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906.「誇りある者として」

 食事の美味しい土地は、それだけでとても多くの価値を持っている。あらゆる争いが食糧問題に(たん)を発している、だなんて大袈裟(おおげさ)なことは言わないけど、血が流れるほど激しい騒動の(たね)になりうるのは事実だ。王都の図書館で読んだ歴史書では、豊饒(ほうじょう)な土地をめぐって幾度(いくど)も争いが繰り広げられる(さま)淡々(たんたん)とした筆致(ひっち)で書かれていた。オブライエンのせいで王都の歴史の意味が完全に変わってしまったわけだけれど、小規模な争いはおそらく本当にあったことだし、今の時代にも食物は深刻な問題であることに変わりない。


 (よう)するになにが言いたいかというと、


「ご馳走様でしたぁ」


 美味なる食事は争いの火種(ひだね)になるくらいには、人を幸せにする力を持っているということだ。


 テーブルに並んだ木製の皿は、どれも綺麗に(から)っぽである。食べると舌が(かゆ)くなる芋や、ミンチ状の肉を固めて焼いたもの。蛇の肉のスープだって、ぎょっとしたけど美味だった。どれも味が濃い目で、その分満足感が強いものばかり。食後のデザートは例の根汁(ねじる)を冷やして成形したもので、これがまた絶品。冷やした分、甘さよりも苦みが前面に出ており、大人のお菓子という感じだった。


 向かいの席では、兜を外したベアトリスがやんわりと目尻に微笑を(にじ)ませている。さすがに兜を取らなければ食事は出来ないわけで、でも鎧を脱ぐことはなかった。『常に気を整えておくためには、(しか)るべき装いが大事』なんだそうだ。


「旨かったか?」


「ええ、ありがとう。大満足よ」


 根汁を飲んでから食事にも興味が()いてしまって、召使いのカイルの用意するがままにご相伴(しょうばん)にあずかることとなったのである。空腹ではなかったのは事実だけど、食事の喜びは代えがたい。わたしは自分の舌を喜ばすべく次々と食べたのだ。


 そしてひと段落した今、根汁を手に幸せの吐息をついている。


 向かいのベアトリスも食事を終えていて――というかわたしと同時に食べ終わり――粛々(しゅくしゅく)と一定のペースで樹木酒を飲んでいる。顔色は一向に変わらない。が、(けん)のある細い眉の下、切れ長の目がときおり鋭い色をすることにはとうに気付いていた。彼もまた、わたしに対して警戒していないわけではないのだ。決して表には出さないけれど。


 ベアトリスはどことなく見覚えのある顔立ちだった。どこかで擦れ違ったりしたなら覚えているはずなのに、どうしても思い出せない。わたしが交流した血族は数えることの出来るほどの人数なわけで、忘れるわけはない。誰かに似てるとか? うーん……どうだろう。少なくとも会うのがはじめてってことだけ確かだ。ベアトリスのほうも、わたしのことを知っている素振(そぶ)りはないし。


「ひとつ聞いていいかしら?」


「かまわん」


「どこかで会ったことない?」


 思い切ってたずねてみたけれど、やはりベアトリスは首を横に振る。じゃあやっぱり、他人の空似(そらに)というやつだろう。でも誰に?


 もやもやするわたしをよそに、ベアトリスが口火を切った。


「クロエよ。君は夜会卿(やかいきょう)を知っているな?」


「ええ。噂程度だけど……」


「よろしい。君にとって夜会卿は敵か?」


 随分とストレートに聞くじゃないか。答えはもちろん決まってる。「敵よ」


 近い未来に起こる、人間と血族の戦争。そのなかでも大規模な勢力を(よう)しているのが夜会卿だ。彼個人に恨みがあるというと語弊(ごへい)があるけれど、敵であることは違いない。加えて言えば、以前王都を襲撃した大量の魔物はすべて夜会卿の差し金である。東西南北の大門を破壊した双子――ナーサとダスラも、奴の抱えていた戦力だった。


「敵の敵は味方だ。君と私は手を組める」


 だから、戦争後の革命に手を貸せと言うのだろう。夜会卿とぶつかるのはかまわないけれど、彼とは決して相容(あいい)れない点があるのだ、わたしには。


 そろそろ正直に話すべきだろう。ここまでのベアトリスの様子を見る限り、わたしが真実を打ち明けても彼が暴力に訴えたり、あるいはラガニアに放逐(ほうちく)したりはしないはず。


「そのことなんだけど」


 呼吸を整え、じっと向かいの双眸(そうぼう)を見つめる。少しも揺れない瞳だ。


「実を言うとわたしは王都の人間で、戦争に参加することになってるのよ」


 マグオートの町長――ラクローにも黙っていた事実だ。ベアトリスも知らなかっただろう。


 沈黙が流れる。粘性の濃密な()が、いつ途絶えるとも知れず横たわっていた。


 やがて壁の蝋燭がひとつ消えた。


「カイル、蝋燭を取り換えろ」


「仰せの通りに」


 カイルが去ると、ベアトリスは樹木酒を(あお)った。コップの底がテーブルを打つ音がやけに大きく響く。


「クロエよ。グレキランスと手を切れ」


 王都と手を切る。すなわち戦争に参加することなく、ベアトリスのもとで安穏と暮らせということか。そして革命の際に命を散らせ、と。


 彼の人格ならそう言うだろうことは分かっていた。けど――。


「それは出来ないわ。第一、人間は負けないもの」


 そう信じているし、そうなるよう最善を尽くす気だ。人間が負けるというベアトリスの想定は現実的だろうけど、まだ始まってすらいないのだ。どうなるかなんて誰にも分からない。


「一万のラガニア人に敵うと思うのか?」


 へえ、血族は一万人なんだ。だとしたら勝機はある。想定してたよりずっと少ない。


「今集めてるだけでも、人間側は三万よ」


「こちらがその十倍の魔物を使役(しえき)するとしたら?」


 冷静に考えればそうだ。血族だけが戦うわけじゃない。連中は魔物を操り、物量で押せるのだ。以前王都が襲撃されたときと同じように。


 そうだとしても。


「でも、人間は負けない」


「なんの根拠があって言うのだ」


 根拠ではない。これは宣言だ。なにせ、勝たなければなにもかも終わってしまうのだから。たとえベアトリスが人間のための土地を確保しているとしても。


「最後には正しいほうが勝つって思わない?」


 ちっとも現実的じゃないことを言っているのは分かってる。そしてこれがわたしの本心かというとそうでもない。いや、もちろんそういう願いはあるけれど、上手くいくかどうかは正しさとは無関係に決まってしまうことも知ってる。これまでわたしのたどってきた道が、それを如実(にょじつ)に語っているだろう。


 なのにどうして『正しさ』なんかを持ち出したのか。わたしじゃなくてベアトリスにとって、それが重要だと思ったからだ。


「正しいほうが勝つなら、勝者はラガニア人だ。グレキランスがかつて我々の先祖になにを――」


「オブライエンたちがラガニアになにをしたかは知ってるわ。でも、それと今起ころうとしている戦争とは直接繋がっていないわ」


「なぜそう言える?」


「一部を除いて人間たちは、なんの罪もないし正しい歴史も知らないからよ。そんな相手を(なぶ)ろうとしている側が正しいと思う?」


詭弁(きべん)だ」


「詭弁なんかじゃないわ。生きるか死ぬかの問題でしょ。あなたたち血族が本当に倒したいのはオブライエンただひとりのはずじゃない?」


「我々は取り戻すだけだ。今グレキランス人が踏んでいる大地は我らラガニアの(たみ)の所有物だ」


「だとしても、それを取り戻すために人間全部を皆殺しにするだなんて短絡的よ。そもそも土地が欲しくて戦うわけじゃないでしょ」


「ああそうだ! 我々は誇りを取り戻すために戦うのだ! それに私は、マグオートの民は助けると言っている! この点のどこが間違いだと言うのだ!」


 立ち上がったベアトリスの額に、うっすらと血管が浮いている。感情的になってもその程度なのだろう。(かえ)って彼の冷静さに感服してしまう。


「今のあなたには誇りがないわけ? 取り戻すってことは、そういうことでしょ?」


「私は別だ! 私には誇りがある! ゆえにわずかながら人間を助けようとしているのだろう!」


「殺戮に興味はない?」


「当たり前だ!」


「ならどうして戦争に参加するの?」


「マグオートを正式に私の手中に収めるためだ!」


 ふぅん。疑問しか感じない。


「そんなにマグオートが大事? だって、あなたにはこの町があるじゃない」


「ほかの者にマグオートを支配させるわけにはいかんのだ。こちらとあちらは繋がっているからな」


 繋がってる。


 そっか。わたしがここに来たのは誰か特定の相手の魔術ではなくて、町長の邸の地下通路それ自体が、無条件に転送を可能とするものだったということか。


 ラガニアとグレキランスを繋ぐ秘密の通路。なるほど。確かに、ほかの誰にも渡すわけにはいかない。


 彼はこの町の人々を守るために、ここと接続されたマグオートを手にする必要があるということか。ほかの血族がマグオートを支配してしまえば、地下からの侵入者に常に怯えることになる。ましてや転移先が先ほどわたしが飛ばされた密室に限らないのならなおさらだ。


 真剣そのものの表情のベアトリスを見つめて、わたしは笑みを(おさ)えた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』にて


・『ナーサ』→双子の血族。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。


・『ダスラ』→双子の血族。夜会卿の手下。ナーサと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を曲線状の剣に変化させることが可能。トリクシィに戦い、死亡。その後肉体をナーサに摂取された。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『王立図書館』→王都グレキランスにある図書館。クロエが好んで通っていた場所


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺(ぎんりょう)膝下(しっか)


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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