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幕間34.「もう誰も笑えない」

 半年が経過し、グレキランスは北東の山脈付近まで戦線を下げることとなった。獲得したはずの町や村は、ドラクル公爵の私兵を中心としたラガニア兵によって奪い返されてしまったのである。


 死霊兵が無力化されてからというもの、一方的ではないにせよじりじりと敗北の道を歩まされていた。そして半年が経過する頃、士気はドン底まで落ちたと言えよう。


 山頂の村――キュラスを最後の砦として籠城(ろうじょう)し、いずれ訪れる破滅になんとか抗っている状況である。グレキランスからも追加の人員を送っていたものの、それは兵士と呼べるような代物ではなく、ほとんどすべてが殺し殺される経験のない農夫だった。


 それらしく敗因を分析してみようじゃないか。


 死霊兵が無力化されたこと。それらしいね。まったくもってそれらしい。表面的には決定打のように見えるが、しかし問題はもっと根深いのではないか。


 実のところ最も大きな問題だったのは、グレキランスが兵士として採用した人材の多くが、申し分ない肉体を持ちながらも精神的に兵士として育成されていなかった点なのではないかと思うね。これまでずっと平穏な毎日を送ってきた農夫が、いきなり武器を持たせられたわけだ。自由だの革命だのという燃料では長期戦を制することは出来ないのではなかろうか。それこそ死霊兵という格好の特攻隊を失ったことで矢面(やおもて)に立つ機会は多くなり、必然的に生死と向き合う時間が長くなった結果、スタインの施した士気高揚(しきこうよう)のまやかしが()けてしまったのではないか。


 一方でラガニア兵は侵略の被害を受けているがゆえに、戦況が切実なものとなればなるほど、正義を燃やす動機が供給される。加えて人材も豊富だ。優秀な魔術師もいれば、私兵として日々訓練を欠かさなかった者も多い。ドラクル公爵領まで侵略の手が伸びた段階で、ラガニア側も真に団結して領土奪還へと舵を切った向きもある。


 以上がそれらしい敗因分析だ。


 オブライエンはこの事態をどう受け止めているのだろうか。そして籠城戦を()いられているスタインはどうだろう。


 気になるところだね。それならば聞いてみようではないか。


 幕を開けよう。




 椅子が二脚あるきりの、正六面体の部屋。四方の壁も床も天井も、何物をも反射しない乳白色。


 ご覧の通り椅子のひとつにはオブライエンがかけていて、もう一方には私が腰を下ろしている。そうして諸君も『おや』と思っていることだろうが、壁の一面は丸いスクリーンになっていて、そこに映るのは疲弊したスタインの姿だ。


 地下空間での三者会談。まさしくそんな具合だね。


 スタインが疲労をもはや隠せなくなっている一方で、見たまえ、オブライエンは(つね)と変わらぬ微笑だ。前回諸君にもご覧いただいた、憂鬱な陰りのある微笑ではないだろう? 完璧な常態だ。いったいなにを考えているのだろうね、彼は。


 さて、会談せざるを得なかった背景をまず語っておくべきだろう。戦況が本格的に悪化し、籠城戦を余儀なくされてから、オブライエンとスタインの繋がりに変化があったそうだ。それまでは目と耳と頭とで双方向に接続されていた彼らだったが、どうも途切れてしまったらしい。オブライエンが言うには、スタインのほうで一方的に魔術的な繋がりを破棄したんだとか。


 魔術的な才の薄いスタインに、オブライエンの魔術を遮断することなど不可能と言っていい。にもかかわらず切断が生じた理由は、ひとえに魔術の成り立ちにある。どちらか一方が切りたいと願ったときにはいつでも破棄出来るよう調整された魔術、とオブライエンは言っていた。事実、その通りだったのだろう。親愛なる兄に対してはフェアな男だったというわけだ、さすがのオブライエンも。


『スタイン。だいぶ疲れてるね』


『ああ。キュラスはすでに包囲されているからな。魔具の力で敵兵を追い払ってはいるが、突破は難しい。敵方もこちらの白旗を待っているきらいがある』


 聞いたかね、スタインの声を。すっかり消沈しているようだが、まだ威厳と戦意は残っているようだ。しかし風前の灯火というやつだろう。


『グレキランスからも援護部隊を送ってるけど、ことごとく駄目みたいだね』


『……オブライエン。そちらに敵兵は行っていないのか? なにぶん、こちらからは戦場を俯瞰(ふかん)出来ん』


『それは心配いらないよ。ラガニアが躍起になっているのはスタインの捕縛だ。君さえ押さえてしまえば戦争終結も同然だと思ってるんだろうね。もしかすると、独立宣言取り下げまで要求出来ると考えてるかも』


 オブライエンの想定がどこまで当を射ているかは定かではない。ただ、敵がグレキランスまで攻め入っていないことは事実だ。


 私の個人的な感想を述べさせてもらうと、ラガニアが最も恐れているのはオブライエンであり、彼の急所がスタインだと読んでいるのではないか。


 もしそうだとしたら正解だ。オブライエンは父と母を失い、残る肉親はスタインだけ。


 オブライエンにとってスタインは文字通りかけがえのない兄だ。なんの担保(たんぽ)もなしに信頼出来る唯一の存在なのだと断言出来る。


『もう少し耐えてくれれば、戦況は一気に変わるよ』


 スタインの目に希望が灯ったのが分かるかね。当時の私も、若干身を乗り出している。


 妙な表現だが、オブライエンの言葉には魔力がある。これまでどんな状況も思いのままに操ってきた男だ。説得力にかけては抜群といえる。


 ただ、決定的に欠けているものもある。今にそれが露呈(ろてい)するだろう。


『なにか策があるのか、オブライエン』


『もちろん。……入っておいで、ジュリア』


 スタインの向かいの壁がぽっかり開き、姿を現したのは随分とスタイルのいい女性だ。


 オブライエンがジュリアと呼んだのが、どうにも頷けないね。私の知るジュリアはどこにでもいるような十代の少女だ。しかし今部屋に足を踏み入れたグラマーな女性は、どう見ても二十代前半。


『ジュリアって……あの?』


 思わず私が口を挟んだ気持ちをご理解いただきたい。


『そうだよ。先生も知っているジュリアさ。少しだけ成長したように見えるでしょ?』


 ニコニコ微笑むオブライエンのそばへ、ジュリアは真っ直ぐに歩む。その手には盆。盆の上にはどうしてか、ナイフがひとつ。


『さあジュリア。服を脱いでご覧』


『ちょ、オブライエン!』


『先生、落ち着いて。どうか大人しくしてておくれ』


 なにが始まるのやら。


 ジュリアは盆を置いて、素直に服を脱ぎ始めたね。といっても、ほんの一瞬だけ口を尖らせて、恨みがましくオブライエンを一瞥したが。


 諸君はジュリアの下着姿に興味津々かもしれないが、ぜひ落ち着いてご覧いただきたい。


『オブライエン。使用人を(はずかし)める趣味はお前にはないと思っていたが』


『その点は安心してよ、スタイン。僕だってジュリアをいじめているわけじゃないんだ。ただ、こうでもしないとなかなか理解してもらえないだろうしね。演出は大事だよ』


 オブライエンはナイフを手に取ると、なんの迷いもなくジュリアの心臓に突き立てた。


『オブライエン!!』


 私が立ち上がって叫んでしまったのも無理からぬことだ。諸君だって、目の前で誰かが不意に心臓を突かれたら同じようなリアクションをするんじゃないか?


『先生、座って』


 そう、ここで大人しく座ってしまうのが私だ。いい加減お気付きのことと思うが、私は小物なのだよ。


 心臓を突かれたジュリアは、苦しげに(うめ)いている。顔を歪めている。ただ、直立不動の姿勢を崩してはいない。


 オブライエンがそのままジュリアの心臓のあたりを、何度も何度も突き刺していくね。あまり残酷に見えないのは、本来あるべきものがないからだ。


 そう。血が(ほとばし)らない。


 そして傷もみるみるうちに塞がっていくではないか。よくよく見たまえ。ナイフが抜けると同時に、患部から銀色の液体が滲み出て、彼女の生白い皮膚と同化し、すっかり傷を埋めてしまう。


 ひとしきり刺しては抜きを繰り返すと、ようやくオブライエンは盆にナイフを戻した。


 ジュリアは『う』とか『あ』とか、そうした音の断片を漏らしつつ荒い呼吸をしているね。つまり、痛みは失っていないのだろう。


 さて、私もスタインも言葉を発することが出来なくなっている。なにしろ異様な光景だからね。確実に死亡するほどの執拗な刺突を受けたのに、彼女の身体には傷ひとつないのだ。


『不死者。これが、戦況を変える武器さ』


 オブライエンの言葉が反響し、しかし誰も二の句を継げない。


 もう彼の冗談には、誰も笑えないのだ。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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