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896.「首に刃を」

 光源が見当たらないにもかかわらず、均一(きんいつ)な光に満たされたドーム状の空間。床には小さな球が散らばっていて、そこかしこで小さな者が動いていた。彼女らは一様に花弁を逆さまにしたようなデザインのワンピースをまとっていて、背中の薄羽がそのカラフルな光彩を反射している。


 わたしは中央の丸テーブルに備え付けられた椅子に腰かけ、向かいの老人に微笑みかけた。


「調子はどうかしら?」


 老人はいかにも慎重で穏便(おんびん)な微笑を浮かべて、こう返した。「まずまずじゃよ」


「仕事のほうも順調?」


 すべての生物の夢を管理する。それが彼の(にな)っている仕事だ。以前彼の語ってくれた内容は、その突飛さゆえによく覚えている。


 夢と現実との間には通路――『夢の(かよ)()』が存在し、あらゆる眠りはその暗路を往復する。もし夢を見ている間に命が消えてしまったなら、現実へと還ることなく通路をさまようことになるらしい。それら亡霊は『夢の通い路』に悪影響を与える。夢の管理者は、彼らが通路をさまよう亡霊となる前に(すく)い上げ、健全な存在へと導いてやるのだ。彼に掬われた者は、このドーム状の広間のあちこちに浮遊する小さな存在――ピクシーへと変わる。


「ここしばらく異常はないのう」


 老人はゆったりした口調で返した。


 予期していた返答だ。ここしばらくの間、わたしの夢に侵入者は現れていない。


 勇者一行のひとりである教祖テレジアを討ってから、わたしは断続的に異常な夢を見た。


 決まって謎の男が現れる夢だ。老人に言わせると男は『夢の通い路』を不正に使用している存在であり、あらゆる生物の夢にとっての脅威であるらしい。実際問題、男が全生物の夢に破壊的な干渉(かんしょう)が出来るとは思えないけれど、管理者である老人にとっては排除対象なのだ。そして排除の役目はわたし自身が担っている。前にそう約束したのだ。……けれど、まだ夢への侵入者を討つことは出来ていないし、その手立てもない。そもそもここしばらく男は夢に侵入してきていない。


 細かい皺の刻まれた(まぶた)に挟まれて、老人の目がじっとこちらに(そそ)がれている。彼がすんなりとこの場所――睡蓮(すいれん)塊根(かいこん)――にわたしを入れてくれたのは、侵入者についての報告を期待しているからだろう。わたしもまた、そうなることを確信して眠りに落ちたのだ。


「侵入者の目星はまだついてないわ」


 老人の瞼がゆっくりと上下する。落胆と疑念。そのふたつが、たった一度のまばたきに()められているように感じた。


「そうか……まあ、気にするでない。夜明けまでここにいると良いじゃろう」


「ご親切にどうも」


 老人はゆるゆると首を横に振る。そうして、色の薄い瞳でこちらを見入った。侵入者について真新しい報告がないのなら、なんの用だと言いたげな視線。実際にそれを口に出さないあたり、この老人は優しい。


 ただ、本題に入る前にいくつか確かめたいことがある。


 立ち上がり、広間の壁へと歩んだ。そうして何気ない素振(そぶ)りを(よそお)って壁に触れる。


 つるりとした感触が指先に伝わった。塊根の内部とは思えない材質である。


「ここは相変わらず、睡蓮の根っこの中なの?」


「そうじゃ」


「ふぅん……不思議な場所ね。現実のわたしの身体は草むらで眠っていて、夢のわたしは根っこの内側にいる。でも、睡蓮の根っこ自体は現実にある」


 老人は怪訝(けげん)そうに眉根(まゆね)を寄せていることだろう。壁を見つめて喋っていても分かる。わずか数秒の沈黙には、(ぬぐ)うことの出来ない(いぶか)しさが宿(やど)っていた。


「なにを気にしておるのじゃ?」


 振り返ると、老人の表情がさっと平凡な微笑に移り変わった。


「もしもの話なんだけど、この壁を壊したらどうなるの?」


「……お前さん、なにを言っておるんじゃ?」


「もしもの話よ。好奇心旺盛だから、気になったらなんでも聞いちゃうの」


 この親切なお爺さんを困らせるのは心が痛むけど、常識的な遠慮を飛び越えるだけの動機が今のわたしにはある。


 老人はしばし沈黙していたが、やがて諦めたのか、まとまったため息を吐いた。


「睡蓮の塊根が壊れれば、わしは仕事場を変えるほかない。別にここだけが唯一の仕事場ではないからのう。なに、『夢の通い路』をたどって行けば別の場所まで一瞬で着く」


 別の場所まで一瞬で着く、か。移動そのものが可能なのは推測通りだ。前回会ったときも彼はこの仕事場に一定の執着を見せながらも、ほかに居場所があるようなことを言っていたから。そして別の仕事場とやらは、この空間と同様に現実と地続きに違いない。


「慣れた場所を失うのは(つら)いわよね。ところで今ここが壊れたとしたら、わたしはどうなるのかしら。すぐに現実に戻るの?」


 出来る限りさりげなくたずねる。焦りが(にじ)まぬように。


 思えば、ここが本当に睡蓮の塊根だと言うなら随分(ずいぶん)と奇妙なことになる。前回老人はこの場所を、夢と現実の境界にあたる場所であり、わたしの()り方はひどく曖昧(あいまい)なのだと言っていたっけ。


「ここが壊れた時点で、お前さんもわしも『夢の通い路』に放り出される。わしはそこから別の仕事場に向かって、お前さんは現実の肉体に還ることになるのう」


 老人の返事を聞いて、またぞろ壁に触れる。その感触はどこまでもリアルだ。夢とは思えないくらいに。


 この空間が夢と結びついていることは疑っていない。なぜって、以前老人はここでクラナッハたちの夢を見せてくれたのだから。それらは個々人の記憶に結び付いた、ほとんど捏造(ねつぞう)不可能な代物(しろもの)だった。


 なら、今のわたしがなにを疑っているのか。


 ここにいるわたしという存在が、果たして夢幻に過ぎないものなのかどうか、だ。


 サーベルを抜くと、馴染み深い冷えた金属音が響いた。


「……なにをしておるんじゃ」


 左の手のひらに浅く刃を押し当てて、すっ、と引く。微弱な痛みのあと、傷跡に薄い赤が滲んだ。


「ここでわたしが死んだらどうなるのかしら? 現実に戻る?」


「なにを聞きたいんじゃ、お前さん」


「言葉通りの質問よ。もしここが壊れたら『夢の通い路』を通って現実に戻るのなら、わたしが死んじゃっても同じことになるんじゃないかな、って。つまり、その時点で夢から覚める。そうでしょ?」


「この場所にいるお前さんは……いわば精神を凝縮した状態じゃ。精神が死ねば肉体に影響が出るのは自明(じめい)じゃろう」


「どうかしら。だって現実の肉体じゃないんだもの、死んだって平気よ」


 サーベルを両手で持ち、(やいば)を首にあてがう。


 老人は口を引き結んで、じっとこちらを見ていた。単なる(おど)しだと思っているんだろうか。


「試してみようかしら」


「馬鹿なことはやめておきなさい」


 やめろと言われたらやりたくなるのが人情だ。


 首から刃を離す。勢いをつけるために。両腕に力を籠め――。


「やめろ!!」


 一気にサーベルを振り抜いた。綺麗に、自分の首を落とす軌道(きどう)で。


 焼けつくような尋常(じんじょう)でない痛みが首を中心に襲い、手からサーベルが離れる。それと連動するように、わたしの身体も崩れ落ちた。あまりの痛みに立っていられなかったのだ。


嗚呼(ああ)……嗚呼……!」


 老人は絶望的な声を漏らし、広間のあちこちではピクシーの悲鳴が飛び()っている。目の前で首を切り落とされるのは初体験なのだろう。わたしだってこんなことを仕出(しで)かしたのははじめてだ。まあ、首は落ちてないんだけど。刃が肉と骨を通過しただけだ。


 オッフェンバックの魔術――肉体を破損させずに痛みだけを与える火炎。その力を宿(やど)したサーベルは、見事にわたしの肉体を(たも)ったまま、信じられない痛みだけを与えてくれた。


 呼吸が乱れ、きつく閉じた(まぶた)を越えて冗談みたいな量の涙が(あふ)れ出てくる。こんなに痛いとは思ってなかったから、ちょっぴり後悔。でも実際に死を演じてみることでしか、老人のこの反応は引き出せなかったはずだ。


「嗚呼……そんな! 死んでしまった! 死んでしまった!」


 わたしの首から血の一滴さえ噴き出していないことを、彼は気にしていないようだった。というか、意識にも入り込んでいないのかもしれない。サーベルが首を通過したのははっきり見たわけで、首を切られて生きている人間なんて存在しない。そんな前提が彼の思考から冷静さを奪ってしまったのだろう。


 老人は狼狽(ろうばい)の声を上げるばかりで、当然ありうべき異変には気付かない。彼の言葉通りなら今のわたしは精神の塊であり、死体が残るはずはないのだ。絶対に。それなのに彼は、ただただパニックになっている。まるで現実の人間が自殺したように、残った死体を受け入れてしまっているようにも思える。少なくとも混乱しきった声を聞く限りは。


 さて、意地悪はおしまい。痛いけど起き上がろう。


「いたたた……」


「な、な、お前さんどうして……!」


 立ち上がって深呼吸をする。気道が焼けるように痛むけれど、仕方ない。むしろ、得た真実に対して支払った代償は少ないくらいに思える。


「いたた……死んだふりよ。騙してごめんなさい」


「な、なぜこんなことを」


「なぜって、あなたの嘘を確かめるためよ」


 大きく見開かれた老人の目には、もはや好々爺(こうこうや)的な穏便さはない。狼狽と、それから失策の色が(うかが)えた。


「ここにいるわたしは間違いなく現実の存在で、現実の肉体で、草むらで眠っているわけじゃない。そうでしょ、『夢の管理者』さん?」


 淡い色彩の瞳に、不敵(ふてき)に微笑むわたしの姿が反射していた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて


・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果として行動。可哀想な人の方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』


・『オッフェンバック』→純白の毛を持つタテガミ族の獣人。『緋色の月』に所属。自称音楽家の芸術至上主義者で、刺激を得るという動機でハックの和平交渉を台無しにした。クロエとの戦闘に敗北し、あわや絶命というところを彼女に救われた。それがきっかけとなって『灰銀の太陽』への協力を申し出ている。詳細は『774.「芸術はワンダー哉!」』『780.「君が守ったのは」』にて


・『夢の管理者』→人々の夢を管理する老人。詳しくは『第三章 第二話「妖精王と渡し守」』にて


・『ピクシー』→手のひらサイズの妖精。肉体の死により夢に閉じ込められた精神体が、『夢の管理者』によって掬い上げられた結果の姿。詳しくは『第三章 第二話「妖精王と渡し守」』にて


・『夢の(かよ)()』→人が現実から夢へと行き来するための通路のこと。『夢の管理者』によって監視されている。詳しくは『第三章 第二話「妖精王と渡し守」』にて

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