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930.「本当の来意」

 トードリリーには、久しく町長というものがいない。以前は持ち回りで代表者がいたのだけれど、いつしか形骸化(けいがいか)し、問題が起きたら住民たちで話し合うという習慣になっていった。そんなやり方で上手くいっていたのは、ひとえに大した問題が起こらなかったからだろう。喧々諤々(けんけんがくがく)の議論の上、負担を引き受けて決断しなければならないような物事は、(さいわ)いなことに訪れなかったというわけだ。


 わたしたちがトードリリーに到着したのは夕方になってからだった。オアシスで小休止を挟んだのち、別段トラブルもなく、想定よりも早く着いたのである。


 トードリリーの統治についてはヨハンにも事前に話をしておいた。だから到着後すぐに彼が、畑仕事に精を出す男を捕まえて「ご機嫌よう、はじめまして。私は王都グレキランスの軍事顧問をしておりますヨハンと申します。トードリリーの皆様に重大なお知らせがあって、遥々(はるばる)を足を運んだ次第(しだい)です。急な話で申し訳ないのですが、今から住民の皆様を集めていただけますか? 失礼は承知ですが、なにぶん火急(かきゅう)の要件ですので」と(まく)し立てたのも自然と言えば自然なことなのかもしれない。


 男は目を白黒させていたが、やがておずおずと(うなず)き、植え込みを飛び越えて町の中心へと駆けていった。それからほどなくして「おおい! 変な男が俺らと話をしたいんだと! 住民会議だと!」と風に乗って聞こえてきたのも自然な成り行きである。


 町の中心にほど近い井戸のところまで二人で歩いてから立ち止まった。


「じゃあ、よろしくね。集会所はあっちだから」木造家屋に挟まれた小道を指し示す。かさかさと乾いた音を立てて、丸い枯草――タンブルウィードが転がっていった。「あとで落ち合いましょう」


 お嬢さんはどこへ行くんです? なんてヨハンは聞かなかった。なにかを言いかけたような吐息を漏らして、(つくろ)うように肩を(すく)めただけ。


「良い報告が出来るよう、最善を尽くしますよ」


「うん」


 それを最後に、わたしは彼に背を向けた。長屋越しに見える茜に染まった空に、ひと筋の煙が上がっている。ときおり風に散らされながらも、ほとんど真っ直ぐ上へ上へと続く煙。きっとタンブルウィードを燃やしているのだろう。この時期は、放っておくとすぐに家屋が枯草まみれになってしまう。タンブルウィードの回収に駆り出されるのは決まって孤児院の子供たちで、庭先の大きな焼却炉に次々と枯草を放り込むのは先生たちの仕事だった。


 空気に混じる(かす)かな焦げ臭さは、古い記憶に染みついている。自分とニコルの育った町。つい最近訪れたときと同じように、懐郷心が胸の奥から全身へと染み出していく。でも、懐かしい気持ちに(ひた)されて、しんみりと良い気分になっているばかりではない。胸には別の感情が確かに渦巻いている。


 路地を抜けると、すぐそこが孤児院の敷地だった。教会風の建物の裏手――焼却炉のあたりから、冷厳そのものの顔立ちをした初老の女性が姿を現したのは、わたしが敷地に入ったのとほぼ同時だったと思う。


 その女性はこちらに気付いてから一瞬硬直し、けれど少しも表情を変えなかった。神経質な足取りに合わせて、黒衣のロングスカートが波打つ。


「ご機嫌よう、クロエさん」


「お久しぶりです、先生」


 孤児院長は(すす)けた手袋を片方だけ外して、こちらに手を差し出した。表情の冷ややかさのせいで、全然握手に見えない。でもそれが彼女の普通の態度なのだ。


 苦笑を(おさ)えて握手をする。と、先生の乾いた手のひらがほんの少しだけ握り返してきた。


 彼女はそれからなにもたずねることなく、ごく自然にわたしを院長室へ導いた。余計な問答(もんどう)を挟まない彼女の態度はもちろん好ましいけど、昔はそんな院長先生が怖くて仕方なかったっけ。




 前回訪ねたときと同じく、わたしは院長室に取り残された。窓の外に見える庭は、太陽の最後の光に燃えるごとく輝いている。()れた(だいだい)の光線は、わたしの座るソファまで真っ直ぐに射し込んでいた。


 靴音が近づき、ほどなくして背後のドアが開いた。


「紅茶でよろしいですか?」


「お気遣(きづか)いありがとうございます」


 ローテーブルにグラスがひとつ置かれる。夕日色の液体が波打って(きら)めいた。


 向かいのソファに腰かける先生の動きを目で追う。落ち着き払った動作だった。(なめ)らかで、静かで。


「子供たちはどこに?」


「部屋で休んでいます。今日は朝からタンブルウィードを回収しましたから、疲れたのでしょう。もうじき夕食ですから、クロエさんもご一緒にいかがですか?」


 本当にありがたい。少しも表情を崩さずに親切を口にする院長先生の、変わらない鉄面皮(てつめんぴ)ぶりがなんだか可笑(おか)しかった。


「ありがとうございます。でも近頃食欲がなくて……少し考えさせてください」


 返事を保留した理由は食欲だけじゃない。美味しい食事はいつだって歓迎だ。


 心に乗った重石のせいで、食べ物のことなんてちっとも考えられない。それが(いつわ)らざる本心である。孤児院に入ったときから、スープの香りが(ただよ)っていることには気付いていた。きっと美味しいだろう。ほかの子供たちから疎外(そがい)されていた時期があったとはいえ、舌に残った思い出は幸福に満ちている。でも今は味にかかわらず、食事それ自体が重苦しいものとしか感じられない。ヘイズにいたときとは全く違った心境だった。


「そうですか」孤児院長は目を伏せ、一拍(いっぱく)置いてから続ける。「ところで、王都の使者というのは貴女(あなた)のご友人ですか?」


「利害関係者です」


 ヨハンのことを友達と思うのは抵抗がある。絶対友達じゃない。信頼してるけど、そういう枠組みの間柄(あいだがら)ではないのだ。


「集会なんてここ最近は滅多にありませんでしたから、外は大騒ぎです」


「ご迷惑おかけしてごめんなさい……先生は集会に行かなくていいんですか?」


「ええ。ほかの皆さんに一任しております」


 少しホッとした。集会に行くと言い出したら、止めるに止められないだろうから。


「ところで、貴女はどうしてお仲間と離れてここにいるのですか?」


 仕事は彼に任せて、懐かしい気分に(ひた)りに来た。真っ先に先生の顔を見たかった。……なんとでも言えるけど、きっとそれらが嘘であることは簡単に見抜かれてしまうだろう。なにせ目の前の女性は、わたしを育ててくれた恩師なのだ。遠い昔の数年間とはいえ、先生に(かん)の鈍さを感じたことはない。


「今集会で話している内容を、直接わたしの口から伝えたいと思ったんです」




 ごくシンプルに、必要な補助線を()えて説明し終えた。


 口の渇きが気になる。紅茶を含むと、華やかな(うるお)いでほんの一瞬、心が安らいだ。


 先生はというと、じっとわたしを見つめているばかり。その反応も無理はない。これから王都に血族が攻め()り、大々的な戦争になるだなんて信じられないだろうから。けれどもわたしが嘘を言っていないことは分かってくれているはずだ。先生は、本当のことをちゃんと見抜いてくれる人だろうから。


「それで、トードリリーにも協力を要請しているのですね?」


「ええ。ヨハン――わたしの利害関係者が、集会所で同じ内容を話してるでしょう。これは人間全体の問題で、もし王都が破れたらグレキランス一帯は血族の土地になりますし、トードリリーも侵略されてしまいます」


 過剰に不安を(あお)っているわけではない。事実なのだ。もし戦争に負けたら、まずは王都が制圧され、そこから徐々に末端の土地へと血族の手が伸びることだろう。そして最後には、人間の世界は消えてなくなる。


「つまり、フェルナンデスの力を借りたいということですね?」


「そうです」


 トードリリーの全住民の総力さえ、彼ひとりの戦力にはおよばないだろう。この町は自警団を解体して久しい。すべての夜は、今やフェルナンデスによって(たも)たれている。


「貴女のおっしゃることは理解します」院長先生は慎重な様子で言葉を(つむ)いだ。「しかし、受け入れることは出来ません。貴女もご承知の通り、フェルナンデスは不安定な老人です。トードリリー以外で戦うことが出来るかすら(さだ)かではないのです。それにもし彼が受け入れたとしたら、トードリリーは唯一(ゆいいつ)の守り手を失うことになります」


 先生の危惧(きぐ)は正当だ。フェルナンデスがいなくなったら、この町は魔物の餌食になってしまう。つまり住民は、身の安全を保障してくれる場所へと移住しなければならないのだ。フェルナンデスが不在の(あいだ)だけでも。


「王都で住民を保護します」


「王都までの長旅に耐えられない者もいます。この町には馬車もありませんし、病人だっているのですよ」


 いくらそれらしい主張をしたところで、現実的な問題は付きまとう。そして多くの場合、理念は現実の前に敗北するものだ。


 現状、わたしにそれらの問題を解決する手段はない。リスクを承知で行動するよう強制する力もないし、そもそもそんな強引なやり方を選ぶつもりもない。


「分かりました。諦めます」


「……随分(ずいぶん)とあっさりしていますね」


「どちらかと言うと説得ではなくて、王都の直面している問題を知らせておきたかったので」


 嘘ではない。


 だから、見抜かれるはずはないとも思っていた。


「それで、本当の目的はなんですか?」


 真っ直ぐ、射るように(そそ)がれた院長先生の視線を受け止めて、やっぱりこの人はとても鋭い、と感心してしまった。


 紅茶をひと口、飲み(くだ)す。喉の鳴る音が妙に大きく聴こえた。


「わたし自身のことを教えて欲しいんです。先生の知る限りのことを」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『孤児院長』→トードリリーにある孤児院の院長。名はレイラ。鉄面皮で知られており、感情を表に出すことはなく、常に無表情。幼い頃は自分も孤児だった。寝たきりの状態であるフェルナンデスを孤児院の地下で世話している


・『フェルナンデス』→孤児院の地下で看病されている、寝たきりの老人。トードリリー出身であり、王都で騎士をしていた過去を持つ。実体を持つ幻を創り出す魔術『夢幻灯篭(ルシッドリム)』を使うことにより、トードリリーの夜間防衛を担っている。創り出す幻は、『守護騎士フェルナンデス』『従士パンサー』『愛馬ロシナンテ』の三つ。『夢幻灯篭』とは別に、魂を奪う力も持っており、幼少時代のクロエは彼に魂を奪われたことがある。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『トードリリー』→クロエが子供時代を過ごした孤児院がある町。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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