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892.「匿名の町の訪問者」

 塔の(ふち)で顔を覆い、ごろごろと右に左に転がるわたしをヨハンがどんな表情で眺めているだろう。知ったことじゃないけれど、ちょっぴりだけ気にはなる。ただ、そんな好奇心は心の容量のうち百分の一程度のもので、あとはひたすら羞恥心がぎゅうぎゅうと()めている。


「もう駄目。お嫁に行けない」


 ひとしきりごろごろやった後で、横たわったまま呟く。どんな男にも裸を見られるのは嫌だけれど、よりにもよってヨハンだなんて。閉じた唇から「うぅぅ」と漏れる(うめ)きを(おさ)える余裕もない。


「過ぎたことですから気にしてもしょうがないですよ」なんて、ヨハンは一向に悪びれずに言う。


「というか、そもそもなんでわたしと視覚共有する必要があったのよ。しかも計画通りだったって、どういうこと!?」


 そもそもルーカスがわたしに視覚共有を持ちかけたのは、こちらがピンチになったときに助力出来るように、という名目だった。デュラハンとの戦闘の際にハルピュイアが駆けつけてくれたのは視覚共有の恩恵だけれど、それ以外に助けられたりしたっけ。


「わたしとお嬢さんが上手く合流するために、ですよ」


「……だからあなたが『骨の揺り籠(カッコー)』に現れたのね」


「ええ」


黄金宮殿(ザハブ・カスル)』での最終交渉に居合わせるために、こちらの状況を(うかが)っていたというわけだろう。でも、それだけが理由じゃないはず。交渉部隊と合流するためだけであれば、視覚共有の相手はハックが適任だ。


 身を起こしてヨハンを見つめる。じぃーっと。


 彼はへらへらした笑いを口に浮かべながら肩を(すく)めた。


「なんですか?」


「合流じゃなくて監視でしょ。わたしが作戦の邪魔をしないように」


 ヨハンは『灰銀の太陽』の作戦をほぼ掌握(しょうあく)していた。大筋(おおすじ)では予定通りに(こと)を進めていたわけだ。そんな彼にとって、わたしの存在は悩みの種だったのかもしれない。なにを仕出(しで)かすか分からないイレギュラー。だから(つね)に目を光らせている必要があったのだろう。


 彼は観念したのか、わざとらしく舌を出してみせた。自分ではチャーミングな仕草だと思ってるのかもしれないけど、ただただ薄気味悪いだけ。まったく……。


 ごろんと天を(あお)ぎ見ると、ぽつぽつと星が(またた)いていた。黒の天幕に()いた虫食い穴みたいだ。


「ゾラとの決闘が終わってからは、視覚共有を解除してくれたのよね?」


「……」


「まさか今も解除してない、なんてことないわよね?」


「……」


 こいつめ……。


 最低だ。トコトン最低だ。


「目的を達成してからも共有したままだなんて、それはただの覗きってことじゃないの?」


「とんでもない。私たちの最終目的は魔王の討伐です。それまでお嬢さんの視覚情報は握っておきたい……というのが正直な気持ちですね」


 ヨハンの立場からすればそうなんだろう。離れていてもこちらの居場所が分かるし、なにをしているのかも把握出来る。ただし、こっちとしては視覚を提供するだけというのはアンフェアだし、なにより人の裸を見ておいて黙っているのは卑怯過ぎる。視覚共有のことを忘れていたわたしも悪かったけど、それでもヨハンの(ずる)さは変わらない。


 とはいえ、冷静になって考えてみると悪いことばかりではないのかも。都合の悪い場面は眼帯でシャットアウト出来るし、必要なときには眼帯を外してこちらの状況を(しら)すことが出来る。それこそ文字を書いて見せれば、瞬時にこちらの意思だって伝えられる。そのうえでヨハンが――あるいはルーカスが――どう行動するかは分からないけど。


「卑怯者……」


「どういたしまして」


 ひょい、っと目の前に桃色の団子と、それをつまんだ細い指先が現れる。


 なにも考えずに口を開くと、舌の上にポンと団子が落ちた。


 もっちもっちもっち。


 団子は美味しい。団子に罪はない。


「そのうちお()びしますよ」


 もっちもっち。


 食べている隙に話を終わらせようとするあたり、やっぱり卑怯者だと思う。


 もっちもっちもっち。


 夜が明けたらココのところに行って眼帯を作ってもらおう。服飾に関して彼女の右に出る者はいない。きっと眼帯だってお手のものだ。


 ごくん。


「もうひとつ食べますか?」


「いえ、もういいわ。お腹いっぱい」


 身を起こして伸びをする。背骨がポキリと鳴った。


「困りましたね。団子はまだまだあるのですが」


 ちらと大皿を見ると、相も変わらず山盛りになっている。ちっとも減っているように見えないんだから不思議だ。皿の下から新たな団子がポコポコと生まれているようなイメージが、一瞬だけ頭をよぎる。


「あなたが食べればいいじゃない。少しは太ったほうがいいわよ」


 ヨハンはいつ見ても枯れ枝みたいな身体をしている。病という言葉がこれほど似合う男もいないだろう。目の下の(くま)と、癖のある長髪で(かげ)った顔が、不健康な印象に拍車をかけている。


 不意に機械音がして、わたしとヨハンはほとんど同時に昇降機のほうを見やる。じわじわと重たい音が昇ってきた。


 やがて昇降機が開くと、ヨハンがこちらに目配せをし、へらへらと言った。「いいタイミングですね。団子消化要員が来ましたよ」


 あらゆる方面に失礼な物言いだけれど、良いタイミングなのは間違いない。昇降機から出たシンクレールと、深々とローブをかぶって顔を隠している三人に笑顔を向けた。


「おかえりなさい、シンクレール。きっちり連れてきてくれたみたいね」


 立ち上がって出迎えると、シンクレールは満面の笑みを見せた。


「うん、ちゃんと連れてきたよ。アリスとデミアンと――」


 三人がフードを上げる。アリスは普段通りの挑発的な笑みを浮かべていて、その隣では大臣のデミアンが眉間に深い皺を刻んでこちらを睨んでいる。そんな二人に挟まれて、小さな微笑みがこちらに向けられた。


「久しぶり、ノックス」


 王都の、現役の王様。ノックス。


 彼はキラキラと目を輝かせ、一目散にわたしの胸に飛び込んできた。そうしてハグをしてから、すぐに身を離し、頬を赤く染めて(うつむ)いている。人の裸を見ても平然としているどこかの不健康男とは大違いの純朴さである。


「元気してたかい、お嬢ちゃん」とアリスが不敵な笑みで言う。そしてノックスの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「不敬な!」


 そう叫んだデミアンを、彼女は「ハンッ」とつまらなさそうに笑い飛ばす。「何度も言ってるけど、アタシと坊やは友達なのさ。ガタガタ言ってると額を撃ち抜くよ」


「アリス、乱暴しないで」とノックスが殊勝(しゅしょう)に言う。


「大丈夫さ、坊や。痛くないように撃ち抜くからさぁ」


「ぶ、無礼者め……!」


 シンクレールには苦労をかけてしまった。道中(どうちゅう)ずっとこんな調子だったろう。


『煙宿』にノックスとデミアン、そしてアリスを連れてくること。それがシンクレールに頼んだ仕事だ。


 デミアンはわたしを睨みつけ、ぶつぶつと不満を漏らした。「まったく、こんな辺鄙(へんぴ)なところへ呼びつけおって……現王様と側近の大臣が王城を離れることがどれほどの重大事件か分かっておるのか! 下らん用事だったらタダじゃおかん!」


「まあまあ」とヨハンが割って入る。その手には団子の乗った大皿。「団子でも食べながらゆっくり話しましょう」


「何者だ貴様! ん……? どこかで見たような……」


「これは失敬。お初にお目にかかります。私はヨハンと申しまして、ここにいるクロエお嬢さんの協力者です。つまり貴方がたともお仲間ってわけなんでさあ」


「貴様もしや……! 先王を撃ち抜いた血族だな!?」


 そういえばヨハンはわたしと同様、王都のお尋ね者になっていたのだ。わたしの冤罪(えんざい)は認められたけれど、ヨハンに関してはノータッチだったっけ。


「ヨハンは味方だから、大丈夫」とノックスは平然と言い放つ。


 当然のごとくデミアンは狼狽(ろうばい)した。


「いや、しかし、現王様……そやつは血族で……」


「大丈夫」


 ノックスの言葉に勢いを得たわけではないだろうけど、ヨハンが重ねて言う。「ご安心ください大臣様。私は正真正銘、人間の味方です。そして血族やら人間やらの区分は、あまり意味のないものなんでさあ。ま、立ち話もなんですから、こちらへどうぞ」


 そう言ってヨハンは手で小屋を示し、先導するように歩き出した。


「下らん内容だったらタダじゃおかんぞ」


 さっき聞いたばかりの言葉を繰り返すデミアンに、内心で(こた)える。


 大丈夫。内容は保証するから。誰にとっても無視出来ないほどの重大事を――知らないほうが良かったとさえ思えるほどの物事を伝えるために、あなたたちを呼んだのだから。オブライエンから遠く離れた、この匿名(とくめい)の町まで。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食(どくじき)の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ


・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて


・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。王都の歓楽街取締役のルカーニアに永続的な雇用関係を結んだ。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るい。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『ルーカス』→『魔女の湿原』の北に広がる高原に住む『黒の血族』。銀色の梟面を身に着けた小太りの男。父である『巌窟王』と一緒に暮らしている。同じ血族であるマダムに攫った人間を提供していた。血族のみ参加出来るオークションで司会をしていたが、クビになった過去を持つ。クロエをオークションに出品する優先権を持っている。詳しくは『472.「ほんの少し先に」』『609.「垂涎の商品」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『ハルピュイア』→半人半鳥の魔物。狡猾。詳しくは『43.「無感情の面影」』にて


・『デュラハン』→半馬人の住む高原に出没する強力な魔物。首なしの鎧姿で、同じく武装した漆黒の馬に乗っている。クロエに討伐された。詳しくは『621.「敬虔なる覚悟」』にて


・『視覚共有』→その名の通り、視覚を共有する魔術。詳しくは『9.「視覚共有」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した生物兵器『気化アルテゴ』のよって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『煙宿(けむりやど)』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている


・『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて


・『骨の揺り籠(カッコー)』→身体的ハンデから、口減らしの目的で『異形の穴』に捨てられた獣人のうち、生き残った者たちで作り出した集落。『異形の穴』の底に存在する。詳しくは『第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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