911.「貴品」
「大したモンだよ、姉さん。あっという間に魔物を蹴散らしちまうんだからよぉ」
夜間防衛に出てから二時間は経過していた。わたしが魔物を倒すたびに兵士が感心するものだから、もう何度照れ笑いしたか分からない。今のところ出てくるのはグールばかりだし、大した仕事はしてないつもりなんだけど。数体が群れているなかに突っ込んでいっても問題なく撃破出来る程度の相手だ。
「そろそろ疲れたろ? 先頭を代わるぜ」
「いいえ、大丈夫よ。全然疲れてないから」
このやり取りだって飽きるくらい繰り返している。心配性なのか立場の問題なのか分からないけれど、血族の兵士はめげずに聞いてくるのだ。気遣いしてくれるのは嬉しいから、そのたびについつい愛想良く笑っちゃう自分もいる。
「人間は誰もがこの調子なのか?」
ベアトリスはわたしの隣で淡々とたずねる。
「いいえ、普通の人がみんなわたしくらい戦えるわけじゃないわ」率直に答えてから、自慢みたいに聴こえやしないだろうかと急に不安になって付け加えた。「でも、わたしよりも強い人間だってたくさんいるわよ。特に王都には」
実際のところはどうなのか分からないけれど、これがベアトリスの考えを変えるきっかけになってくれれば、多少の誇張は許される気がした。夜間防衛も大事だけれど、わたし個人の目的は戦争においてベアトリスと組むことだ。
「そうなのか」
「ええ」
赤黒い根に覆われた細い洞窟。根っこ自体が微かな光を放っているおかげで、光源がなくとも物の輪郭は割としっかり見える。わたしの横を歩く鎧姿の男の表情までは窺い知れないけど。
サーベルの柄を指先で撫でる。
わたしが夜間防衛に参加した意図は、ご飯のお礼ばかりではない。どれだけ口で説明しても、ベアトリスに『人間に勝ち目があるかもしれない』と思わせるのは難しいはずだ。だからこそ、実力を見てもらうのが一番。百聞は一見に如かず、というわけだ。
「その武器は特別な力を持っているのか?」
「このサーベル?」ほんの一瞬迷ったけど、素直に答えることにした。「ええ。魔具よ。魔術の才能のない人にも、魔術的な力を授けてくれる武器」
深く考える意味はないと分かっていても、どうしてもオブライエンの顔が脳裏にちらついた。
魔具をこの世に生み出したのは、あの最低な男なのだ。今わたしの手のなかにある武器は、惨事の恩恵とも言える。
だからといってサーベルを使わないという選択肢はない。魔具そのものは現実の人間社会に定着したもののひとつで、それを振るうからといってルーツを肯定していることにはならないのだ。
沈黙したベアトリスが、今なにを思っているのかなんとなく分かるような気がする。きっとオブライエンのことだ。彼はわたしほど魔具を肯定的に受け入れることなんて出来ないだろう。魔具は人間世界にだけ出回っている代物だろうから。グレキランス全域の魔具職人を掌握している組織が魔具制御局で、しかも局長はオブライエンなのだ。わたしのサーベルは『最果て』に住むモグリの職人の手によるものだから、オブライエンの息はかかっていないけど。
しかし。
「魔術を使えない者に魔術を授ける道具は、ラガニアにも存在する」
「……? 魔道具のこと?」
魔道具と魔具は違う。前者は一定の魔力を出力する小規模な道具だ。光源やら温度調節やら、その程度である。なかには『共益紙』みたいに、距離に関係なく意思疎通を可能にする便利な物もあるけれど、あくまでも道具の範疇を出ない。魔具は、使い手の魔力を吸収して代わりに魔術を行使する物で、基本的には武器として製造されている。もともと魔術を使うことが出来るだけの素質を持つ者には却って扱えないというデメリットもある。術者の魔力と魔具とが干渉してしまうんだとか。
これらの知識は王都の訓練校で学んだ内容で、実態は違うのかも。ふとそんなことを思った。訓練校での魔術関連教育のプログラムも制御局が決めている。つまり、いくらでもオブライエンの都合のいいように事実を捻じ曲げることが出来るのだ。
こうして考えてみると、自分が王都で学んできた多くの事柄がハリボテのように感じて悔しくなる。でも、そればかりではない。騎士として戦ってきた日々は現実で、培われた実力はわたしの血肉となっている。仮に知識の多くが偽物だとしても、それだけは確固たるものなのだ。
「魔道具ではない。魔具という名称ではないが、おそらくは似た代物だろう」
ベアトリスの言葉で、追想を断ち切った。
ラガニアにも魔具がある?
「それって……ええと……人間から奪い取ったとか……?」ああ、もう。言葉が出てこなくて、ついつい失礼な物言いになってしまった。「ごめんなさい、こんなこと聞くのは失礼ね」
ベアトリスは特に気にしていない様子で、小さく首を横に振った。
「そう畏まらなくともいい。事実として、人間の使っていた武器や道具がこちらに流通することはある。人間の製造した『魔具』も、確かに一部の地域には出回っている。が、それとは別に、我々ラガニア人が作り出した同様の代物があるのだ。『貴品』と呼ばれている」
思わず足を止め、ベアトリスを見上げてしまった。
「どうした?」
「いえ、なんでもない」
言って、歩みを再開した。
血族の技術を侮っていたわけではない。もともと同じ人間なのだ。オブライエンに出来て他の者に出来ないという道理はない。
でも、なんだかそれが信じがたい奇跡のように思えて、嬉しかった。そう感じたのは、ラルフの経験した数々の出来事を追体験してしまったからだろう。ごく自然に、オブライエンという存在を特殊な――人間以上の存在と思い込んでしまっていたのだ。彼の作り出したものを血族も作り出したということが、わたしの思い込みを痛烈に暴き立ててくれた。それが無性に嬉しかった。
「お話してるところ悪いんですがね」遠慮たっぷりに肩を叩かれ、立ち止まって振り返ると、兵士が申し訳なさそうな表情で頭を掻いている。「そろそろ引き返しますよ」
まだ魔物の気配を肌に感じる。夜はこれから本格的に深くなっていくのだ。まさか、これで夜間防衛がおしまいということはないだろう。
わたしの疑問を察したのか、兵士は慌てて付け加えた。
「俺らが守る範囲は決まってるんだよ。地下は広いからねぇ。あくまでもみんなが住んでるとこの近くを見回ればいいってことさぁ。それにこの先は穴ぼこが多くって、万が一脆い根を踏んじまったらおしまいなんだ。それに……」
「それに?」
兵士がぶるりと身を震わし、それからおずおずとベアトリスを見上げた。なんだろう?
ベアトリスも足を止め、静かに言う。
「奥地は迷路になっている。未開拓のエリアが多いのだ」
そういえば、これまではちらほら看板があった。数字が書かれているだけでなんのことだか分からなかったけど、道をちゃんと示していたってことかしら……。
好奇心が疼いたけど、仕方ない。踵を返して戻ろうとした瞬間――。
「あっ!!!」
声を上げたのは、早々と引き返しはじめた兵士のひとりで。
バキ、と乾いた音とともに彼の身体が一気に沈むのが見えた。手を伸ばしても決して届かない距離だと言うのに、反射的に腕を伸ばした瞬間には、兵士の片方の姿はもうどこにもなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『魔具制御局』→魔具を統括する機関。拠点は不明。オブライエンが局長を務めている。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『196.「魔具制御局」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『共益紙』→書かれた内容を共有する紙片。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




