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928.「優しさの種類」

 空が暮れ色に染まる頃、空気に砂が混じりはじめた。もうじき砂漠に入る。そうなれば(いや)が応でも馬から降りなければならないのがもどかしい。


「十日後の約束に()に合うと思う?」


 背後から呆れ笑いが聞こえた。馬上でなければこれ見よがしに肩を(すく)めたことだろう、ヨハンは。


「充分間に合いますよ。上手くいけば、ですが」


 上手くいけば。竜人の協力を得られれば。冷静に考えてみると、随分と無茶な話だ。


「交渉が上手くいくと思う?」


「さあ。私は竜人の皆さんと直接やり取りしたわけではないのでなんとも言えませんが、率直な感想を述べるなら絶望的ですね。そもそも交渉になっていませんよ。ただのお願いです」


 だよね……。こちらが竜人に渡せるものは現状なにもない。ルドベキアに対して行ったような土地の認知なら後追いで出来そうだけど、竜人がそれを望むかというとまったくそんなことはないだろう。人間の土地と隔絶(かくぜつ)されていることを良しとしているんだから。


 やっぱりグリムに協力してもらうしかないのかも。彼が竜姫(りゅうき)に口添えして、竜姫が全員を説得するみたいな……結局は出たとこ勝負でしかないけど。


 押し黙って考えているうちに、馬上が不安定にぐらついた。いつの間にやら砂地に入っている。


 わたしとヨハンは無言で馬を降り、黙々と砂を踏んで先へと歩いた。


「いいアイデアは思いついた?」


 考えに煮詰まって、隣を歩く猫背男に声をかける。すると彼は、きょとんと首を(かし)げた。


「なんのことです?」


「竜人のことよ」


「ああ、まったく考えてませんでした」


 ……てっきりわたしと同じく考え込んでると思ったけど、がっかりだ。これじゃわたしばかり煩悶(はんもん)してるみたいじゃないか。


「少しは協力してよ。そういえばヘイズにいるときだってずっと黙ってたし」


 思い出すと、ふつふつと不満が沸騰していった。ベアトリスと言葉を交わしている間も、ヨハンはずっとだんまりだったのだ。


「お嬢さんを信用してるんですよ。私が助力せずとも道を切り(ひら)いてくれると信じてるんでさあ。実際、ベアトリスさんと上手く交渉したじゃありませんか」


「結果論でしょ、それ。こっちの不安な気持ちを()んでくれてもいいんじゃない?」


「心細かったんですか?」


 そう言われて、反射的に首を振った。それを認めるのは悔しい。いや、ヘイズにいる間に大きな不安を味わったわけではないけど……なんと言うか、もうちょっと親切な一面を見せてくれたっていいんじゃないのとは思う。それに、ヨハンが交信魔術を使ったタイミングがあまりにも功利的なので、それが腹立たしかったりする。


「あ」


「なんですか、お嬢さん」


「そういえば、なんで『固形アルテゴ』を回収させたのよ。ベアトリスの説明を聴いてたわよね? 身体が溶けるっていう……」


 触れればたちどころに肉体が溶ける。ベアトリスはそう言ったのだ。大昔の手記の内容とはいえ、今だって同じ作用を持っている可能性もあるじゃないか。


 ヨハンは乾いた笑いを漏らして、平然と言う。


「その心配はないでしょうね。かつてはそうだったかもしれませんが、今は無差別な力なんてありませんよ。『(うつろ)の母』でしたか、例の怪物の腹から出てきたことが証左(しょうさ)です」


「どういうこと?」


 いまいちピンとこない。


 ヨハンはわたしの物分かりの悪さをからかうように肩を竦めた。


「お嬢さんもお気付きかとは思いますが、『虚の母』はもともと血族ですよ。『固形アルテゴ』を飲みこんだ結果、魔物と血族の中間と言うべき存在になったんです。で、もし肉体を溶かす力が健在ならばそもそも飲みこむなど不可能なわけでさあ」


『虚の母』の背に()えた女性の顔が、脳裏(のうり)で明滅した。なに馬鹿な妄想言ってるのよ、と笑い飛ばすことは出来ない。背中の女性と(いびつ)な獣。それらは別々の意志を持っていた。少なくともわたしの見る限りでは。その意味では魔物としてひと(くく)りに出来る存在ではない。


 血族がさらに変異したなんて証明はどこにもない。あくまでもヨハンの推測だ。でも、それなら説明がつくと納得してしまっている自分もいる。異常な存在が生まれるためには、その過程において理解を超えた異常事があって(しか)るべきで、『固形アルテゴ』を飲みこんだという仮定はぴったりなんじゃ……?


「なんで飲みこんだのかしら……。だって、危険な物だっていう言い伝えはあったわけでしょ?」


「消えてなくなりたかったんでしょうね」あっさりと言って、彼は欠伸(あくび)をした。「それにしても、もうじき夜ですなぁ。いやはや、眠い。渡し(もり)の家でひと晩休みましょう」


「あなたは馬の背中で寝てればいいわ」


『虚の母』のことを考えながら、そう返していた。背に生えた綺麗な女の人。彼女がどうして、消えたいなんて思ったんだろう。


 分かるはずのないことばかり考えて胸の靄を濃くしてしまう自分に、嫌気がさす。けれど思考は止まってくれない。


「お嬢さん。最後に寝たのはいつですか?」


「知らない」


 どんな物事に直面したら、わたしは自分を抹消したいだなんて思うんだろう。少なくとも、ニコルと魔王をどうにかするまでは絶対に考えないだろうな、という気はする。どれだけ(つら)い思いをしても逃げるなんてありえないから。


 それでも、心が粉々に砕けてしまう(たぐい)のなにかが起こったとしたら。


「横になって目を閉じるだけでも身体が休まります。気付いていないだけでギリギリの状態なのかもしれませんよ。もし倒れでもしたら、十日後の約束だってフイになります」


「そのときはあなたが代わりに動いて」


 運河を越えて『霊山』に(いた)るまでの道中に、わたしの故郷であるトードリリーがある。厳密には、記憶にある限りの故郷だ。そこで産まれたのかどうかは知らない。


「私にはお嬢さんの代わりなんて出来ませんよ。だから、休むことです。単に身体のことだけじゃなくて、精神衛生上、眠ったり食べたりするのは必要なんですよ」


「その話、もう終わりにして」


 もう認めるけど、わたしはヨハンが好きだ。もちろん恋愛的な意味じゃなくて。だからこそ、放っておいてほしい物事もある。ヘイズで放置されたのと、今話してることは全然別だ。わたしに配慮してくれてるのは分かるし、その気持ちは尊重したいけど、どうしても直視したくない現実もある。


 濃くなる砂塵が眼球を刺激していく。()は駆け足で落ちて、もうじき周囲は真っ暗になるだろう。それでも、魔物の時間に入る前には廃墟にたどり着くはずだ。そこで一泊するつもりはない。ヨハンは本当に、馬上で眠ればいいと思う。


 ルドベキアを出てからわたしは、寝たふりしかしていない。目をつむっても頭は常に覚醒していて、(まぶた)の裏が見えるだけ。それでも疲労はまったくなかった。


 多分ここにシンクレールがいたら、夜毎(よごと)の寝たふりを続けただろう。ヨハン相手にそれをする必要はないと思ってるのだ。ある意味、とても甘えているのかも。


「もうなにも言いません」


 ヨハンの声はやけに優しかった。


「ありがとう」


「ひとつだけ約束してください。なにがあっても、目的を忘れないでくださいね」


 それでいい。ヨハンは徹底的に功利主義でいればいいのだ。わたしに対してだって同じ。芯に食い入るような優しさは、二人の間には必要ない。薄っぺらで、笑い飛ばせるくらい馬鹿馬鹿しい、底の浅い優しさだけでいい。


「忘れないわ。大丈夫」


 胸の内側の圧迫感を無視して、砂塵の先を見つめた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『グリム』→『岩蜘蛛の巣』に暮らしていた小人。かぶっている間は姿を消せる帽子型の魔道具『透過帽(とうかぼう)』を持つ。竜人の至宝とも言える存在『竜姫』の結婚相手。詳しくは『597.「小人の頼み」』『第四話「西方霊山」』にて


・『竜姫』→竜人たちにとって、族長に次ぐ重要人物。竜人たちの住処である『霊山』一帯の山脈に雪雲を固定し、人間の侵入から守っている。彼女の姿を見た者は目が潰れ、命を失うとされる呪いを持つ。『聖域』と呼ばれる場所に隔離されており、接触が出来るのは盲目の世話人であるパルルか、唯一前述の呪いの対象にならない族長のみ。詳しくは『687.「姫の呪い」』『Side Grimm.「困惑小人の赤面」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『固形アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。固形。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『トードリリー』→クロエが子供時代を過ごした孤児院がある町。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて

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