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幕間35.「すべては勝利のために」

『ジュリアの身体は、僕の作り出した液体魔具で維持されてるんだよ。あらゆる血液とあらゆる臓器を液体魔具に置き換えた。その過程で少しばかり成長を促進(そくしん)する必要があったけど……些細なことだよ。死霊兵との大きな違いは二点。ひとつは先ほど見せたように、卓越した形状記憶能力。僕がやったことは水面にナイフを突き立てたのと同じことなのさ。ナイフを抜けばすぐに元のかたちに戻る』


 オブライエンは得意気に解説しているね。当時の私は面食らっていて、正直に言うと正常に頭が働いていなかった。オブライエンの言葉の断片が頭を満たしていくだけだ。


『でも、実はもう一点こそが重要なんだ。それは、自我を失ってないということなんだよ。つまり、ジュリアは以前のジュリアと地続きの記憶と思考を持ちながら不死者になったんだ。その証拠をお見せするよ。死霊兵との差異を披露するだけなら、今の感情を語ってもらえればそれで済むからね。……ジュリア。君の感情を二人に伝えてあげて。率直にね』


『……痛くて、恥ずかしくて、胸が苦しいです』


 ジュリアの顔にご注目。唇を噛み、何度か眉間に皺を寄せ、目尻には涙が溜まっている。死霊兵には決して出来ない表情だ。


『胸が苦しい? それはどうしてなのかな』


『オブライエン以外に裸を見られたくないの……!』


『そう、悪かったね。服を着ていいよ』


 ジュリアが吐露したのは当たり前の感情だ。好いた相手以外には裸を見られたくないだろう。


 それはつまり、彼女の精神が以前の少女と地続きであることを示している。


 そんなジュリアに対する、オブライエンの鼻白(はなじろ)んだ反応……いやはや、血の(かよ)っていないのは彼のほうだろうね。


『さて、と。これでジュリアに自我があることを分かってもらえたと思う。ねぇ、スタイン。不死者を量産して戦場に送れば、きっとこの状況を打破出来るよ』


 そうに違いない。これまでの死霊兵は単純な指令を受け取るだけの、まさしく動く死体に過ぎなかった。戦闘能力もさして高くはなく、なにより自己判断というものを持っていないのだ。


 不死者を使うとなれば、いくらでも融通の()く作戦を展開出来る。それに加えて敵方も対処のしようがないだろう。死霊兵のように、全身に巡らしているのは魔力ではないのだ。彼らにとってはまったく未知の脅威となることは間違いない。


 ……とまあ、こう割り切ってしまえるのは不死者を人間扱いしない冷徹な悪魔だけだろう。


 諸君らも、当時の私も、つい先ほどナイフで滅多刺しにされたジュリアの表情を見ている。そこには確実に痛みがあるのだ。


『ただし』


 オブライエンの話には続きがあるようだ。まあ、あって当然だろうね。


『そうたくさんは作れないかな』


『それは……?』


『先生、簡単な話だよ。液体魔具を身体に馴染ませるためには意識が明瞭である必要があるんだ。脳と身体の回路が正常に機能していなきゃならない。液体魔具は施術の最初のステップで使うから、つまり最初から最後まで意識を保っておく必要があるというわけだね。体内に注入された液体魔具が臓器を模倣(もほう)し、血液の領分を奪い取るまでは少なく見積もっても六十時間は必要になる』


『二日半、寝なければいい、と?』


『それもあるけど、二日半、地獄の苦しみに耐えなきゃいけない。液体魔具による置き換えは、身体の内側を異物に食い荒らされるようなものさ。死んでしまいたくなるほどの苦痛が二日半、絶え間なく続く。途中で気を失ってしまったら液体魔具の活動は停止し、けれど荒らされた臓器は戻らない。血管にも異物が詰まったままの状態になる。つまり、死んでしまうのさ』


 おぞましい話だよ。


 とてもじゃないが、人間が人間に与えていい試練ではない。


 そうは思わないかね、諸君。


 私が背筋の寒さを(こら)えてジュリアを見上げた気持ちを分かってくれるかね。


『ジュリアは、耐えたのか……?』


『そうだよ。彼女は最後まで意識を失わなかった。しかも彼女の場合は肉体の強制的な成長も(ともな)ったから、もっと苦しかっただろうね』


『……オブライエン。ジュリアはその……不死者だとか、苦痛には……同意していたのか?』


『説明はしたけど、理解してくれたかどうかは分からないな』


 私がオブライエンの胸倉を掴もうと立ち上がり、手を伸ばした理由はご理解いただけるだろうか。


 私としては、それを(はば)んだジュリアの心情のほうが理解に苦しむね。


 彼女がオブライエンと私の間に割って入り、両腕を広げるとは思わなかったよ。


『私のオブライエンに触れないで』


 私のオブライエン!


 なんという健気な思い上がりだろう。


 この言葉と態度で、当時の私はジュリアがいかにして試練を耐えきったのか理解してしまったのだ。もう身体に力は入らなくて、そら、椅子に戻ってしまった。


 つまりだ。ジュリアはオブライエンをずっと愛していた。彼女にとって不死とは、オブライエンが終わるそのときまで彼の寵愛(ちょうあい)を受けることの出来る素晴らしい手段に思えたのかもしれない。あるいは、自分の身体がオブライエンの成果となるならと、病的な自己犠牲精神を発揮したのかもしれない。細かい思考の経緯は知りようがないが、いずれにしても明確なのは、ジュリアはオブライエンを愛しており、そのためにこそ身を捧げ、苦痛に耐えきったという点だ。


『ジュリア。今は大切な話をしてるんだ。あまり邪魔しないでおくれ』


『邪魔……ごめんなさい、オブライエン』


 二十代前半の顔に浮かぶ、少女的消沈。こんな状況でもなければ、なかなか絵になる表情だ。


『さあ、話を戻そう。僕はこれからグレキランスで不死者の量産にかかる。完成した不死者が戦場で()らぬ混乱を持ち込まないよう、洗脳魔術もかけておくよ。スタインの命令は絶対順守。敵には寝返らない。痛みを恐れず戦い続ける。完璧な兵士だと思わないかい?』


 スタインはずっと沈黙している。まばたきひとつせずオブライエンを見つめたまま。


 いやはや、異様な緊張と迫力だね。


 そら、スタインの口が開くぞ。ゆっくりと、重々しく。


『オブライエン。不死者の量産は許さん。ジュリアで最後にしろ』


『……? なんで? 不死者がいれば勝てるのに』


『死霊兵はまだ許容出来た。もとが死体だからな。自我のない肉体に魂を感じるほど俺はロマンチストではない。が、不死者は別だ。生きている人間の()り方そのものに介入してまで勝利が欲しいとは思わない』


 スタインも頭のネジは緩んでいるが、オブライエンのように数十本もネジが抜けているわけではないようだ。


 さてオブライエンはというと、無表情だね。見事になんの感情も見出せない、完璧な無表情だ。


『勝つ方法はそれしかないんだよ、スタイン』


『勝つためなら一線を越えていいと思っているのか?』


『線引きなんて意味ないよ。勝つか負けるか、それだけじゃないか』


『オブライエン。あまり命を(もてあそ)ぶな。他人は虫けらではないんだ』


『虫けらだなんて一度も思ったことはないよ。そうやって過剰に命を礼賛(らいさん)して可能性をどんどん潰していくんだ、君は』


『オブライエン。お前は此度(こたび)の戦争にもう首を突っ込むな』


『そうでもしなきゃスタインが死んでしまうじゃないか!』


 オブライエンが声を荒げたのは、後にも先にもこの一回きりだ。


『死を覚悟せず戦場に立つ馬鹿がどこにいる。……もう映像を切れ、オブライエン。これ以上の会話は時間の無駄だ』


 おや、素直に映像を消したね、オブライエンは。


 見たまえ、彼は明らかに消沈している。椅子の上に三角座りをして親指の爪を噛む(さま)なんてはじめて見た。


『先生。ジュリア。ひとりにしてくれ』


 なんの気迫もない声だが、強制力だけはあるね。


 私は立ち上がって部屋を去りかけたのだが、おや、ジュリアはその場に立ち尽くしている。


『ジュリア。聞こえなかったのかい?』


『聞こえませんでした。何度言っても聞こえませんよ』


 彼女の声には確かに意志がある。ひたすらに真っ直ぐ、オブライエンだけに向けられた意志だ。


 私は立ち去り、ジュリアは残った。なんだか象徴的に感じてしまうが、諸君らは事実だけを見つめてくれたまえ。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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