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923.「膨大な時間の果てに」

『高度に発達した分野は、しばしば近傍(きんぼう)の研究者にとってさえ理解のおよばないほど先鋭化する。樹木の先端はいくつも分岐し、手を伸ばせども届かぬほどに成長する。学問なる大樹は雲を突き抜け空を(おお)い尽くしており、一本の枝の先端さえ見通すことは叶わぬ。魔術という名の枝も無数に分かれ、全貌(ぜんぼう)を知る者などこの世にひとりもいない』


 かつて王立図書館で読んだ書物の一節だ。上級魔術理論だとか、そんな名前だったと思う。さっぱり意味が分からなくて、先人に失礼な態度なのは重々承知しながら肘を突いてぼんやりとページをめくった記憶がある。数えきれないほどの欠伸(あくび)をもたらしたその本のことを覚えていた自分が不思議だ。そして先の一節の意味がこの瞬間、おぼろげながら分かったのはわたしの成長だろうか。


 オブライエンがまだ人間だった時代――つまりは大昔。レイブンなる男は、空間に関する魔術を専門としていたらしい。転移魔術もそのひとつだ。物質の硬度操作や、形状と配置の変更は特に得意だったとの話である。


 レイブンの略歴を語るベアトリスの声に、わたしは全神経を集中していた。赤黒い木製テーブルや黒の鎧、蝋燭の灯り。そうした現実的な視覚情報はほとんど意識に入ってこない。脳裏(のうり)に展開されているのはラルフの記憶の映像だ。夕焼けに染まったウェルチ(てい)の庭。そこに立つ、不死者となったオブライエン。


 ベアトリスは『レイブンがオブライエンのために行った仕事は、後にも先にもひとつ。奴の隠れ家作りへの協力だけだ』と言った。その意味するところはひとつ。王都の地下に広がる空間は、オブライエンとレイブンの共同制作物というわけだ。


 その後、お払い箱となったレイブンは王都西方を流れる運河を越えるための空間を作成し、初代の渡し(もり)として生活を送っていたらしい。ところがラガニア崩壊の一件があり、魔物の出現という異常事態が起こった。レイブンはグレキランスに(しょう)じた異変をすぐさまオブライエンと結びつけて考えたらしく、渡し守の仕事をほかの者に引き継ぎ、着々と準備を進めたのである。


「レイブンはオブライエンを恐れていた。いつか必ず自分を抹消しにくるだろうという想像が(ぬぐ)えなかったのだ。短期間の共同作業で、オブライエンの異常性に気付いていたのだろうな」


 一度は解放した有能な男。そこに再び手が伸びる理由は分かる。地下空間が完成したのは戦争の初期で、さすがのオブライエンもその後の展開をすべて先読みしていたわけではないことは、ラルフの記憶からも明らかである。スタインの死をトリガーとする『気化アルテゴ』の散布。そのシナリオはオブライエンにとって望ましいものではなかったのだろう。認めたくないけど、彼が本気で双子の兄を愛していたことは事実なのだ。


 ラガニア崩壊後のオブライエンについてすべてを知ったわけではないけれど、彼が安全に地下空間に留まり続けるには排除しておくべき存在がいる。かつての共同制作者だ。もし自分の居城が(おびや)かされるとしたら彼以外にいない――思考がそのように流れていく(さま)容易(ようい)にイメージ出来る。


「事実として、のちにオブライエンは運河を訪ねたらしい。が、そのときにはレイブンはこの世にいないものとされていた」


「それって……」


「彼が暮らしていた運河沿いの村がある。砂漠の村だ。レイブンは一連の引継ぎを終えて数日後、釣りをしている最中に足を(すべ)らせて運河に落ちた。むろん、わざとだ」


「目撃されるように落ちたのね?」


 ベアトリスは薄く首を縦に振って肯定した。


 単に口裏を合わせるだけではオブライエンに看破(かんぱ)されてしまう。そこまで警戒していたということだろう。レイブンの慎重さは妥当(だとう)だ。オブライエンは洗脳魔術にも(ちょう)じている。嘘なんてすぐさま見破ってしまうに違いない。


「レイブンの姿は水中で消えた。現在のマグオートの地下にあたる場所まで転移しただけのことだが……目撃者には、波に()まれて見失ってしまったとしか映らない。今はどうなっているのか知らないが、当時の運河は急流だったらしいな。つまり亡骸が見つからずとも不自然ではないどころか、遺体がないのが当たり前の状況だ。かくしてレイブンは(みずか)らの生存を隠蔽(いんぺい)しおおせた」


 それでも彼は、王都から遠く離れた地へと亡命したのだ。


 話を聞く限り、レイブンは魔術師として(まぎ)れもなくトップクラスの優秀さを持っている。慎重で、行動が早く、先を見る力にも()けている。そんな男でもオブライエンと真っ向勝負なんて選ばなかった。ただひたすら逃げたのだ。


「我が祖先の話に戻ろう。……バーンズ卿がレイブンとオブライエンの関係性を知ったのは、共同生活を送りはじめ、ヘイズの第一層を発見してからのことだ。手記には数年後とだけ(しる)されている」


 ラルフの記憶に映ったバーンズの顔が頭に浮かぶ。貪欲(どんよく)狡賢(ずるがしこ)く、そのくせ目先の利益を過大評価してしまう小太りの男。支配欲だって一人前だった。そんな彼が夜会卿によってどれほど心を折られたのかは分からない。でも多少性格は変わったのだろう。打ちのめされた者同士で協力し、(つつ)ましく生活を送る程度には。


 それにしても、気になることがひとつある。おそらくバーンズ相手であれば、レイブンはすべての秘密を伏せたままでいられたはずだ。なぜ告白したのだろう。


「どうしてレイブンは秘密を打ち明けたのかしら。まさか、オブライエンがラガニアにしたことを知らなかったわけじゃないでしょ?」


「当然知っていた。バーンズ卿はレイブンに対し、ラガニア人――お前たちの言う血族の成り立ちを説明していたのだからな。独立宣言をしたグレキランスの双子王、スタインとオブライエンによって自分たちの()(かた)を変えられたのだと」


 ……となると、レイブンはリスクを負って自分の過去を語ったことになる。亡命したからといって、簡単に受け入れてもらえる問題ではない。かつてオブライエンに協力していたというだけで憎悪の対象になりうるのだから。


「バーンズなら理解してくれると思った……とか?」


 二人の境遇は近いともいえる。バーンズはオブライエンに首都ラガニアの土を踏ませた(とが)で夜会卿から(しいた)げられ、最終的には流刑となったのだ。予期することなど出来なかった罪で裁かれたのである。


 長テーブルの向かいで、ベアトリスは神妙な面持ちを浮かべて腕組みをした。その視線がテーブルに落ちる。


「そのあたりの心情は記されていない。()(はか)れるような記載もない。ただ、所感(しょかん)を述べるなら」


「なら?」


 伏せていた目を上げて、彼は射るようにこちらを見つめた。瞳に灯った蝋燭の光が(かす)かに揺れる。


「いつかこうなることを予測していたのかもしれん」


 膨大な時間の果てに存在する現在。ベアトリスの言葉がなにを()しているのか、考えずとも分かってしまった。


「血族が戦争を仕掛ける、ってことね」


「というよりも、グレキランス人が滅ぶと感じていたのだろう。そのときに、ごく(わず)かでも同胞(どうほう)を生かすよすがとして、ヘイズとマグオートを密かに繋げたのだ。オブライエンの作り出した分断を、ごく一部の者たちだけでも越えられるようにしつらえたと言ってもいい。事実として、レイブンの過去を知ったバーンズ卿は代々――この私の時代にまで残る慣習をヘイズに根付かせた」


「慣習?」


「マグオートの長を含めた定例会だ。場所はここ。ヘイズの各層の長に混じって、(へだ)てのないテーブルに着く」


 ここの人々がわたしの姿を見ても敵意を()き出しにしなかった理由が、ようやく()に落ちた。人間の姿はさほど珍しいものでもないし、ましてやベアトリスの導きであれば敵ではないと判断したのだろう。


 オブライエンのもたらした悲劇が今という時間まで続いているように、レイブンの意志も細く、しかし緊密に継承されている。


 膝の上の布袋(ぬのぶくろ)を、そっと指先で撫でた。レイブンの(のこ)したものは、ほかならぬわたしの手にもあるのだ。最後の渡し守――キララの遺産とも言える鍵が。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『キララ』→廃墟に接する運河の、渡し守を担う女性。元々は渡し守の家柄ではなく、そこの召使いでしかなかった。詳しくは『第三章 第二話「妖精王と渡し守」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『スタイン』→オブライエンの双子の兄。オブライエンとともにラガニアに宣戦布告した。スタインの死をトリガーとして、人を変異させる兵器『アルテゴ』がラガニアに拡散された。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ウェルチ』→オブライエンとスタインの父。グレキランスを治めていた男。温厚な性格。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『バーンズ』→かつてラガニアに属していた町であるグレキランスの領主。金満家。オブライエンによって失脚した。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』にて


・『気化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『液化アルテゴ』が気化したもの。膨張を繰り返し、急速に広がる。吸引した人間は多くが魔物となり、一部が他種族に、ごくごく一部が『黒の血族』へと変異する。オブライエンは双子の兄であるスタインの体内に『液化アルテゴ』を設置し、生命活動の停止に伴って外気に触れるよう仕組んだ。スタインが処刑されたことにより、ラガニアは滅亡することとなった。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて


・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺(ぎんりょう)膝下(しっか)


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『王立図書館』→王都グレキランスにある図書館。クロエが好んで通っていた場所


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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