913.「亡者」
緩やかな傾斜の道を、わたしとベアトリスは駆けていた。行く手に出た魔物をすぐに倒せるよう、サーベルは抜いたままだ。おかげでグールに遭遇してもほとんど足止めされることなく進めている。
「転ばぬよう気をつけろ」
「分かってる。大丈夫よ」
足場は相変わらず根っこまみれだけれど、幸い転ばずに走れている。
思い切り疾駆出来るのは落下の危険がないからだ。出発した直後にベアトリスが教えてくれたのだが、集合墓地は巨樹の真下にあるらしく、したがって岩盤の浸食はされない。そこへと向かう通路も迂回はしないため、足場という意味では安全なのだそうだ。
わたしは全然平気だけれど、ベアトリスも息切れしている様子がないのだからすごい。鎧姿なのに。速度だってかなりのものだ。
「そういえば墓地にいる魔物って、どんなやつなの?」
駆けながらたずねる。兵士が言うにはベアトリスでも敵わない相手らしいけど……。
「墓地に足を踏み入れた者を襲う魔物だ」
特定の場所を縄張りとする魔物、か。そういう魔物とも何度か戦ってきている。『最果て』のラーミア、『岩蜘蛛の巣』のアラクネ、そして高原のデュラハン。いずれも簡単な相手ではなかった。
「じゃあ、ルチルは生きてても襲われてるかもしれないのね……」
「……」
「あなたはその魔物と何度か戦ってるの?」
「……」
なんで黙るのよ……。答えたくない事情があるんでしょうけど、それなら上手く誤魔化せばいいのに。
そう考えてから合点がいった。嘘をつけないタイプの男なのだ、彼は。だからこそ都合の悪い質問には沈黙を返すしかない。その態度がひとつの答えになっている。
「ときどき警備から帰ってこれない『守護隊』が出るのよね?」
これは、ほかならぬベアトリスが説明してくれたことだ。今夜ルチルの身に起きた悲劇はありふれたものなのだと。
「そうだ」
「そのたびに集合墓地まで探しに行くの?」
「これまで四回ほど捜索に行ったことはある」
つまり、全部ではないわけだ。何度も敗北を味わった末に、敵わないと判断したのかもしれない。だとしたら今回は例外なのだろう。
墓地に向かう決心をした理由がわたしという存在にあるのなら、多少は誇らしい。わたしが同行すると言い出すことまで予見して墓地行きを決めたとするなら、なかなかの策士じゃないか。それでいて嘘をつけないんだから不思議だ。
「魔物の特徴は、墓地が縄張りってだけ? 大きさとか攻撃方法とかは?」
質問しすぎているかも。図々しいって思われたら嫌だけど、状況が状況だ。これからぶつかる相手のことを知らないままでいるのはありえない。
「体長は三メートルほどで、四足歩行」
サイズ感はなんとなく掴めたけど――。
ちらと彼の腰を一瞥した。そこには鎧と同じく漆黒の鞘が提がっている。どう見ても短剣の大きさだ。大型の魔物を相手にする装備には見えない。
胸によぎった不安は捨て置こう。四度対峙して生き延びているのだから、きっと大丈夫だ。それより、わたしはわたしの心配というか、知るべき物事に集中しよう。
「魔物の名前は?」
「『虚の母』と呼んでいる」
聞いたことない。王都の魔物図鑑にもそんな名前はなかったはず。
四足歩行で馴染み深い魔物はキマイラだ。それならば何度か討伐しているので、たぶん問題ない。
「人を食って、再誕させる特徴がある」
あ、絶対にキマイラじゃない。キマイラのなかにそんな個体はなかったし、というか、再誕ってどういうこと?
「ちょっとイメージがわかないんだけど――」
息が詰まった。
皮膚が粟立ち、寒気が背筋を駆け上る。耳鳴りが段々と強くなっていく。
魔物の気配。それも普通じゃない。ただひたすら濃厚なのだ。
「再誕した者については、じき分かる」
ベアトリスが速度を緩めた。通路の先が小部屋ほどの空間になっていて、半分以上根に覆われている鉄格子が見えた。どうやら両開きの柵になっているようで、中央に無骨な錠前がぶら下がっている。
鉄格子の前まで行くと、彼は腰に提げた袋を探り、中から金色の小さな鍵を取り出した。
「この先に集合墓地がある。中心にある広場が大樹の真下だ。ルチルが運ばれるのもそこになる」
「広場ね。分かったわ」
「『虚の母』は広場か隣の地底湖か、どちらかにいる。というより、大きさの関係で行き来可能なのがそのふたつなのだ」
「つまり、それ以外は安全地帯ってことね」
ベアトリスが頷いて、錠前に鍵を差し込んだ。
『虚の母』がルチルの存在に気付いていなければ――つまりずっと地底湖にいたなら、襲われてはいないということになる。息があるかどうかは運次第だけど。
鉄格子越しに細い通路が続いているのが見える。
「広場までは安全だが、亡者がうろついている」
「亡者?」
なんだろう。そんな魔物は聞いたことない。
「先ほど言った、再誕した者たちだ。危害は加えてこないから相手にしなくていい。出来れば攻撃もしないでくれ」
鈍い金属音がして、錠が外れる。
わたしの頭には相変わらずの疑問符が浮かんでいたけれど、ベアトリスに続いて柵を通過した。
このまま進むのかと思ったが、ふと振り返ると彼は再び錠を取り付けていた。やけに念入りじゃないか。
いけない。のんびりしてる暇はないんだった。早く広場に行こう――と思って前に向き直った瞬間、「うえ!?」と変な声が出てしまった。いつの間にやらわたしの前に、くりくりの目をした少年が立っていたのだ。たぶん七歳か八歳か、そのあたりだろう。血族特有の紫の肌以外は人間となにも変わらない。木綿のシャツにペラペラの半ズボンを履いて、直立している。
「どうしたの、君?」
話しかけてみたけど、少年はじいっとわたしを見上げるだけでなんの反応もしない。その代わり、後ろからベアトリスの声がした。
「そいつが亡者だ」
「え」
どう見ても普通の、生きている血族としか思えない。わたしがしゃがんでみせると、少年の視線もこっちの顔を追う。別に死臭みたいなものもしない。
「なんの害もない存在だ。生きているようで、生きていない。見ているようで、見ていない」
ベアトリスの口調がやけに冷淡なのは、そのように思い込まなければ亡者に生命を錯覚してしまうからなんだと悟った。
立ち上がると、やっぱり少年がわたしを目で追う。生きているみたいな目。でも、心臓が鼓動していないことも、呼吸していないことも、もう気付いてしまっている。生きてはいないのだ。そっくりなだけで。
「行くぞ」
視線を上げると、すでにベアトリスが通路を進んでいた。
名残惜しい、と感じてしまうのは悪いことなのだろうか。分からない。頭に浮かんだのは、かつて『最果て』で出会ったメイド姿の少女――ハルのことだ。彼女は主人である盲目の少年の死霊術によって、奇跡的に意思を持ち合わせた状態で蘇った死者である。
生きていることと死んでいることを、簡単に線引き出来ない自分がいる。ハルの心臓は止まっていたけれど、彼女は紛れもなく生きていたから。
歩き始めて思い直し、振り返った。少年は柵の近くに立って、やっぱりじっとわたしを見ている。ベアトリスに気付かれないように小さく手を振ってから、通路の先へ――広場へと歩みを再開した。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『ラーミア』→半人半蛇の魔物。知能の高い種。『86.「魔力の奔流」』に登場
・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて
・『アラクネ』→蜘蛛の大型魔物。上半身が女性、下半身が蜘蛛の姿をしている。人語を解し、自らも言葉を発することが出来る。知恵を持ち、呪術の使用もこなす。暗闇を好む性質から、人前に姿を現さないと言われている。詳しくは『219.「おうち、あるいは食卓、あるいは罠」』にて
・『デュラハン』→半馬人の住む高原に出没する強力な魔物。首なしの鎧姿で、同じく武装した漆黒の馬に乗っている。クロエに討伐された。詳しくは『621.「敬虔なる覚悟」』にて
・『死霊術』→死体を動かす魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』『間章「亡国懺悔録」』参照
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。実は最果てと王都近辺を繋いでいる。中には小人の住処も存在する。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




