894.「書状の行方」
ラルフの記憶に触れた後でも、戦争でのわたしたち――つまりは人間側――の振る舞いについて、それほど悩むことはなかった。血族の侵攻はもはや決定事項であり、そこに平和的な対話は成立しないとヨハンは主張した。彼らのルーツがどこにあろうと、グレキランスにどれほどの罪があろうとも、敵として衝突するほかない。複雑な思いはあっても、一か月後に王都周辺は戦場となるのだから腹を括るしかなかった。
一連の作戦内容を共有し、今はそれぞれの反応を待っている。
射し込む朝陽が、ランプの灯りと競って部屋を照らしていた。ノックスは真剣な表情で、アリスは普段通りの不敵な笑み。デミアンは腕組みをして眉間に皺を寄せている。
「しかし、ケダモノと組むなど……」
ぼそり、とデミアンが漏らす。他種族への偏見の根深さは、王都で過ごしたわたしにとって馴染みのものだ。デミアンが特別というわけではない。
ただ、今は他種族との協調を呑まなければならないし、今後は徐々に偏見が解消されるよう働きかけるべきだ。なにせ、彼らも元々は人間なのだから。
「本来、獣人をはじめとする他種族は血族側として戦争に参加するはずだったの。わたしたちの敵としてね。手を尽くして、言葉を尽くして、それでようやく人間側に協力してくれるようになったのよ。とはいえ血族を裏切るリスクは取れないから、あくまで表面上は血族の側として、オブライエンの討伐にだけ協力してもらうことになったの」
わたしがそう言うと、デミアンは小さく首を横に振って唸った。
「しかし、オブライエンは今のところ王都の味方として――」
「何ウダウダ言ってんのさ、大臣」と遮ったのはアリスだ。「お嬢ちゃんの話を聞く限り、オブライエンには清算すべき罪が山盛りだろう? しかもアタシが見る限り、アイツは存在するだけで誰かを害しちまうレベルの悪玉さ。アレを討ち取れるならどんな犠牲を払ってもお釣りがくるよ」
アリスの脳裏にはおそらく、毒食の魔女とザムザの一件があるのだろう。わたしたちを導いてくれた魔女は、騎士団の序列の頂点に君臨していた男と相討ちすることとなった。それを仕組んだのが、ほかならぬオブライエンなのである。
いつかアリスから聞いた話だが、オブライエンはあらゆる血族を殺害しようと目論んでいるらしい。徹底的に。血族と人間のハーフだった魔女も例外ではなかったというわけだ。
オブライエンはいまだにラガニアの人々を恨んでいるのかもしれない。あるいは、自分のしたことが未来永劫露見しないように、という意図かもしれない。彼の本意がどこにあるにせよ、そこに健全な像は結べそうになかった。
しばらくの間、デミアンは黙りこくっていた。相変わらず腕組みをしたまま、ときおり唸って天井を仰いだりと忙しない。
これ以上なにかを伝えるのは余計な混乱を招くと分かっていても、悠長に彼の決断を待っているわけにはいかない。現在王都は、事実上の頂点が欠けているのだ。現王のノックスと、側近であるデミアン。二人の不在がオブライエンに嗅ぎつけられたらどうなるだろう。わたしたちが画策しているオブライエン討伐作戦まで看破されるとは思えないけれど、疑惑の種を植え付けてしまうことになる。だからこそ、二人にはなるべく早く王都に帰還してもらわなければならない。
小さく息を吸うと、呼吸音が思いのほか大きく部屋に反響した。デミアンと視線がぶつかる。わたしは逸らさない。
「前に署名してもらった誓約書のことを覚えてるかしら?」
「……グレキランス領での交易に関する書状だな。あのありふれた紙がどうかしたのか?」
「あれを獣人の集落――ルドベキアに渡した」
デミアンは、ぎょっと目を見開き、身を乗り出した。
「なにを馬鹿なことを……!」
「人間側に協力する見返りとして渡したのよ。オブライエンを討つことが出来るとするなら、それは他種族の協力あってのことなの。もっと言えば、他種族が敵として向かってこないだけでも勝率は上がるわ」
敵側にゾラがいないというだけでも、人間にとっては幸福なことだ。しかし、デミアンはまったくもって納得していない様子である。両膝で拳を握り、燃えるような眼光でこちらを睨んでいる。
そんな彼を『無理解な男』と決めつける気はない。あくまでも彼の反応は一般的なものなのだ。どれほど進歩的な人であっても、他種族との交易を提唱した人間なんていない。残念なことに。
「デミアンさんとおっしゃいましたか」しばし沈黙を守っていたヨハンが、ようやく口を開いた。「貴方の不安はごもっともです」
しかし、とヨハンは続ける。ムッと睨むデミアンに口を挟む隙を与えない。
「しかし、他種族の参戦はすでに決定しています。交易権および自治体としての認知を条件に、彼らをこちら側に引き込むことが出来たのですよ」
「そんなものは不当――」
「先ほどお嬢さんのおっしゃったことは事実です。人間に勝利があるとすれば、獣人が血族側として参戦しないことが第一条件。ときにデミアンさん、獣人たちの指揮官がどなたかご存知で?」
作戦を共有した際には、具体的な名称は避けて伝えた。特に他種族に関しては慎重にならざるを得なかったのである。デミアン含め、王都の全住民はゾラのことを『魔術で獣人に化けた人間』だと錯覚している。真実は逆だと言うのに。
……まさかヨハンは、ゾラのことを伝えるつもり?
わたしの懸念は見事に的中した。
「獣人の頂点に座す男はゾラさんです」
瞬間、デミアンが目を見開いた。
「あの勇者一行のゾラ……? まさか獣人のふりをして、連中を率いているのか……? ニコルの手下だからか?」
「彼がニコルさんと昵懇なのは正解ですが、獣人のふりをしているわけではありません。その必要なんてありませんから。どうやら貴方は誤解しておられるようですが、ゾラさんはそもそも獣人です。獣人に変装しているのではなく、人間に変装して出自を偽っていたというだけの話です」
ちらと、デミアンの視線がわたしへ向く。瞳に満ちた困惑は、明らかに答えを求めていた。
たった一度だけ頷いてみせる。すると、彼の唇から重たい吐息が漏れた。
デミアンの反応に頓着せず、ヨハンは続ける。
「ニコルさんの仲間がどれほどの実力者かは、あえて言う必要もないでしょう。事実、ゾラさんはあらゆる獣人のなかで頂点と断言出来る強さです。さすがに彼ひとりで戦場を支配することは不可能でしょうが、勝敗を左右するだけの損害をこちらに与えることは出来ます」
デミアンは額を押さえ、ヨハンを凝視している。
王都の人々にとって『勇者一行』の名は重い。王城に深くかかわっている者ならなおさらだろう。先王の側近――『王の盾』スヴェルという猛者が、ほかならぬ勇者一行の一角だったのだから。
さらにヨハンは言葉を重ねる。
「ゾラという絶大な戦力を敵方から引き剥がせるのなら、他種族の街を認めるくらい安いでしょう。願ってもない好条件なのですよ」
「そ、それはそうかもしれんが、しかし……王都民が他種族の街を認めるなど……」
反感はあるだろう。正当性を声高に叫んだところで、価値観に染みついた差別意識は消えてくれないものだ。
しかし、今説得しようとしているのは王都の民ではない。目の前のデミアンだ。
息を吸い、短くまばたきをする。そしてわたしは口を開いた。
「デミアン。さっきも話したけど、そもそもこの世界には他種族も血族もないの。わたしたちとなにも変わらない。同じように笑うし、同じように悲しむし、同じように……誰かを愛して、裏切られて、傷付いて、泣くの」
話しながら、脳裏にあったのはゾラの姿だ。大昔、彼が味わった失望の物語。
たとえ遥か遠い道のりであろうとも、ゾラの物語に『正しい決着』を与えてやらなければならない。
目と口をきつく閉じたデミアンを見つめ、さらに言葉を加える。
「ルドベキアには、『四季歓待』という儀式があるのよ。一年に四度、四季を迎え入れる名目で行われる儀式なんだけど――」
『四季歓待』の内容を思い出しつつ、それを言葉にしてみせる。
焚かれた香。素敵な洋服の数々。素晴らしい料理。まっさらなシーツとふかふかのベッド。それらすべて、人間にとっての快適さを極めたものだった。
『四季歓待』は表向きは儀式だが、内実は――人間のなかでも極めて高位の人物をもてなすための予行演習をしているわけだ。一年に四回も。
「ルドベキアの長――ゾラは、弱者が生きていける世界を望んでいたわ。それを人間の世界に見出して、失望して、でも諦めきれなかったのよ。……この数ヶ月、わたしは獣人以外にも多くの他種族と会って話をしたわ。誓って言うけど、絶対的に分かり合えないような種族はひとつもなかった。もちろん個々人では性格にクセがあったりするけど、でもそれって人間も同じことじゃない?」
今言ったことは他種族だけに当てはまることではない。血族もきっとそうだ。リリーのような子もいれば、ハンジェンみたいな奴もいる。
デミアンは長いこと俯いていた。ランプの灯りが揺れて、彼の影が激しく身震いする。
やがて大臣はゆっくりと顔を上げると、隣のノックスへ視線を送った。
「……現王様。戦争以後も王都は忙しくなりますが……よろしいですか?」
少年王の顔が綻んでいく。そして、力強く頷いた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。故人。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』参照
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ
・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。王の側近であり、近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。魔王討伐に旅立った者のうち、唯一魔王に刃を向けた。その結果死亡し、その後、魂を『映し人形』に詰め込まれた。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』『582.「誰よりも真摯な守護者」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。王都の歓楽街取締役のルカーニアに永続的な雇用関係を結んだ。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『ハンジェン』→リリーに仕える壮年の『黒の血族』。言葉遣いは丁寧だが、冷酷無比な性格。死霊術を得意とする。リリーとともに夜会卿の支配する街を脱出し、『落人』としてグレキランス地方にやってきた。現在はリリーを裏切り、『緋色の月』に協力している。詳しくは『617.「リリーとハンジェン」』『630.「たとえ愚かだとしても」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『紫電のザムザ』→騎士団ナンバー1の男。銀の髪を持つ魔術師。幼い頃の記憶がない。ときおり頭のなかに響く『声』に従って行動をする。実はオブライエンによって作られた、魔道具に限りなく近い人間。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~啓示~」』『Side Winston.「紫電の組成」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
 




