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924.「手のひらの祈り」

 布袋(ぬのぶくろ)に入れた指先が、ひんやりとした金属に到達した。レイブンの遺産とも言える運河の鍵。(いな)、地下空間を固定する鍵だ。


 わたしがレイブンなら、こんなものを作らない。持ち運びの容易な代物(しろもの)で空間を制御させるなんて、どう考えてもリスキーだ。現にこの鍵をわたしが持っている限り、運河の地下に広がる魔術空間は誰に対しても門扉(もんぴ)を閉ざしている。キャロルたち作業員がどれだけ深く穴を掘ろうともその場所には到達しえない。単に運河を渡る道を作るというだけであれば、もっと別のかたちの空間固定方法があるはず。たとえば石板とか。要するに、簡単な持ち運びを許さないものを鍵にしたほうが結果的に安全なのだ。手のひらサイズの鍵で一切を管理するだなんて、もし盗まれり()くしたりすれば大事(おおごと)なわけで、レイブンの頭にそうした懸念が抜けていたとは思えない。


 けれど彼は、手に収まる鍵の形態を選んだ。そこには確実に意図がある。


「レイブンは人間が滅ぶなんて考えてなかったわ」


 ベアトリスの目が若干細くなった。彼は「先ほども言った通り」と落ち着いた声色(こわいろ)で、一語一語を強調するごとく、ゆったりと返す。


「レイブンの思惑(おもわく)は書物に(のこ)されていない。ゆえに想像するほかないのだ。そして論理的に考えれば、彼がマグオートとヘイズを接続した意図はグレキランス人の救済にある」


「そこは異論ないわ」


「つまりグレキランス人に危機が訪れたとき、ヘイズとマグオートの繋がりに生き残りの道を(たく)したことになる」


 そうは思わない。いつかグレキランスの人々を救うという意志がレイブンの頭にあったことは同意するけど、人間の滅亡と直結はしない。むしろ、別の物事がわたしには見えている。


 布袋から手を引き抜く。


 テーブルにひと(かたまり)の金属を乗せた。


「……それは?」


「鍵よ。運河を――魔術製の地下空間を固定するための鍵」


 鎧が鈍く鳴った。立ち上がったベアトリスが、テーブル沿いにこちらへと(あゆ)みを進める。彼の視線は一直線に、わたしの前の鍵へと向けられていた。その眉間(みけん)にはうっすらと(しわ)が寄っている。


 篭手(こて)に包まれた指が、黒ずんだ鍵を()まみ上げる。


 ベアトリスはそれからしばしの間、鍵をじろじろと検分した。


「本物なのか?」


「ええ。疑うなら一緒に運河をデートする?」


 鍵をテーブルに戻し、ベアトリスは自席へと戻っていった。いまいち釈然(しゃくぜん)としない――席に戻った彼の顔から、そんな想いが透けて見えた。


「奇妙な因果(いんが)だ」


「ええ。わたしもそう思う」


「……渡し(もり)が消えたのはラクローから報告を受けている。まさかお前が殺したのか?」


 違う、と答えようとして息が詰まった。その代わり、はっきりと分かるように(うなず)きを返す。


 わたしはキララの命を終わらせた。殺したという表現でも間違いはない。決定的な行動を起こしたのはクラナッハだけど、そのあたりのことを懇切丁寧に説明する気はない。わたしがその場にいたのも、キララの終わりへの願いを真摯(しんし)に受け止めたのも事実なのだ。誰が手を下したかは問題ではない。


「最後の渡し守――キララは、全部を終わりにしたかったの。わたしは、わたしたちは、彼女の想いを()んで鍵を引き継いだだけよ。ただ、渡し守の役目は引き継がなかった」


 沈黙が部屋に降りる。その間ベアトリスはわたしを見つめ続けたし、こっちも目を()らさなかった。気まずさはない。わたしは、受け止めるべき視線を受け止めているだけなのだ。それに、キララに関する出来事に後ろめたさを感じることもない。胸の痛みはあるけれど、それを後悔にしてしまったら彼女の途方もない日々や、その(すえ)の祈りを冒涜(ぼうとく)することにもなる。


「運河の両側は昔ほど行き来はなくなっている。それぞれの村や町で自活出来ている以上、行商も必須ではない。渡し守の不在がおよぼす影響はゼロではないが、罪となるほどの物事ではないだろう」


「そう言ってもらえてよかったわ」


「しかし、なるほど……鍵か。どうりで地下空間に行きつかないわけだ」


 ベアトリスが苦笑を見せる。


 キャロルが従事(じゅうじ)していた作業には、ベアトリスの思惑も(から)んでいるに違いない。おおかた運河の先の村々をマグオートに取り込むといったところか。


 となるとベアトリスにとって、運河の鍵はなんとしても手に入れたい道具となる。


 わたしは交渉のカードとして鍵を出したんじゃない。もっと別の意味がある。


「オブライエンは今も地下にいるわ。今回の戦争でも、地下に(こも)っているつもりよ」


「……レイブンと共同で作った地下に、か」


「そう」


 ベアトリスが天井を(あお)ぐ。ようやく分かってもらえたらしい。


 レイブンが運河の鍵を持ち運び出来る形態にした理由。そしてそれを、渡し守に継承した理由。


「わたしたちは戦争に乗じてオブライエンを討つわ。レイブンが願った通りに」


 オブライエンの居城と運河。そのふたつの作りは同じはずだ。オブライエンを潰す意志がレイブンにあったのなら。そして(のこ)された鍵は、意志を感じ取るに()る道具である。


 ベアトリスは天を仰いで絶句していた。なにを考えているか分からないけど、その頭にほんの一部でもいいから、わたしと同じ可能性が浮かんでいれば(さいわ)いだ。


「レイブンはオブライエンの討伐を望んでいた。ヘイズとマグオートを繋げたことも、あなたが言ったのとは別の意味があると思う」


 鍵の存在と、ふたつの土地の接続。それらはわたしの想像のなかで、ひと続きの祈りを形成していた。


「グレキランス人とラガニア人が協力して、オブライエンを討つように願ったのよ。きっと」


 残念ながら、レイブンの意図した通りの流れにはならなかった。人間と血族は決定的な争いを起こそうとしている。もはや止めようのない衝突だ。


 それでも、レイブンのしたことは無駄ではない。今わたしの手に、オブライエンの地下空間を固定化させる重要な道具がある。そしてヘイズの(おさ)と対面している。レイブンが用意した状況を()かすも殺すも、今を生きるわたし――いや、わたしたち次第なのだ。


「お前たちは」ベアトリスは天を仰いだまま、(しぼ)り出すようにこぼした。「ふたつの敵を同時に相手しようとしているのだな」


(さっ)しがいいわね。あなたの言う通り、わたしたちは地上で血族を相手しながら、地下でオブライエンの息の根を止める」


 正確にはゾラたちと協力して、だけれど。それでも困難な状況であることにはなんら変わりない。


 だからこそ、もうひと押しが必要なのだ。オブライエンを討ったとしてもグレキランスが滅ぼされたら意味がない。地上での戦闘を有利に進めるためには、まだ戦力が足りないのだ。


「わたしたちに手を貸して。一緒に夜会卿を討ち取りましょう。ヘイズの部隊を攻撃しないよう、王都の人間に根回しする。……もし手助けしてくれないなら、その分、オブライエン討伐の確率も怪しくなる……かも」


 完全に嘘というわけではない。実際にオブライエンとぶつかるのはゾラたちだけど、戦況次第ではオブライエン討伐組に援軍を送ることだって出来る。ベアトリスたちが夜会卿を受け持ってくれるのなら、戦局も変わるはずだ。


 ベアトリスが、視線をわたしへと戻した。悩んでいる様子はない。ただ、沈黙していた。


「さっきまでの会議も、集合墓地のことだけを話してたわけじゃないでしょ?」


 人間側に協力するか(いな)か。ベアトリスへの問いは昨晩から保留となっている。そのことを各層の長と相談したのは明らかで、すでに結論は出ているに違いない。


 ふ、と息の漏れる音が、やけに大きく響いた。


 ベアトリスの口が開く。


「お前たちに協力しよう」


 弛緩(しかん)しかけた身体が、次の言葉で硬直した。


「ただし、条件がある」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『キララ』→廃墟に接する運河の、渡し守を担う女性。元々は渡し守の家柄ではなく、そこの召使いでしかなかった。詳しくは『第三章 第二話「妖精王と渡し守」』にて


・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果として行動。可哀想な人の方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺(ぎんりょう)膝下(しっか)


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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