幕間37.「アルテゴ」
不死者の作成を試み、失敗したのは二百人。成功したのは最初の実験体であるジュリアのみ。
相変わらず悪辣な冗談を体現したかのような存在だね、オブライエンは。
『まあ、無駄ではなかったよ。諦めるのにちょうどいい数だった。普段の僕ならもっと早い段階で諦めていただろうけど、なにせスタインの命がかかっているからね。ちょっとムキになっちゃった』
『どうやって二百人も集めた』
『ん? ジュリアに集めてもらったんだ。近隣の村や町から。さすがに壁のなかの人たちを実験材料にはしないよ』
そういう問題ではないが、正論なんてオブライエンには届かない。
彼の完璧な微笑は狂気に裏打ちされている。間違いなく。
おや、オブライエンがまたしても懐からなにかを取り出したね。
紫色の球体が入った小瓶だ。
『この個体を溶かしたものが今、オブライエンの身体の深いところにいくつも埋め込まれてる。生命活動が終わると同時に、破裂する仕掛けの魔道具に包まれて。空気に触れるとたちまち気化する性質を持った液体だよ』
先ほどのオブライエンの言葉を思い出していただきたい。
彼はスタインの死を必要と言っていたね。つまりは、その装置とやらを発動させたいというわけだ。
『スタインには爆弾と伝えてある。スタインが死ねば、身体に埋め込まれた爆弾で敵を道連れにする、ってね。でもかなり大規模だから、せめて死ぬときはラガニアの中心地で死んでくれ、って』
『スタインは承知の上でそんな物を……?』
『ああ、うん。だから必死に生き延びてこれたし、今だってラガニアでの処刑を実は待ってたりするんじゃないかな。自分が死ぬことでラガニアに打撃を与えられるなら本望だと思うよ』
おぞましい話だ。
しかし、続きがある。
『でも、爆弾じゃないんだよ』
『……爆弾じゃない?』
『そう。僕がずっと不死の研究をしていたことは先生も知ってるよね』
オブライエンのテーマは父であるウェルチ氏が死んでからというもの、ずっと変わっていない。死霊術も、ジュリアに施した不死者の実験も、根は同じだ。
『ああ、知ってる』
『スタインの身体に埋め込んだのは、不死研究の課程で生まれた副産物だよ』
『副産物? どういうことだ』
なんとも不穏な響きだね。
私が少々声を荒げてしまったのは嫌な予感がしたからだ。なにか取り返しのつかないことをまたしても仕出かそうとしてるんじゃないかってね。
事実、その通りだった。
『今小瓶に入っている物体を、僕は「固形アルテゴ」と呼んでるんだ。ああ、意味は特にないから気にしないでね。これが液体になったものは「液化アルテゴ」、気体になったものが「気化アルテゴ」。ラガニアで僕が学長をしてたときに、先生が集めてくれた素材から作り出したものだよ』
『で、それがなんなんだ』
『そう焦らないでよ、先生。大事な話だからさ。……今スタインの身体に格納されているのは「液化アルテゴ」で、これが空気に触れると即座に「気化アルテゴ」となって漂う。この漂い方が絶妙でね――』
『端的に話せ』
このときの私は酷く焦っていたのだよ。なにせ、嫌な予感がどんどん膨らんでしまって、いても立ってもいられないような気がしてね……。
このとき充分に話を聞いていれば、製造方法を含めた詳細をお伝えすることも出来たかもしれないと思うと、やりきれない。
『じゃあ、シンプルに言おうか。「気化アルテゴ」を吸入した人間は魔力暴走により、細胞に強制的かつ不可逆的な進化を促される。結果として起こるのは三パターン。まず、二十四時間のうち決められた範囲でしか形態を維持出来ない化け物に変異するパターン。これがもっとも可能性が高いね。九十パーセントがこうなる。次に、形態を維持した化け物になるパターン。最初のパターンに比べると極端に数は落ちるけど、それでも九パーセント程度は確率がある。最後に、人間のままの形状を持ち続けるパターン。これがおよそ一パーセント』
『……人間が、化け物に?』
『そう。端的に言うと人間を化け物にしてしまう薬だよ。先生はまとめるのがお上手だ』
『なんでそんなものを……』
『簡単な話さ。もしスタインが死ぬとすれば、グレキランスは終わってしまう。いずれラガニアに占領され、国としてのかたちは完全になくなってしまうだろう。以前よりもずっと厳しい支配が長きに渡って――もしかすると未来永劫続くかもしれない。それなら、ラガニア自体を消してしまえば解決だ』
『そんなもの解決でもなんでもない』
私が口に出来た反論はこの程度だ。いや、反論にすらなっていないだろうね。
しかし、想像していただきたい。狂人相手にいかなる反論が可能だろう。とどのつまり、相手に届かなければ一切は空論なのだよ。理知が役に立つ段階はとうの昔に終わっている。
『解決かどうかは結果を見て決めればいいんじゃないかな。どちらにせよ残された時間はないんだし』
オブライエンの手が空中を指した。さあ、見上げよう。
頭上に現れた円形のスクリーン。そこに映し出されたのは断頭台のスタインだ。
彼の表情に余裕と緊張が同居しているのは、ひとえに死への恐怖と、自分の死によって大爆発が生じることへの確信からだろう。人を化け物に変えてしまう恐ろしい代物が散布されるという真相は知らずに。
『ここはラガニアの処刑台だよ。王城の隅の特設ステージ。ちなみに「気化アルテゴ」の有効範囲は地形や気候も影響するけれど、ざっと見積もってもラガニア国を丸ごと化け物の住処に変えるには充分さ。いくらかグレキランスに流れ込んでくる可能性はあるけれど、まあ仕方ないよね。そのときは生き残った人間たちで化け物に対処しながら仲良く平和に生きていけばいい。うん、それが一番だ。人間を殺すのに躊躇いを感じてた農民たちも、化け物が相手ならもっと素直に殺せるだろうし――先生、それはなに?』
話の途中で、私がそれとなく懐に手を入れたことを諸君は気付いただろうか。
取り出したのは黒の球体。鉄のごとく冷たく、硬い。
『これがなにか、試してやろうか』
諸君らにはご紹介しよう。今私の手のひらにあり、そしてまさに明滅をはじめた球体は虚無黒星と名付けた魔道具だ。
破壊不可能の檻だ。
球体から伸びた帯が鳥籠を形作り、一瞬にしてオブライエンを捕える。ご覧いただいている通りだ。
『籠の中だね。捕まっちゃったよ。で、これは先生が長年かけて作った、僕を封じる道具なの?』
『……オブライエン。なんで避けなかった?』
そう、オブライエンは回避する素振りも、魔術で対処する様子も見せなかった。
『先生の努力を無駄にしたくはなかったからさ。だって、ずっとお世話になってきたからね。僕も礼儀はわきまえてるんだよ? でも、すごいね、この檻。内側ではなんの魔術も使えないなんて』
オブライエンの看破した通りだ。檻の内側では一切の魔術行使が不可能になっている。
魔力の集約を解除する、といって伝わるだろうか。たとえば魔力が糸であり、それらが縒り合って一枚の布になると考えるといい。虚無黒星の内部では、糸同士を解いてしまう魔術が常に働いている。そのため、いかにオブライエンが強力な魔術を会得していようとも、魔術としてかたちをなす前に解除することが可能なのだよ。加えて言えば、糸を檻の外に伸ばすことは出来ない。即座に遮断する仕組みになっている。つまりは檻の内部にいるオブライエンには魔術行使が不可能なのだ。それは彼が身に着けている義手義足も同じである。
『あはは。なんにも出来なくなっちゃったよ。でも、すでに発動している魔術は残るみたいだね。地下空間の制御も出来るし、スクリーンもそのままだ』
誤算というわけではない。そこまではどうしても実現出来なかっただけだ。しかし、充分だろう。虚無黒星は一度発動してしまえば、施術者でも解除不可能だ。永久に維持される。
『ご苦労様』
ゾッとしたよ。諸君らもそうじゃないかね?
真後ろから声がして、振り返るとオブライエンがいたのだから。
『二重歩行者……』
諸君らは二重歩行者という魔術をご存知だろうか。簡単に言えば分身を作る魔術だ。
オブライエンは私に会ってから一度だって魔術を使う素振りを見せなかった。
つまり、はじめから分身を作っておいたというわけだ。ただ、主体は檻のなかのオブライエンで、彼が死ねば二重歩行者も消え去る。
本来なら、ね。
『そんなことだろうと思ってたんだ。先生はいつか僕を封じ込めにくるって。そのための研究をしてたことぐらい、とっくに察してたよ。で、未成立の魔術を成立前に解除することが技術的に可能なことも分かってた。でもそこまでだ。顕現している魔術を解除することは、魔道具程度に実現出来ない』
『分かってて、わざと……』
『そうだよ。でも、先生の努力を無駄にしないように思ったのも事実だけどね。なんにせよ、これで僕の本体は誰からの干渉も受けない。この檻は物理的にも魔術的にも壊せないからね』
『檻の隙間から凶器を挿し込めば――』
『そう、殺せる。ただし一般人相手ならね』
オブライエンが得意気に取り出したのは、ジュリアを滅多刺しにしたものと同じナイフだ。
それで自分の心臓をひと突き。
ふた突き。
三四五六七八九、十。
『先生、不死者がひとりだと思った? 今日までの二週間、僕がなにをしていたか分かる?』
『お前も……』
『そう。ジュリアに手術してもらったんだ。彼女は器用だね。完璧にこなしてくれた。しかもすごく嬉しそうに。僕がジュリアと同じ不死者になるのが、たまらなく幸せだったんだろうね』
オブライエンは死なない。そして魔術的干渉も受けない。
ただ、外部に二重歩行者は存在している。二重歩行者によって魔術を生成することくらい彼なら造作なくやってしまうだろう。
『先生、僕は貴方を尊敬してる。愛してもいる。だから、先生のことを邪魔したくないんだ』
私がオブライエンの二重歩行者のハグを避けなかったのは、諦めからだ。
もう彼には、誰もなにも手出し出来ない。そして自然に死ぬこともない。
『先生。スタインが処刑されるまであと半日ある。僕は先生の邪魔はしない。すぐに地下から出してあげる。さあ、どうする?』
仮初の夕陽でさえ、オブライエンが作り出したのならここまで美しいのだね。
完璧だ。完璧じゃないか。
このときの私は、はっきりとふたつの選択肢で揺れていた。
このまま地下にとどまって、オブライエンとともにどこまでも歩んでいくか。それともスタインの処刑を阻止するため、全力でラガニアに向かうか。実際、飛行魔術で半日飛べばギリギリ首都にはたどり着く。
崇拝と反発。結局のところ、私に選ぶことが可能だったのは後者だけだ。
オブライエンについていけば自分も天才と同じ景色を見れるんじゃないかと空想していたのだが、所詮私はどうしようもなく凡人だったというわけだ。あらゆる倫理を排除して天才性を十全に発揮する彼に、私は置いて行かれてしまったのだ。そうしてこんな、懺悔録という名の恨み言を記録している。
『さよなら、オブライエン』
『じゃあね、先生。大好きだよ』
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




