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909.「ベター・ウェイ」

 わたしが語っている間、ベアトリスはほとんどなにも反応を見せなかった。といっても、聞いていないわけではない。身じろぎもせず、視線もわたしに向けて固定したまま、真剣に聞き入っている様子だった。たった一音さえ漏らさぬように、耳ばかりに意識を集中しているような、そんな印象。


 そうしてすべてを――といってもラルフの記憶のうち、バーンズとオブライエンに関する部分をざっくりと選んで――語り終えた今、二度のまばたきを挟んだきり、ベアトリスはなんの反応も見せなかった。押し黙り、最前同様ぴくりとも動かない。こちらとしては彼がなにかしらのアクションを起こすまで待つほかない状況だった。必要なことはすべて話したのだから。


 木製のコップに残っていた根汁(ねじる)で、ちょっと舌を湿らせる。ほんの少しであっても、濃厚な甘さが口に広がっていく。


 いいなぁ、この飲み物。王都で売り出せば流行ること間違いなし。ただ、そのためには改名しなきゃ。さすがに『根汁』じゃあ、ね。名前からして華やかさも甘みもない。というか、なんだか苦々しい響きだし。よく効くんだけど信じられないくらい苦い薬みたいな。名前を変えるとしたら、どうしよう。わたしだったら? うーん……飲んだら幸せな気持ちになるから、ハッピージュースとか? ああ、駄目だ。自分のネーミングセンスに絶望しちゃう。


「人格者ではなかったのだな」


「んえ?」


 いきなり喋るものだから、変な声が出てしまった。


 頭からハッピーなジュースのことを追い出して、代わりに太った貴族を思い浮かべる。


「まあ、そうかもしれないわね。でも、わたしが話した内容も全部、個人の記憶でしかないのよ。だから、バーンズさんにも良い部分があったんじゃないかしら」


 割と本気でそう思っている。個人の人格なんて完全に知ることは出来ない。場面に応じて振る舞いを変えるなんて、わたしだってしていることだし。その人にまつわるひとつひとつの出来事であっても、見方を変えれば違った印象にもなる。正直、ラルフの記憶のなかでのバーンズは決して好きになれない人物ではあったけど、それだけで彼のすべてを知った気になるのはあまりにも傲慢だしフェアじゃない。


 わたしの言葉をどう(とら)えたのかは分からないが、ベアトリスはほんの少しだけ口の端を持ち上げた。


「とにかく、話してくれてありがとう」


「どういたしまして」


 今のところベアトリスの想いは知るべくもないが、感謝の念があるのは間違いないだろう。彼が律儀な性格なのはもう分かっているから。


 だから、思考を切り替えなければならない。彼の胸に感謝の想いがあるうちに。


「バーンズさんはオブライエンを告発するために重要な役目を果たしたわ」


 ラガニア城での突発的な裁判で、バーンズは死霊術の存在を明らかにしたのだ。オブライエンという悪鬼をラガニアに呼び寄せる直接の原因になったとはいえ、悪逆を暴いたのもバーンズなのだ。もし彼に罪というものが存在するなら、オブライエンを追い詰めたことで帳消しにされていいはずだと思う。


 ベアトリスは目頭を押さえた。「ああ、私もそう思う」


夜会卿(やかいきょう)がバーンズさんに責任を押し付けるのは間違ってるわ」


「ああ、その通りだ!」


「その意味で、あなたが夜会卿に復讐するのは正しいと思う」


「分かってくれるか」


 自分でも過剰なことを言っているという自覚はある。そもそも復讐に正しいも間違ってるもないのだ。晴らすべき恨みと相手がいるだけの話だし。ベアトリスを乗せるために必要な言い回しだったというだけだ。目論見(もくろみ)通り、彼の眼差しには友好的な色が見える。


「でも」ここからが勝負だ。「復讐のタイミングを間違えちゃ駄目よ」


 友好の色は、一転して当惑に変わった。


「どういうことだ?」


「戦争のあとに夜会卿に仕掛けるなんて無謀なのよ。夜会卿は血族のなかでも一大勢力なのよね?」


「……兵は豊富だ」


「人間と戦うことによって、いくらか力が弱まるって考えてるわけでしょ?」


「当然、被害は出るだろう」


「それってあなたの兵士も同じじゃない?」


 ベアトリスは一瞬口ごもった。「いや、私たちは可能な限り損害を(おさ)えて戦う」


 ふぅん。まあ、それならそれでいい。具体的な戦法を聞いたところで教えてくれないだろうし、なにより水掛け論にしかならない。


「仮にあなたの兵士が全員健在だとして、宣戦布告は戦争後なわけよね? 想像してみて。グレキランス――つまり人間の土地を奪ったあなたたち血族は、戦果としてそれぞれ新しい土地を得る。当然、侵略を考える強欲な貴族もいるわけでしょ?」


「その筆頭がヴラドだ」


「侵略を考えているようなやつが、自分の領土が侵略されることを想像しないなんてありえるかしら?」


「……なにが言いたい?」


 獣が(うな)るような、そんな声だった。


 それでいい。その反応でいいのだ。もっと感情的になってくれてもかまわない。


「夜会卿は備えを(おこた)らないでしょうね。なにせ一度は、自分の街で革命騒ぎを起こされてるんですもの。戦後の動乱期はなおさら注意深くなるはずよ。自分の領土はきっちり守りを固めて、それとは別に侵略の手はずを整える。……そこに飛び込んでいくのね、あなたたちは」


 ベアトリスは答えない。その頭に、少しでも悲惨なイメージが蓄積されれば(おん)の字だ。


「夜会卿にしてみれば、(かえ)って都合がいいかもしれないわね。だって、備えたところにわざわざ敵が来るんだもの。返り討ちにして、ついでにあなたたちの持つ領土を攻め立てる口実まで手に入る。晴れてマグオートとこの町は夜会卿の別荘になるわけ。ここの食べ物は美味しいから、きっと気に入るでしょうね。残った住民はどうなるのかしら? きっと今よりずっと悲惨な生活を送ることになるんじゃないかしら。朝から晩まで働くだけならまだマシね。他種族相手にやったような実験をはじめないといいけれど……」


 もう充分、畳みかけた。これで無謀さを少しでも思い知ってくれればいい。


 でも、これだけならきっとベアトリスの考えは変わらないだろう。最終的には仕掛けるほかないのだ。なぜって、戦争直後の疲弊状態を超えるチャンスはきっと訪れないだろうから。夜会卿が態勢を整えてしまえば、ベアトリスは太刀打ちできない。ただでさえ流刑者たちの町というレッテルがあるのだから、ほかの貴族たちとの連携も難しいだろう。


 ベアトリスの口が開くのが見えた。


「それでも、だ」


 ほらね。だいぶ苦しそうな声だけど、決意の固さは口調から(うかが)える。でもその決意は、最大のチャンスで夜会卿を討つという点に関してのものだ。なにがなんでも戦争に参加するだとか、そういう(たぐい)のものではない。


「あなたが考える以上のチャンス――戦争直後以上に、夜会卿を討ち取るタイミングがあるとしたら、どう?」


 ベアトリスの目の色が変わる。彼は心持ち身を乗り出した。ほとんど鼻がくっつく距離だ。


「それ以上の機会とは、なんだ?」


「戦争中に夜会卿を討ち取ればいいのよ、わたしたち人間と組んで」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『バーンズ』→かつてラガニアに属していた町であるグレキランスの領主。金満家。オブライエンによって失脚した。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』にて


・『死霊術』→死体を動かす魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』『間章「亡国懺悔録」』参照


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺(ぎんりょう)膝下(しっか)


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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