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925.「交換条件、あるいはロマンス」

 ベアトリスの放った『条件』という言葉で、ほとんど反射的に連想してしまったものがある。膨大(ぼうだい)な数の武装した血族たちを前に、背中合わせで刃をかまえるわたしとベアトリスの姿だ。戦場で夜会卿(やかいきょう)を相手にする代わりに、わたしをヘイズの戦力に組み込む。妥当(だとう)な要求だ。自分の力を過信しているわけじゃなくて、同じ場所で同じくらいの血を流すべきだという思考が、わたしから見たベアトリスの性格とぴったり一致していたのである。


 対面の鎧の男を見つめ、生唾を飲む。


 もしわたしの予感が的中したら、受け入れるしかない。もとよりわたしは王都側――人間側の指揮を任されているわけではないのだ。一対一の決闘ならまだしも、全体を俯瞰(ふかん)しつつ動かなければならない戦争において、わたしの重要度はさほど高くはないだろう。なら、ベアトリスの隣で戦うのも悪くはない。


 わたしが内心で決断した直後、ベアトリスは条件を突きつけた。


「竜人がヘイズの部隊に加わるのならば、お前たちに協力する」


「……え?」


 竜人? なんで?


 あまりに出し抜けな条件に、口が開きっぱなしになってしまっていた。


 竜人。そういえば、キャロルもその単語を口にしていたっけ。そういえば竜人の住む地は王都の遥か西方で、当然ながら――。


「運河を渡ろうとしてたのって、もしかして竜人に接触するためだったの……?」


「そうだ」


 果てのない掘削作業の光景が脳裏(のうり)(よみがえ)る。キャロルたちは運河を渡る手段を確保し、その上で『霊山』まで足を伸ばそうとしていたのだろうか。だとしたら……無謀(むぼう)と言うほかない。『灰銀(はいぎん)の太陽』と『緋色(ひいろ)の月』の一件で竜人たちと一時的に手を組むことが出来たけれど、決して簡単な道のりではなかった。ごく普通の人間がその地に足を踏み入れたらどうなるか、考えるまでもなく分かってしまう。


 ベアトリスが大きくため息をついた。首を横に振り、明らかに落胆した表情を見せる。感情表現の(とぼ)しい彼だけに、その仕草がやけに深刻なものに思えた。


「クロエよ、申し訳ない。過分な要求であることは理解している。が、各層の長はお前の提案に反対だったのだ」


 それで、無理な条件を押し付けることで体裁(ていさい)(たも)ったらしい。相手は人間の小娘だが、集合墓地の一件で借りがある以上、即座に突っぱねるわけにもいかなかったというわけである。


「なるほどね……」


「お前の提案が通るよう努力はしたが……申し訳ない」


 すっかり下がった眉尻(まゆじり)は、(かえ)ってこちらが罪悪感を覚えてしまうくらいの重苦しさがある。


 竜人をヘイズの戦力にするのは、随分と難題だ。


 でも――。


「分かった。竜人を引き入れればいいのね?」


 少しだけホッとしてる自分もいる。絶対に不可能な条件ではないのだから。


 案の定、ベアトリスは目を丸くした。


「出来るのか?」


「やってみる。時間はどのくらいもらえるのかしら?」


「十日以内であれば、(いくさ)()に合うだろう」


 十日か。マグオートから『霊山』までおよそ五日かかるとして、交渉を終えてマグオートに帰還するのを考えると十日は厳しい。ただ、時間を削減する方法はある。


「じゃあ、ラクローに根回ししておいて。十日以内にマグオートに竜人が来るから混乱しないように、って」


 竜人の翼を借りれば復路は短縮出来る。すべて上手くいった仮定の話でしかないけど。


「見込みはあるのか?」とベアトリスは怪訝(けげん)そうに返す。


 そう言われると怪しい。竜人の首を縦に振らせる材料が今のわたしにあるのかというと、残念ながらない。竜人にとっての最重要人物――竜姫(りゅうき)と結婚したグリムを説得するとか? それもひとつの手ではあるけど、可能性は高くないだろう。竜人にとってのメリットがないのだ。


 とまあ絶望的ではあるけれど、なんとか表に出さないよう、不敵(ふてき)な笑みを作ってみた。


「可能性はあるわ。十日以内にヘイズまで竜人が来るから、それで交渉成立でいい?」


「あ、ああ」


 わたしの反応が意外だったのだろう。ベアトリスはすっかり面食(めんく)らっている。当たり前の反応だ。山奥に(こも)った種族を説得して戦場まで引き込むなんて、鼻で笑ってしまうくらいの無謀さがある。それでも、わたしは一度成し遂げているのだ。


「話はまとまりましたね?」沈黙を縫って(はっ)したのは召使いのカイルである。彼はニコニコと壁際にたたずみ、なにやら揉み手をしている。「では、本題に入りましょうか?」


 思わず首を(かし)げる。本題ってなに?


 ベアトリスの顔を(うかが)ったけど、どうやら彼もピンと来ていない様子だった。


「カイルよ。本題とはなんだ」


「はい、ベアトリス様。本日の最大級の重要な決め事でございます」


「だから、なんのことなのだ」


 カイルは咳払いをひとつして、両腕を広げた。


「婚礼の()のことでございますよ!」


 こんれい。婚礼。ああ、結婚のことかしら。えっと、なんでそれが重要なの? そもそも誰の結婚?


「ともに過ごした時間の多寡(たか)で測るほど、わたくしめは狭量(きょうりょう)ではございません。お二人が強く()かれ合っていることは、わたくし、ビシビシと、さながら鞭打たれるごとき激しさで感じておりました」


 なにを言ってるんだろう、この人。


「昨日、(ひざまず)いたベアトリス様のお姿には愛ゆえの情熱が溢れておりました。そしてお二人が夜半にお出かけになったこと、わたくしとしましては複雑な心境であったと打ち明けます。なにせ会ったその日に結ばれるなど、あまりに性急でございますからねぇ。しかし! しかしです! このわたくし、反省いたしました。時間などお二人にとっては些末(さまつ)な問題なのです。むしろ、これまで出会わずにいた膨大な時間の流れにこそ(なげ)くべきでしょう! 嗚呼(ああ)! 集合墓地でともに怪物を打ち倒し、そして共同戦線の興奮と開放感から、お二人は永遠の愛を誓ったのでしょうな!?」


 なんでこんなにうっとりしてるのよ、カイルは。


「わたくし、ロマンスに目がないのでございます。幼い頃より、数限られた書物を繰り返し読んだものです。ベアトリス様もご承知の通り、ヘイズの書物は実用書や記録の(たぐい)がほとんどで、物語は一握(いちあく)の砂ほどしかない。そのなかでもラブロマンスは片手で数えられるほど……。わたくしが高邁(こうまい)な思想書や実用料理本の端書(はしが)きにさえロマンスの影を見たのは言うまでもないことでありまして、自分でも(ひそ)かに執筆活動をしているのはベアトリス様もご存じなかったことでしょう。そうでしょうねえ!?」


「あ、ああ」と明らかに気圧(けお)された様子のベアトリス。わたしも声が出ないくらいには唖然(あぜん)としてしまっている。


「いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていたんですよ、わたくしは。グレキランス人とラガニア人……決して相容(あいい)れない二人……加熱した禁断の愛は破滅的な結末へと突き進んでいく。しかし、しかしです! 二人は放浪の(すえ)、浜辺に打ち捨てられた一艘(いっそう)の小舟で新天地を目指すのですよ! 居場所がないなら作ればいいのです! たとえそれが世界の果てであっても! 嗚呼、第一部完!」


 なんでそんなに熱くなってるのよ。しかも途中から浜辺とかボートとか、わけが分からないし……。


 困惑のままベアトリスに視線を送ると、彼はどうしてか深刻な顔つきになっていた。わたしを見返す瞳も、どこか(うれ)いがある。


「クロエよ」


「な、なに?」


 ベアトリスの声は沈痛そのものだった。苦しさを少しも隠してない。


 まさか、(じつ)はわたしのことを本気で好きになってるとか……? いやいや、まさか……。


「申し訳ないが、お前の好意には答えられない」


 そう言って深々と頭を下げたベアトリスを見て、呆然(ぼうぜん)としてしまった。


 いや、なんでフラれてるのよ、わたし。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『グリム』→『岩蜘蛛の巣』に暮らしていた小人。かぶっている間は姿を消せる帽子型の魔道具『透過帽(とうかぼう)』を持つ。竜人の至宝とも言える存在『竜姫』の結婚相手。詳しくは『597.「小人の頼み」』『第四話「西方霊山」』にて


・『竜姫』→竜人たちにとって、族長に次ぐ重要人物。竜人たちの住処である『霊山』一帯の山脈に雪雲を固定し、人間の侵入から守っている。彼女の姿を見た者は目が潰れ、命を失うとされる呪いを持つ。『聖域』と呼ばれる場所に隔離されており、接触が出来るのは盲目の世話人であるパルルか、唯一前述の呪いの対象にならない族長のみ。詳しくは『687.「姫の呪い」』『Side Grimm.「困惑小人の赤面」』にて


・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺(ぎんりょう)膝下(しっか)


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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