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893.「喪われた継承者」

 ランプの灯りが車座(くるまざ)になった面々の影を、ゆらゆらと放射状に揺らしていた。


 塔の頂上にぽつんと立った一軒の小屋――その室内のかび(くさ)さは、窓ひとつないからだろうと思う。入り口の引き戸だけが内と外とを繋いでいて、換気をしようにも入り込んだ風が(よど)んだ(にお)いをただただかき混ぜては壁や天井の隙間から逃げていくばかりで、嫌な空気はあまり変わらない。


 あまり好ましくない類の話をするにはうってつけの空間だと思う。


 年季の入った壁や天井から傷跡のように朝の光が射し込む(ころ)、ラルフの(のこ)した記憶をようやく語り終えた。


 大皿の上はすでに(から)になっていた。




「信じがたい」


 濃厚な沈黙を裂いたのは、デミアンだった。彼は最初のうちこそ何度か口を挟んだりしていたけれど、オブライエンが故郷を離れたあたりから口をつぐみ、腕組みをして黙ってこちらの話を聞いていた。


「気持ちは分かるわ」


 デミアンの心情はわたしも理解している。王都に住む者にとってラルフの記憶は認めがたいものだから。


 世界にはもともと魔物がいて、古来より人と争ってきた。隣国ラガニアは魔物によって滅ぼされ、その地を『黒の血族』なる存在が支配するようになった。彼らは人間よりも魔物に近い生物で、なかでも魔王はあらゆる魔物を()べる者である。


 これらの前提に基づいて、わたしたち人間は生きてきたと言っても過言ではない。それがオブライエンというひとりの人間によってもたらされた偽りの歴史だなんて、到底信じられないだろう。


「証拠がないではないか……!」


 デミアンはやけに苦しげな口調で言う。


「ええ、証拠なんてどこにもないわ。あったらオブライエンが消してるはずだもの」


 少なくとも、血族の国と化したラガニアや、他種族の生活圏を除く人間世界においては。きっとオブライエンは、ハルキゲニア地方でも徹底的な歴史改ざんを行ったことだろう。二重歩行者(ドッペルゲンガー)の有効範囲などという常識は、彼の前ではきっと意味を持たない。オブライエンが魔術的な制約を超越するだけの技術を有していることは、ラルフの語った通りだ。


 ただ、わたしだってラルフの記憶に抵抗を感じたのは事実である。わたしの歩んできた人生のなかからなんとかラルフを否定する材料を見つけようとしたし、実際にそれらしい否定を頭の中で作り上げもした。たとえばラルフの記憶自体が作り物でしかない、とか。けれどもそれは否定のための否定でしかなかった。


 今やわたしはラルフの記憶が正しいと確信している。旅の過程で、血族も他種族もどこか人間的な部分を持っているように感じていた自分がいるのだ。ルーツが同じだとすれば、その感覚にも説明がつく。


 ルーカスの眷属(けんぞく)である赤髪のハルピュイア。キュラスで出会ったギボンたちのこと。もっと(さかのぼ)れば、ハルキゲニアのラーミア三姉妹だってそうだ。彼ら彼女らがもとは人間であったとしたら違和感がなくなってしまう。


 そしてなにより、ニコルはこれらの物事を事実として信じたはずだ。ラルフの記憶ではなく、魔王の城にあるという『記憶の水盆』によって、より悲惨な角度からラガニア国のたどった悲劇を追体験したのだから。だからこそ彼は魔王のそばで、わたしたち人間を滅ぼそうとしている。


 一座(いちざ)を見渡す。


 ヨハンとシンクレールはそれぞれ押し黙ったまま身じろぎもしない。ラルフの語った内容を事実として認めているからだ。一方でデミアンは自分の身を守るみたいにきつく腕組みをし、アリスは不機嫌そうに口を尖らせ、ノックスはひたすらわたしの目を覗き込んでいる。


 しばしの沈黙があって、口を開いたのはアリスだった。


「アタシはお嬢ちゃんの話を信じるよ」


 すぐさま「信じる」とノックスも続く。


 するとデミアンは慌てた様子でまくし立てた。「げ、現王様! そう軽率に信じられる話ではありませんぞ!」


 そして小太りの大臣は、キッとわたしへ顔を向ける。


「どうにも()に落ちん点もある」


「なにかしら?」


「そのラルフとやらが真実を語っていたとするなら、あらゆる魔物、あらゆる血族、あらゆるケダモノが薬によって異形になったのだろう?」


 言い回しのトゲが気になるけど、そこを気にしてもしょうがない。


「ええ」


「そしてラルフとやらは、薬の材料らしきものまで示そうとした。そうだな?」


「残念ながら材料の部分は欠けていたけど、残そうとしたのは確かね」


 小人のグリムがつけた火は、歴史書の肝心の部分を損なったのだ。ラルフ(いわ)く、すべての異形をもとに戻しうる解毒薬のようなものを後世の誰かが発明してくれることを願って、オブライエンに渡した材料を列挙した。否、列挙するはずだった。


「ならば、その歴史書は水面下で広がるべきじゃないかね? 小人だけで真実の歴史を封じていたのは不合理だ」


 そうなのだ。本来、(つづ)られた歴史――真実の記憶は共有されてしかるべき物事である。


 そのあたりのことは、わたしたちがラルフの記憶を覗いたあとで、消沈した老小人が語ってくれた。


「ラルフが歴史書を作ってから亡くなるまで、何年かの空白期間があるのよ。その間にどれだけの葛藤があったかは知らないけど……彼は遺言でこう言ったらしいわ。『最古の歴史書は、正しい思想と稀有(けう)な魔術を持つ者にのみ開示するように』って」


「……これまでは遺言に()る者がいなかったと?」


「そうらしいわ」


 老小人の語ったところによると、晩年のラルフはもうひとつ条件を加えていたらしい。曰く、『自分よりも優秀な者であること』。小人になったラルフは、どうにかして解毒剤を作り出そうとしたのだろう。しかし、残念ながら出来なかった。ゆえに、のちの世の天才に賭けたというわけだ。これまた残念ながら、ラルフを越えるほど優秀な存在は――小人の知る世界からは――現れなかったというわけだ。


 老小人が躍起(やっき)になって歴史書を焼こうとしたのは、不適格な相手に内容を見られてはならないからだ。そこにはラガニア国を滅ぼした『アルテゴ』なる薬の材料が記されている。製造方法こそ不明だが、下手な相手に見せるべきではない。


 しかし、最古の歴史書が託された人物がたったひとりいる。毒食(どくじき)の魔女だ。老小人にとって、獣人の手に渡るくらいなら焼き払う決断だってあったはずだ。それをあえて託すという決断が出来たのは、魔女が買われていたことを示している。だからこそ余計に、彼女がすでにこの世を去っている事実が悔しくてならない。


 大きなため息をついてアリスが立ち上がった。伸びをして、「ん」と声が漏れる。


「腹(くく)んなよ、大臣。まずは信じる、そこからしか『この先』の話にはならないってことさ。地図にない町までアタシたちを呼びつけたってのは、オブライエンを気にしてるからだろう?」


「そうよ。どこにいても危ないことには変わりないけど……ここなら比較的安全に話せると思ったのよ」


 オブライエンは警戒してしかるべき相手だ。どこであろうとも。


 そしてアリスの言った通り、ここから先の話は信用が得られてからでないと難しい。


「信じることなど出来るわけがない……! 軽率に認めてしまったら、それは王都への侮辱ともなる……」


「なに言ってんだい。王様は認めてんだよ」


 言って、アリスはノックスの後ろに回り込むと、その華奢(きゃしゃ)な肩をゆすった。


 ノックスは一瞬びっくりしたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうにアリスを見上げる。そしてちょっぴり頬を膨らませた。


「今は王様のつもりじゃないから、そんなふうに呼ばないで」


「分かったよ、坊や」


 くしゃくしゃと髪を撫でられるノックスは、なんだか気恥ずかしそうだった。


 デミアンはそれを横目で睨み、なにやらもごもごと言う。「無礼だぞ」


「これがアタシとノックスの(あいだ)の礼儀なんだよ。みみっちいこと言ってると大事なものを見落とすよ」


 大臣は盛大なため息をつき、片手で顔の半分を覆った。もう片方の手は自分のお腹をさすっている。今まさに頭痛と腹痛に襲われているに違いない。


 やがて彼は観念したように、こう呟いた。「続けろ」


「……信じてくれたの?」


「一旦保留だ」


 まあ、そう言うしかないだろうと思う。


 彼だって自分なりに王都のために尽くしているのだ。大臣として。今ではノックスの一番近くにいる者として。だからこそ簡単に物事を信じてはいけないのも分かる。


 わたしは小さく息を吸う。


 大事なのはここからだ。


「ひと月後に、王都は戦場になるわ。前回以上の魔物が来るのは間違いないし、そこには何人もの血族がいる」


 ピン、と場の空気が張り詰めるのを肌で感じた。


 いつかまた襲撃されるのは、アリスもノックスも、そしてデミアンだって理解していたはずだ。王都に住む多くの人々と同じく。


 ただし、『いつか』と『一ヶ月後』ではまったく質が違う。ひとかたまりの恐怖が輪郭を(ともな)って目前に立ちのぼる。


「戦場はふたつ。地上での、血族と人間の争い。そしてもうひとつは」


 アリスが親指を下に向けた。品のない仕草だけれど、わたしも同じくらいの気持ちを抱えている。


「もうひとつは、地下だろう? オブライエンを潰すってワケかい」


 呼吸を整え、わたしははっきりと、誰が見ても疑いようのないくらいの重さで頷いた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『毒食(どくじき)の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。故人。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』参照


・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食(どくじき)の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ


・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。王都の歓楽街取締役のルカーニアに永続的な雇用関係を結んだ。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場


・『グリム』→『岩蜘蛛の巣』に暮らしていた小人。かぶっている間は姿を消せる帽子型の魔道具『透過帽(とうかぼう)』を持つ。竜人の至宝とも言える存在『竜姫』の結婚相手。詳しくは『597.「小人の頼み」』『第四話「西方霊山」』にて


・『老小人』→小人の長。「エー」が口癖。人間をひどく嫌っている。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて


・『ルーカス』→『魔女の湿原』の北に広がる高原に住む『黒の血族』。銀色の梟面を身に着けた小太りの男。父である『巌窟王』と一緒に暮らしている。同じ血族であるマダムに攫った人間を提供していた。血族のみ参加出来るオークションで司会をしていたが、クビになった過去を持つ。クロエをオークションに出品する優先権を持っている。詳しくは『472.「ほんの少し先に」』『609.「垂涎の商品」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ハルピュイア』→半人半鳥の魔物。狡猾。詳しくは『43.「無感情の面影」』にて


・『ギボン』→別名『魔猿』。毛むくじゃらの姿をした人型魔物。森に出現する。詳しくは『294.「魔猿の王様」』にて


・『ラーミア』→半人半蛇の魔物。知能の高い種。『86.「魔力の奔流」』に登場


・『二重歩行者(ドッペルゲンガー)』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて


・『記憶の水盆(すいぼん)』→過去を追体験出来る魔道具。魔王の城の奥にある。初出は『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』


・『アルテゴ』→オブライエンの発明した生物兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『小人』→人間とは別の存在。背が低く、ずんぐりとした体形が特徴。その性質は謎に包まれているものの、独自の文化を持つと語られている。特に小人の綴った『小人文字』はその筆頭。『岩蜘蛛の巣』の小人たちは、人間を嫌っている様子を見せた。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて


・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている


・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より

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