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914.「地下の月光」

 入り口の柵を通過してすぐに出会った少年には面食らったけど、入り組んだ通路を進んでいくうちに、段々と感覚が麻痺してきた。どこもかしこも亡者だらけで、ざりざりざり、という靴音が絶え()ないのだ。道行く亡者たちはわたしたちの姿を発見するや(いな)や足を止めて、じいっと見入る。角を曲がるたびに決まって数人分の双眸(そうぼう)が待ち構えているのだ。慣れるというのは違うけど、いちいち驚かないくらいにはなってしまった。


 前を行くベアトリスは迷いのない歩調である。いくつも曲がり角や(つじ)があるというのに、悩む素振(そぶ)りさえない。


「広場まではあとどのくらい?」


「まだしばらくかかる」


 急を要する状況だけど、わたしたちに『走る』という選択肢はない。ベアトリスによると『(うつろ)の母』は決して亡者を襲わないらしい。侵入者だけを――生者だけを襲撃する。そして、地面の振動で侵入者を察知するという特徴があるとの話だ。走りさえしなければ、振動という点では亡者と判別はつかない。もどかしさはあるけれど、余計な刺激は避けるに越したことはない。


 音による察知は出来ないようで、こうして彼と会話するのも支障ないのはありがたい。


「ベアトリス」


「なんだ」


「ここ全体が集合墓地なのよね?」


「ああ、そうだ」


「なんだか墓地らしくないわね」


 今わたしたちが進んでいる道は、天井のあたりに根っこがちらほらあるだけで、ほとんど()き出しの岩肌である。しかしながら天然の洞窟と考えると、いささか平たすぎるのだ。それにところどころ、放置された樽やら踏み砕かれて原型の分からない木片などがあった。根が少ないのでその分だけ光に(とぼ)しいのだけれど、食器らしき物も転がっていたりする。ちょうどわたしの目線くらいの高さに空いた横穴の先に、(あら)い造りのベッドらしき物体があったりもした。なにもかも、墓地には無用の代物である。


 この場所には明らかに生活の痕跡がある。まさか亡者たちが作った町とかなんじゃ……?


「ここは以前、居住区だったのだ」


「だから家具とかがあるのね。てっきり亡者が暮らしてるんだと思ったわ」


「亡者は生活しない。ただ歩くだけだ」


 そして生きている者には、立ち止まって視線を送る。ただそれだけの存在なのだろう。


 兵士らしき武装をした短髪の亡者が、じっとわたしを見つめている。その隣には薄着の女性が立っていて、やっぱりこちらに視線を送っていた。おそらく兵士は地下に出来た空白に落ち、『虚の母』に食われて亡者となったのだろう。でも、女性のほうはそうじゃない気がした。明らかに外を出歩くような()で立ちではない。


「ここが居住区じゃなくなったのって……」


「お前の思っている通りだ。『虚の母』が誕生し、人の住める場所ではなくなった」


 そこかしこにいる亡者の多くは、もともとここの住民だったというわけか。それなら、この人数にも納得がいく。そこそこ活気のある地区だったに違いない。


 ある日突然強力な魔物が出現して、なにもかも奪い去っていく。ありふれた悲劇のひとつだ。グレキランス領でも、どれだけの町や村が魔物の襲撃によって消えたことか。歴史書を紐解(ひもと)くまでもない。きっとラガニアでも、それは同じなのだろう。


「『虚の母』を倒せば、亡者たちはいなくなっちゃうのかしら」


 言ってから、反射的に自問が浮かぶ。


 わたしは亡者たちのことを、このままにしておきたいと思ってる? それとも肉体だけでも解放しようだなんて考えてるの? でなければ、どうなってもかまわない?


 気付くと下唇を噛んでいた。


 自分の行動によって様々な物事が変わってしまうのは、もう何度も経験したじゃないか。特に――。


 月光色の髪。(いただ)きの地の毛深い魔物。雨の葬列。


 あらゆる決断に責任が伴うわけではない。否応(いやおう)のない物事というのは絶対にあるのだ。それに、ある種の思考の放棄によって決断にまつわる苦しみから逃げることだって出来る。ただ、誰だって自分自身からは逃げられない。頭のなかで響き渡る糾弾(きゅうだん)の声から耳を閉ざすことなんて出来やしないのだ。


 わたしはテレジアを殺した。殺すことを選んだ。そして魔物と人の(あいだ)を行き来するギボンたちは、愛する教祖を失ってどこか別の土地へと旅立って行ったのだ。


「どうであろうと、ここには命などない」


 思考はベアトリスの声で両断された。


 渦巻く煩悶(はんもん)が遠ざかっていく。答えの出ないまま。


 漆黒の鎧の背は、(かたく)なな厳粛さを(たた)えていた。




 亡者たちの群れを横切って進んでいるうちに、闇が徐々に薄くなっていった。これまでは天井付近で固まった赤黒い根が薄明かりを投げていたのだけれど、明らかにそれとは別の光が通路の先から(あふ)れている。日光よりも青白く、根の光よりも輝度が高い。どことなく月光のような……。


「この光って?」


「広場の光が流れてくるのだ。あの場所には豊かな光源がある」


 へぇ、と思ってから、さして不思議でもないか、と思い直す。ルドベキアも日光の届かない土地だったけど、いくつもの小さな光が集まって幻想的な空間と化していた。光を放つ動植物は決して珍しいものではない。


 けれど――。


「わぁ……」


 通路の先に開けた空間が見え、嘆息(たんそく)してしまった。通路の終わりには全体的に苔むした、広いドーム状の空間があったのだ。ドームの上部は太い根が放射状に広がっていて、頂点には根に覆われた巨大な球体が(なか)ば埋まっている。それが(なめ)らかな白光を投げているのだ。広場は満月の下のように白々と照らされている。


 月に似た植物なんて、わたしは知らない。王都の植物図鑑にも()っていなかったはず。まあ、この赤黒い根っこについても記述はなかったわけだけど。改めて、世界は自分の知らない奇妙なものたちで溢れている事実に直面した思いだ。


 ベアトリスは広場に入る一歩手前で、姿勢を低くして立ち止まった。わたしも彼に(なら)う。幻想的な空間に感動している場合ではないのだ。今はルチルの救出が最優先事項で、しかも警戒すべき魔物もいる。


「『虚の母』はいないな。地底湖だろう」


 広場の一角に、天井まで到達するくらいに巨大な亀裂が走っていた。たぶん、その先が地底湖に続いているのだろう。それ以外に大型魔物が出入り出来そうな隙間は見当たらない。


「ルチルは……いないわね」


 目を()らしても、広場のどこにも消えた兵士の姿はない。と思った矢先、ベアトリスがドームの頂点付近を(ゆび)さした。「運ばれている途中だ。まだ襲われていないようだな」


 指の先を見ると、よくよく見れば根に包まれた人影がある。根の影になっていたから、さっきは気付かなかった。何十メートルも上空にいるので息があるかどうかまでは分からない。が、身動きはしていないようだった。


「そのうち広場の地面まで運ばれる。それまで待つほかない」


 ベアトリスは冷静に言い放つ。確かに、頂点まで登って兵士を抱えて降りてくるのは難しい。


 それにしても、ベアトリスはこの空間についてなにもかも熟知しているように感じてならない。亡者に驚かなかったのはまだしも、『虚の母』が振動で侵入者を察知するなんて、よほど研究しなければ把握出来ない物事に思える。


 気取(けど)られないように、そっと彼の横顔を盗み見た。兜に隠れて、ほとんどなにも分からない。でも、ちらと見えた瞳は、ルチルの落下を味わった直後より、ずっと生命力が宿っているように見えた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて


・『ギボン』→別名『魔猿』。毛むくじゃらの姿をした人型魔物。森に出現する。詳しくは『294.「魔猿の王様」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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