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902.「安堵の理由」

 人間世界の覇権を握るだなんて、少し前の自分が聞いたなら鼻で笑ってしまう内容だ。けれど今は深刻に受け止めてしまう。ラガニアを転覆させた男の姿が脳裏に浮かび、背筋を寒気が駆け上がった。


「覇権って、どういうこと……?」


 聞かずにはいられない。


 グレキランス領内で派兵を断った自治体がいくつかある。マグオートもそのひとつと聞いていた。


「つまり」ラクローの返答を待たず、ヨハンが口を挟む。「戦争ののち、弱った勢力を潰す算段でしょうか」


 自分たちは戦いに出ることなく、王都と血族とのぶつかり合いを仔細(しさい)に観察し、決着がつくや否や王都を乗っ取る。そこにいるのが弱った人間たちであろうと、血族であろうと。つまりそういうことなのだろう。


 そう思ったが、マグオートの町長は目をつむって首を横に振った。そうしてから、薄目でわたしたちを眺める。樹木の(かす)かなウロのように、目元の皺の中心に走った亀裂から覗く瞳は随分と狡賢(ずるがしこ)く、抜け目ないものに思えた。


「場所を変えましょう。詳しいことは私の口から言うわけにはいきませんからね」


 町長の言葉を聞いて、思わず眉間(みけん)に皺を寄せてしまった。またか、と思ったのだ。キャロルもそうだったけど、肝心なことは自分の口から言おうとしない。マグオートの人々の性格的な特徴なのかも……。


 でも町長が言えないとしたら、説明の適役は誰になるのだろうか。場所を変えるというのも引っかかる。


 ヨハンに目配せしたけれど、彼は片手で口元を覆い、なにやら考えている様子だった。


 町長の促すままに動くかどうかは別として、わたしたちは引き返せない状況にあるはずだ。人間世界の覇権だとかいう物騒な話を聞いてしまった以上は詳細を確認する必要があるし、場合によっては彼らの思惑(おもわく)を潰さなきゃならない。もちろん、可能な限り平和的な手段で。上手くいけばマグオートの人々に革命云々(うんぬん)を諦めさせ、一致団結して血族との戦いに臨めるかもしれない。


「準備してまいりますので、しばしここでお待ちを。のちほどお呼びします。なに、そう時間はかかりませんのでご安心ください」


 そう言って町長は応接間を去っていった。キャロルと執事風の男を部屋に残して。


 町長の足音が充分遠ざかったのを確認して、キャロルに微笑みかける。「ちょっとヨハンと二人で話したいんだけど、いいかしら?」




「このまま誘いに乗って大丈夫かしら?」


「いずれにしても、引き返すのはナシでしょうなぁ」


 ヨハンと二人だけになった応接間、魔術製のヴェール――音吸い絹(カルム・シルク)――に覆われたソファで言葉を交わす。人払いをしたといっても、どこで誰に聞かれているか分からない。声が外に漏れないよう細工をしなければ、おちおち相談も出来やしない。


「なんで場所を変える必要があるのかしら」


「分からないことだらけですよ」ヨハンはため息とともにソファに深く沈み込み、ひらひらと手を払う。「なんにせよ、無知なままここを出るわけにはいきません。虎穴に()らずんば、です」


「でも危険を冒して取り返しのつかないことになったら? 町長は準備するとか言ってたけど、とんでもない罠を仕掛けてるとか……」


 悪い想像はいくらでも出来る。ヨハンはともかくとしても、実際自分がどれだけ騙されやすく迂闊(うかつ)なのかは身に染みて理解しているから。もちろん自分でも最大限注意を払うつもりではいるけれど、やっぱりヨハンの判断は確かめておきたい。


「罠ですか」


 そう呟いて、彼は頭を掻いた。潤いを欠いた長髪が乱されて、なんとも不潔な感じがする。


「そうよ。たとえばどこかに閉じ込められるとか」


「どんな動機があって監禁するんですか。それに、お嬢さんは簡単に閉じ込められる人間じゃないでしょうに」


「いや、わたし結構監禁されたりしてるけど……。『鏡の森』で洗脳されたときは不死魔術の養分になるところだったし、マダムのところでは牢屋に入れられたし……」


 言ってて情けなくなる。でも事実なのだから仕方ない。


「ならこうしましょう。私はここに残って、お嬢さんが町長の指定した場所へ向かう」


「……わたしの話、ちゃんと聞いてた?」


 割と直接的に自分の残念な点を披露したつもりなんだけど。なのにどうしてわたしひとりで行けと? 罠に()まっておろおろするところを眺めて面白がりたいの? ……うん、ヨハンならありうる。


 と、そこまで思ったところで気付いた。


「わたしの目を通して状況を確認出来るから、あなたはここに残るってことね」


「ええ、そうです。実を言うと視覚情報以外にも色々と共有させてもらっているので、なにがあろうとも平気ですよ」


「うわ……まあいいわ。で、危なくなったら助けに来てくれるわけね」


「無論、逃げますよ。一目散にこんな街からおさらばです」


「はぁ?」


 小突く素振(そぶ)りをするわたしに、わざとらしく痛がってから肩を(すく)める彼。


 ヨハンが冗談でこちらを煙に巻くのはいつものことだけれど、なんでわたしはこんなにも安堵(あんど)してしまっているんだろう。さっきまでの不安はすっかり消えていて、でも警戒心はちゃんと残っている。


 信頼の二文字が頭に浮かんで、けれどわたしは否定する。そんなんじゃないのだ、これは。じゃあなんなのかと言うと、はっきりとは分からない。信頼ではないことだけはしっくりと分かっているだけだ。ヨハンと話していると、それがどんなに馬鹿々々しい冗談であれ、気分が整っていく感じがある。


 眼帯を外す。これでヨハンからはわたしの視界が覗けるわけだ。


 手の中の眼帯を、彼に手渡した。


「なぜ渡すんです?」


「なんとなく」


 ノックの音がして、音吸い絹(カルム・シルク)が解除された。


 応接間が開き、キャロルが仏頂面で言う。


「準備が整った。ついて来い」




 わたしだけが出向くことに、キャロルは不平を示さなかった。少なくとも表向きは。ほんの少しだけ眉間の皺がきつくなり、それからすぐに邸のどこかへ消え、再び戻ってくると「お前だけでもかまわない」と告げたのである。たぶん町長に確認してきたのだろう。


 彼女は相変わらずちっとも振り返ることなくわたしを先導する。邸の廊下を奥へ奥へと歩いていき、地下へと続く螺旋状の階段へと足を踏み入れた。


 彼女の手にしたランプが数段先と周囲の石壁を照らし出している。すでに階上の明かりは届かなくなっていて、真っ暗な階段を明かりひとつで降りている状況だった。向かう先はべっとりと闇に塗られていて、後ろもまた黒に呑まれている。


 どこまで下りるのかとか、この先になにがあるのかとか、そんな質問は口にしなかった。まともな答えが返ってこないのは分かっているし、なにより不安やら余計な思考は掻き消えている。なにが待っていようとも、知る必要のあることを知り、すべきことをするだけなのだ。腰にはちゃんとサーベルがあるし、闇に怯えたりもしていない。神経が緩んでもいないし、過敏になってもいない。落ち着いて物事に相対(あいたい)することの出来る状態だった。


 五分ほど()った頃、ようやく螺旋階段が終わった。合計何メートル下ったのか定かではないけれど、地の底って感じがする。階段の先には人がやっと二人擦れ違える程度の細長い通路が伸びていて、先のほうにぼんやりした明かりが一粒だけ見えた。


「明かりを目指して歩け」


 キャロルはそう言い、壁に背をくっつけて道を譲った。


 ここからはわたしひとりで行けと。


 行ってやろうじゃないか。ただし――。


「え、あ! 離せ!」


 キャロルの腕を引き、通路を駆ける。まさか突然引っ張られると思っていなかったのか、キャロルは明らかに動転し、叫び声を上げた。


「やめろ! 離せ! 止まれ!」


「止まって欲しいなら、この通路になにがあるか説明しなさい!」


 通路に満ちた魔力を、わたしが見逃すと思ったのだろうか。これは間違いなくなんらかの罠で、ならば揺さぶりをかけるのが得策だ。


 足を止め、彼女に顔を寄せる。じっと瞳を睨む。


「わ、分かった。言う。言うから手を離せ」


「言ったら離すわ。ほら、早く」


 キャロルの表情はこれまで見せてきた(いか)めしさとは打って変わって、弱々しく怯えたものに変わっていた。口元が震えながらも、徐々に開いていく。


 彼女の言葉が嘘か誠か。わたしはそれを見極めることにばかり集中力を()いていたのだ。


 ゆえに、暗闇の先から何者かの腕が伸び、(えり)を掴まれて闇へと引き込まれてしまったのはほとんど事故みたいなものである。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『マダム』→本名不詳。人身売買で私腹を肥やしていた『黒の血族』。買い集めた奴隷たちに作らせた町『ロンテルヌ』の支配者。血の繋がっていない二人の息子、レオンとカシミールによって命を絶たれた。詳しくは『第二章 第五話「ミニチュア・ガーデン」』にて


・『音吸い絹(カルム・シルク)』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて


・『不死魔術』→『第一章 第六話「鏡の森」』参照


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』


・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺(ぎんりょう)膝下(しっか)


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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