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926.「系譜は虚ろに終わりゆく」

 カイルのとぼけた勘違いにベアトリスの生真面目すぎる応対が重なって、わたしはもう、口の(はし)を『へにゃ』と曲げるしかなかった。自分が変な顔になってしまっていることは重々承知で、けれども修正する気力も起こらない。


 カイルの脳内で暴走したラブストーリーは百歩譲って分かるけど、わたしがフラれる理由が一ミリも理解出来ない。どういう理屈でそんなことになるのよ。


 頭を上げたベアトリスの表情があまりに痛々しくて、絶句するほかなかった。わたしの変顔を見てなにを思ったのか、彼は深刻な口調で言う。


「お前が善人であることは私も承知している。芯があり、行動も(ともな)っている。少々自信家の向きがあるが、それも悪いものではない。むしろ(とら)え方によっては美点にもなる。しかしだ、クロエよ。お前の想いに応えることは出来ん」


 壁際で、カイルがハッと手を口元に添える機敏な動作が、忌々(いまいま)しいくらい目についた。


「ベアトリス様、いけません! あなた様がラガニア人の誇りを重んじる清廉(せいれん)なお方であるのは、わたくし、骨の(ずい)まで心得ております。しかし、それでも、愛は絶対なのです!」


「カイルよ。私は(しゅ)の違いで判断しているのではない。のっぴきならない事情があるのだ」


「事情……ハッ! も、もしやベアトリス様! わたくしめの関知しないところで密かに愛を育んでいる方がいらっしゃるのですね!? 嗚呼(ああ)、クロエ様、あなた様が複雑怪奇な顔をしておられるお気持ち、わたくし、芯から同情いたします。しかし、恋敵の登場もまたラブロマンスの定番でございます。真実の愛とは、高く厚い障壁の向こう側で光輝(こうき)を放つもの……諦めてはなりません!」


 言葉の途中でカイルはわたしに駆け寄り、手を握ってきた。胸でパンパンに膨れた(あき)れの感情のせいで、振り払う気にもなれないくらい脱力していた。


 彼はわたしの手を両手でサンドしたまま、うっとりと夢見がちに天を(あお)ぐ。愛の二等辺三角形とかいう呟きが漏れたけど、もはや彼の口からどんなに珍奇な言葉が飛び出ようとも驚きはない。


「カイル」長テーブルの先でベアトリスが咳払いをした。「そうではない」


 召使いはわたしの手を解放し「そうではない、とは……?」と首を傾げた。


「ヘイズに恋人などおらん」


「では、もしや外界に熱愛の相手が――」


「違う」


「なんと……。ではでは、なにゆえクロエ様の恋情を()れないのでしょう?」


 あの、恋情なんてないんだけど。そう言おうと口を開いたけど、上手く声が出てくれなかった。喉の奥で呆れが渋滞を起こしている。


「カイル。お前も心得ているだろうに」


「はて?」


「私の肉体のことだ」


 瞬間、カイルが急に背筋をピンと伸ばし、それからほとんど直角と言えるくらい綺麗に頭を下げた。「申し訳ございません。わたくしとしたことが、配慮がおよびませんでした。いえ、むろん、ベアトリス様のお身体のことを忘れたことなど一度もございません。ええ、ええ。ただ、私見(しけん)を述べさせていただきますと、愛はそれさえ超越するものと存じます」


 なにがなにやらさっぱりだ。身体のことってなに?


「ええと」


 ようやく声を(つむ)いだ矢先。


「クロエよ。あまり驚かず、あるがままを見てくれ」


 そう(さえぎ)って、ベアトリスは鎧に包まれた腕――右腕の肘あたりをがちゃがちゃと動かしはじめた。やがて留め金が外れたのか、ガチ、とまとまった金属音が響く。


 肘から先の鎧が外れると、ベアトリスはテーブルの上にそっと置いた。


 確かにそれは異様な光景で、カイルの()き散らした派手な誤解を全部吹き飛ばすに()代物(しろもの)だった。


 彼の肘から先が、まったくの空白だったのである。


 静寂が広間を包んでいて、自分の呼吸がやけにうるさかった。


「今」ベアトリスの声はひどく落ち着いていた。「私の首から下はすべて、このような空洞になっている」


 そう言ってからベアトリスは元の通り、肘から先の鎧を()めなおした。そして、見せつけるように右手の指先を握っては開く。鎧のなかに肉体があるかのごとく。しかし、今しもそこに広がっていた(うつ)ろを目にしたばかりだ。呆気に取られ、思考が前に進んでくれない。


貴品(ギフト)については昨晩話したな?」


 わたしたちの呼ぶ魔具――つまり魔術製の特殊な武器のことだ。魔術の才に(とぼ)しい者や、魔力の薄い者に特別な力を授ける代物。身に宿(やど)る魔力を吸い上げ、一定の魔術行使を可能とする道具。


「え、ええ。聞いてるわ。集合墓地で使った剣が、貴品(ギフト)なんでしょ?」


 柄だけの剣から流れ出す靄。その力で『(うつろ)の母』を倒したのだ。


「厳密には違う。私の家に代々伝わる貴品(ギフト)は、この鎧だ。剣は出力のためのパーツでしかない」


 出力。その逆は当然入力なわけで――。


「この鎧は身に着けた者の肉体ごと魔力を食い、放出する。思い描く通りのかたちを()す、強力な力として」


 聞いてない。そんなことわたしは、聞いてない。


 知らず(うつむ)いた視界に、テーブルの木目が映っている。


「鎧を身に着けてさえいれば、そこに肉体があるかのように動かせる。自分でも錯覚するほど精巧(せいこう)にだ。感覚も確かに存在する。しかし先ほど見せた通り、中身は空白なのだ。取り戻すことは出来ない」


 過分な力は、相応の代償によって成り立っている。掛け値なしの奇跡なんて存在しない。魔術でさえ、魔力を消費するのだ。もっと素朴に言ってしまえば、歩いたり走ったりすることで体力が消耗するのと同じ。けれど唯一(ゆいいつ)違うのは、魔力も体力も食事や睡眠によって恢復(かいふく)するけれど、ベアトリスのそれは完全な喪失なのである。


「なんで先に言ってくれなかったの……?」


 昨晩の戦いで、彼は残りの肉体をどれだけ喪ってしまったのだろう。


 でも、こんなふうに言うのはフェアじゃないことも分かってる。ベアトリスは喪失を承知で、ルチルの救出に合意してくれたのだ。そして彼の力がなければ、『虚の母』は今でも地下深くで安穏(あんのん)としていたことだろう。


「鎖骨部分を(うしな)っただけだ。そう気に病むものではない」


「全部喪ったら、どうなっちゃうの?」


「それは私にも分からん。なにせ、この貴品(ギフト)――『虚喰(うろばみ)』をここまで使ったのは私以外にいないからな。代々受け継がれてきた道具だが、せいぜい足の指が消える程度の使用に(とど)まっている。そのおかげで血は途絶えずに私まで続いてきたのだが、私の代で男爵の系譜(けいふ)は終わりだ」


 首から下を全部喪ったなら、子孫を残せないのは当たり前である。それなのにどうして、と思ってしまうのも無理ないことだろう。分かっているなら、可能な限り喪失を(おさ)えるべきなんじゃないの……?


「すべて承知して、私はここまで使用したのだ。(あわ)れむ必要はない。それに私は、むしろこうなることを望んでいた(ふし)もあるのだ」


「こうなるって……身体のほとんどを喪うことを?」


「そう。厳密には、子を()せなくなることをだ。私は祖先にこそ敬意を払っているが、家族というものには失望しかない」


「それ、詳しく聞いてもいいかしら……?」


 ベアトリスは無表情で首を横に振る。立ち入ってくれるな、ということだろう。話してくれることと、そうじゃないこと。そのふたつを彼が厳密に区別している人だということは、わたしも知っている。


 ベアトリスは長く目を(つむ)ったのち、眉尻を下げてわたしを見つめた。


「ゆえにクロエよ、私はお前の好意に応えられん」


「あ、はい」


 こんな重たい話を聞いた後では、ベアトリスの妙な誤解をあえて消す気になれなかった。まあ、いいや。結果的に結婚云々(うんぬん)は成立してないわけだし。


「クロエ様クロエ様」ちょこんちょこん、とカイルがわたしの肩をつつく。耳元に彼の顔が寄るのが分かった。「愛はすべてを凌駕します。大丈夫です。わたくしめが保証します。ご用命いただければ、わたくし、全身全霊をかけて二人きりの時間を作りますので。ロマンスの神様の微笑に心を(ゆだ)ねるのです」


 誤解されていても別にいいや、と内心で決めたけど撤回だ。


「あのね、カイル。わたしはベアトリス卿に恋してないわよ」


 またまた、と言わんばかりにニヤニヤするカイルが憎らしい。多分、彼は一度思い込んだらよほどのことがない限り自分の考えを修正しないのだろう。


 助けを求めてベアトリスのほうを見ると、こっちはこっちで妙な反応だった。ハッとした顔だし、ちょっと頬も赤紫だ。


「そうなのか。そうだったのか。私はてっきり……」


 もごもごと呟いて目を()らすベアトリスを見て、(こら)え切れず、笑ってしまった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より

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