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910.「ヘイズ」

 地下都市『ヘイズ』。この町はそう呼ばれているらしい。先ほどわたしが感銘を受けた『根汁(ねじる)』のもととなる巨木は、数層に渡る地下空間をまっすぐに貫いており、その根が縦横無尽に広がっているんだとか。地上まで辿ると城ほどの大きさの大樹が天高く(そび)えており、その根元が地下空間――ヘイズへの唯一の出入り口となっている。居住区は主に三つに分かれており、それらの振り分けは身分や生まれの差で決まるものではなく、希望があれば区画の移動は基本的に自由である。近隣の町や村にも認知されているものの、正式な交易関係などはないらしい。それもこれも、流刑地(るけいち)から生まれた寄り合い所帯(じょたい)が歴史のベースとなっているからだ。とはいえまったく地上の血族たちと交流がないかと言えばそんなことはなく、あくまで非公式な物々交換はあるし、秘密裡(ひみつり)にヘイズへと移住する者も少なくないらしい。移住の理由には採れる食糧が地下にもかかわらず潤沢(じゅんたく)であるというのが大きいようだが、それだけではなく、ヘイズの()り方も強く作用している。ここでは貨幣による取引はなく、食事も生活用品も為政者(いせいしゃ)の名のもとに平等に振り分けられる。余剰分は物々交換が認められているし、酒類をはじめとする嗜好品(しこうひん)の対価に労働力を提供することもある。要するに黙っていても食っていけるだけの生活が保障されているわけだ。にもかかわらず、ただ恵みに預かるだけの人々は少ないらしい。手先が器用な者は針細工をするし、体格に恵まれた者は家屋の修繕やら育ち過ぎた根の切除やらを進んで行う。自分たちの生活を豊かにするために、自分の身体を動かすのを良しとする風潮が昔からあるんだそうだ。生きることと働くことが通貨を経由せずに接続されているからこそ、さして労働が苦にならないらしい。移住者も段々とその価値観に染まっていく傾向があるとのことだ。


「急激な発展はないが、資源が尽きない限りは決して終わりを迎えない町といえる。我が祖先――バーンズが雛型を作った統治だ」


 滔々(とうとう)と語るベアトリスの隣で、刻一刻と濃くなっていく夜の気配を感じている。


 大樹を中心として蟻の巣状に入り組んだ地下空間を、わたしと彼は歩いていた。さっきまでわたしたちが食事をしていたのは三つの居住区のうち一番下の層で、もっとも人口の多い区画らしい。今はそれより二層ほど上に(へだ)たった地下道にいる。


 なぜか。もちろん、魔物を警戒してのことだ。


 各居住区はいずれも出入口がふたつかみっつほどで、夜には大岩で閉鎖出来る作りになっているが、だからといって入り組んだ地下空間に()く魔物を放置していては危険がある。地上で太陽が昇れば連中も消え去るのだが、強力な魔物が発生すれば居住区の岩が突破される可能性だってあるのだ。ゆえに、『守護隊』なる組織が夜間警備にあたる。その筆頭(ひっとう)がベアトリスとなっているわけだ。といっても、彼が現場に出ることはほとんどないらしい。そりゃそうだ。なにせ彼が町を取り仕切っているのだから、万が一魔物に討たれでもしたら大変な混乱が生じる。今こうして地下を見回っているのは例外的なことなのだ。ベアトリス自身が『守護隊』のメンバーを説得して、なんとか許しを得ているとも言える。お付きの兵士は必要ないとまで言った彼だが、結局わたしを除いて二人の兵士が同行することになって、今まさに、わたしたちの後ろから複雑な表情をして付いてきている。


 夜間防衛の話が出たのは、ベアトリスに戦争での協力を申し出てすぐのことだった。肝心の返事はいまだにもらえていない。朝まで待つように、と一旦保留されてしまったのだ。


 居住区で寝て待つように言われたのだけれど、ちっとも眠くないどころか、美味しい食事をもらった分はお返しをしたい気持ちだったので、夜間防衛への参加を進言したのだ。押し問答の末、条件付きで折れてくれた。その条件というのが、ベアトリス自身が今夜の夜間防衛に参加するというものである。客人に警備させておいて自分はベッドで眠るというのは、確かに気が引けるだろう。


 かくしてわたしは、一面根っこに覆われた起伏ある洞窟を歩んでいる。


「大丈夫かねぇ……」


「いやぁ、さすがに無理だろうよ……」


 後ろを歩む兵士たちが小声で囁き合っている。不安になる気持ちは分からなくもない。なにせわたしはよそ者で、しかも人間なのだ。外に出る前にベアトリスが貸してくれた大きめのマントのおかげで、住民たちにわたしの顔や肌を見られることはなかったけれど、さすがに同行する兵士となれば別だ。出発前に身を明かすことになり、ぎょっとされたのは記憶に新しい。


 ともあれ、思ったよりも反応は薄かった。ここに人間がいることに驚いているというより、一緒に警備をするということにびっくりしている雰囲気だった。


「安心して頂戴(ちょうだい)」振り返り、兵士たちに呼びかける。「ご馳走をもらったから、ちゃんとその分は働くわ」


 二人は顔を見合わせて、露骨に不安そうだ。片方の男が、いかにも申し訳なさそうに口を開く。


「でもねえ、姉さん。眠いでしょ? 俺だって昼間たっぷり寝なきゃ、夜の警備に(こた)えるからねぇ」


「平気よ。ちっとも眠くないから」


 にっこり微笑んだつもりだったけど、空元気(からげんき)に見えたのか、兵士は肩を(すく)めた。「しんどくなったら遠慮せず言うこった。ちゃんと安全なとこまで送るからさぁ」


「お気遣いありがとう。でも、きっと大丈夫よ」


 そう締めくくって前を向く。後ろから、まだなにか言い足りないような、もごもごした言葉の切れ端が届いて苦笑してしまった。多分本当に心配しているのだ、彼らは。


 兵士たちの言葉を反芻(はんすう)しつつ、隣を行くベアトリスを見上げる。兵士たちの反応が奇妙なほど普通なのは、きっと彼のおかげなのだろう。


 戦争になれば、マグオートの住民は転移魔術を通じてヘイズに逃げ込んでくる。だからこそ、人間への過剰反応が起きないよう意識改善を(はか)ったのだろう。もしかすると前々からこの地に人間がやってきていたのかも。うん、充分ありそうな話だ。


 なんにせよ、いきなり敵意を向けられるよりはずっといい。


「おい、姉さん下がれ!」と兵士が叫ぶ。それより少し早く、ベアトリスが片腕を広げてわたしを制したのが分かった。なぜなら前方に、出現したばかりのグールが群れていたのだから。


 彼らの気遣いはもちろん嬉しい。けど、わたしの動きのほうが早かった。ベアトリスが腕を伸ばすより先に駆け、兵士たちの「下がれ!」の声を聞いたときにはすでに一体目を切り飛ばしていた。


 兵士が絶句している間に、合計七体の切断されたグールが蒸発していく。


 兜を装備したベアトリスの表情は分からないけれど、兵士は口をぽかんと開けていた。


「ね、大丈夫でしょ?」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『バーンズ』→かつてラガニアに属していた町であるグレキランスの領主。金満家。オブライエンによって失脚した。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて


・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺(ぎんりょう)膝下(しっか)

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