憶を失っていたので、もしかしたらなにか思い出したのではないかと思って聞いたのです」


「わたしが記憶を取り戻していたとして、どうしてあのときにそれを確かめる必要があったんですか?」


「ふと気になっただけですよ。無関係なことをたずねるのは、そう不思議なことではありません。人間、道理に合わないことをするものですから」


「でも、わたしの知る先生はそうじゃない。先生は衝動で動いたりしないわ。言葉ひとつ、仕草ひとつ、ちゃんと制御して必要なことだけを必要な分だけする」


「あまり買い(かぶ)らないでください」


 正当な評価だ。買い被ってるつもりなんてない。わたしにとっての先生は、冷たくて、理性的で、感情に(ほだ)されたりしない人だ。彼女の胸の(うち)にもちゃんと優しさが備わっているのはフェルナンデスの一件で分かったけど、だからといってそれ以外の印象までもがらりと変わるわけではない。


「――」


 なんで頑なに嘘をつくんですか? これはわたし自身の問題なのに。


 そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。開いた口から、自然と別の言葉が漏れ出ていく。


「わたしは、先生が怖かった。ちっとも優しく思えなくて」


 ニコルだけが味方だと、本気でそう感じていた。誰もわたしを救ってくれなかった。院長先生もそうだ。


 でも違う。本当は違う。優しく出来なかったんだ。


「でも、本当は逆だったんですね。先生はずっと、今でも、わたしのことが怖いんですよね?」


 すとん、と先生の視線がローテーブルに落ちた。


 わたしのなかに、恐怖を(もよお)す暴力の(たね)のようなものが宿(やど)っていて、先生はそれを把握していたのだろう。いじめられているわたしに『やり返すな』と言ったのは、教え諭すためなんかじゃない。ほかの子供たちを守るためにそうしたんだ。


 今まさに、わたしは自分自身の暴力的な豹変のことで思い悩んでいる。それをなんとか制御するためにも、わたしはわたしについてもっと知る必要があって、そのために先生の助けがなくてはならない。(うつむ)かれても困る。


「お願いします、先生。わたしのことを教えてください。それで先生を恨んだり……危害を加えたりなんて絶対にしません」


 視線が持ち上がる。院長の黒目に、わたしの上半身が反射していた。必死な表情だと、自分でも思う。


 先生の唇が、ゆるく(ほど)けた。


「ニコルさんも戦うのですか?」


「なんでニコルのことなんて――! いえ、ごめんなさい」


 想定外の名前が飛び出して、つい声を荒げてしまった。でもよく考えると、先生が彼のことを気にするのも無理はない。なにせ、彼女はニコルが今どんな立場か知らないんだから。わたしと一緒に王都陣営で戦うと考えるのが自然だ。


 先生が彼の名を(つむ)いだのは、会話を()らすためだろう。でも、(かえ)って都合がいいかもしれない。


 院長の黒目に映えた自分の表情は、薄気味悪いくらい()めていた。


「ニコルは人間を裏切って、血族の味方をしています。今度の戦争で、わたしとニコルは敵として殺し合うんです」


 目の前で影が踊った。立ち上がった院長を(なが)めて、少しの罪悪感を感じる。唇を噛み、目を大きく見開いた院長の姿を見ることになるだなんて、子供時代のわたしなら夢にも思わなかったに違いない。


「嘘を」声も震えていた。「つかないでください」


「先生、全部真実ですよ。疑うならフェルナンデスに聞いてください。彼はわたしの記憶を飲んだから、なにもかも分かってるはずです」


 ゴーシュの魂を返してもらう対価として、彼にはわたしの記憶を――厳密には記憶の詰まった液体を渡したのだ。彼が小瓶の中身を飲み干したことは、以前に彼自身が白状している。


「先生。わたしはニコルを倒さなきゃならないんです。でなきゃ王都は――人間は消されてしまいます。ニコルに勝つためにも、今のわたしには過去の記憶が必要なんです」


 結論が飛躍していることは自分でも分かってる。追及(ついきゅう)されたら丁寧に説明しよう。


 でも、その必要はなかった。


 先生はソファに崩れ落ち、人形のように脱力した。


「なんで貴女でなく、ニコルさんが」


 先生は確かにそう呟いた。


 彼女の右目から流れた一滴の液体が(あご)を伝い、膝に落ちる。


「昔……トードリリーの西にニンファという村がありました。今は滅びてしまいましたが……貴女の生まれ故郷です」


 ゴーシュたちと旅している間、地図上に見た町の名だ。


 押し黙って院長を見つめる。すると彼女は居住まいを正し、ローテーブル越しにわたしの手を両手で包み込んだ。


「血族の村だったんですよ」


「……え?」


「ニンファは血族の村で、貴女は血族の末裔(まつえい)なんです」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて


・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。『針姐』の墨の魔術により全身に縮小した魔紋を刻んでいたが、クロエの持ち込んだ『墨虫』により無力化された。現在は記憶と魔力を失い、平凡なひとりの少女としてローレンスの館に住んでいる。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』詳しくは『第二章 第六話「魔女の館」』参照


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『ゴーシュ』→『灰銀の太陽』に所属する半馬人。清き魂は死を通過し、再び清き肉体に宿るというイデオロギーを信奉している。規則や使命を重んじ、そこから逸脱する発言や行為には強い嫌悪を示す。要するに四角四面な性格。言葉遣いは丁寧。腕を盾に変える魔術を使用。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『孤児院長』→トードリリーにある孤児院の院長。名はレイラ。鉄面皮で知られており、感情を表に出すことはなく、常に無表情。幼い頃は自分も孤児だった。寝たきりの状態であるフェルナンデスを孤児院の地下で世話している


・『フェルナンデス』→孤児院の地下で看病されている、寝たきりの老人。トードリリー出身であり、王都で騎士をしていた過去を持つ。実体を持つ幻を創り出す魔術『夢幻灯篭(ルシッドリム)』を使うことにより、トードリリーの夜間防衛を担っている。創り出す幻は、『守護騎士フェルナンデス』『従士パンサー』『愛馬ロシナンテ』の三つ。『夢幻灯篭』とは別に、魂を奪う力も持っており、幼少時代のクロエは彼に魂を奪われたことがある。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて


・『トードリリー』→クロエが子供時代を過ごした孤児院がある町。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』にて


・『ニンファ』→トードリリーの西に位置する廃村


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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