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幕間33.「暗雲」

 わずか二ヶ月あまりでグレキランスの支配地は急激に拡大した。


 もとより協力関係にあった近隣の村や町に加え、グレキランスとラガニアを(へだ)てる北東の山脈から、その先の平地に点在する村や町まで制圧したのだ。住民たちの人心掌握に関しては慣れたもので、グレキランス国に所属すれば搾取(さくしゅ)はなく、技術提供や双方向の交易を可能とする約定(やくじょう)をしたのである。特筆すべきは住民たちもまた粗末ではあるが武装し、グレキランスの兵としての協力を申し出た点である。これについてはオブライエンというより、スタインのカリスマ性を示しているだろう。出来ることなら彼がどのように住民を扇動(せんどう)したのか拝聴したいものだったが、あいにく私はオブライエンの作り出した地下空間で研究の日々だったので戦場に出ることはなかったのだよ。もっとも、グレキランスが攻められた場合には援護に回る手はずになっていたがね。


 なんにせよ、我々が二ヶ月のうちに失った戦力と、ラガニアが失った戦力とは比較するのも馬鹿馬鹿しいほどの差がある。


 なにせ、こちらの主戦力は死霊兵だ。しかも、戦死したラガニア兵の死体を持ち帰ればオブライエンの死霊術でこちらの戦力に早変わり。驚くほど上手くいっていた。


 ああ、そうそう。諸君も死霊兵については疑問に思うだろうから簡単に説明しておこうか。


 連中がどうして混乱なくラガニア兵と戦えていたのか。まず前提として、彼らはオブライエンの魔力で蘇り、彼の血液一滴で維持されている。何百もの死者を同時に維持するために、いちいちオブライエンが魔力を仮託(かたく)していたら身が持たないだろうからね。


 続いて彼らをいかにして指揮していたかも、蓋を開けてみればシンプルだ。死霊兵はスタインの指令で動く傀儡(かいらい)として設定されている。ただし、そう複雑な指示を送れるわけではない。前進、整列、突進、停止、死霊兵以外を攻撃……。せいぜいこの程度だが、それで充分であることは戦果で証明されている。相手方にとっても、決して死なない兵が突撃してくるのはさぞ厄介だったろう。死霊兵が中央を切り崩し、乱れた隊列を魔具部隊や一般の兵士で叩く。それで終わりだ。


 さて、戦況は非常に好ましい展開を見せていたのだが……事態は一変する。


 さあ、幕を上げよう。


 ラガニアと戦争状態に突入してから三ヶ月目のことだ。




 諸君にご覧いただいているのはオブライエンの私室だ。以前ジュリアの手厚い看病をお見せした部屋だね。


 今は夕方。窓から室内に射し込む琥珀色は、夕陽のそれだ。


『呼びつけてしまってごめんよ、先生』


 ちょうど扉を開けて入ってきたのは、諸君もご存知オブライエンだ。相変わらずの微笑だが、ふむ、本日は少々陰りが見えるね。どうしたことだろう。


 窓辺に寄って外を一瞥(いちべつ)。そのまま夕暮れを背負ってこちらを眺めるオブライエンは、どこか憂鬱な気配さえあるじゃないか。


『今日はジュリアと一緒じゃないのか?』


『あはは……四六時中一緒にいるわけじゃないさ』


 そうは言っても大変珍しいことだ。グレキランスに帰還してからというもの、オブライエンの隣には高確率でジュリアがいたし、もしそばにいなくとも五分もすればパタパタと駆け付けたものだった。


 さあ、しばしの沈黙。


 オブライエンが本題を切り出すのを待っているのだ、当時の私は。


『新しい研究室はどうかな? 使い心地は』


『おかげさまで、すこぶる快適だ。研究成果という点では君のはるか後ろを歩いているが……』


 新しい研究室というのは、例の地下のことだ。オブライエンの意思ひとつで自由自在にかたちを変えるその空間に、私の研究室がある。


 研究といっても、これまでオブライエンの行ってきた諸々の魔術的成果をそのままなぞっているだけだ。今のところ血液を使った死霊術の維持に注力しているが、(かんば)しい成果は出ていない。そうそう、オブライエンの魔術を私がなぞるのは、彼自身から依頼されたことでもある。(よう)するに仕組みさえ理解していれば私にも扱えるのか、それとも完全に彼の魔力量と質に依存しているのかを見極めるためだね。今のところ死霊術に関してはオブライエン以外に再現不可能の判を押せそうだ。むろん、研究途中なので断定すべきではないがね。


 (じつ)を言うと、私は死霊術ばかりに心血を注いでいるわけではなかった。


 以前からずっと続けていた個人研究も、少しずつではあるが進行していたのだよ。しかも、そろそろ完成に迫っている。内実についてはのちほど明らかになる事柄なので、ここでは触れないでおこう。


 さてさて、研究室のことが本題ではない。記憶の私もどうやら察している様子だ。


『オブライエン。なにがあったんだ?』


『大したことじゃないよ。ただ、先生の耳にも入れておこうと思ってね』


『なんでも言ってくれ。力になる』


 はは。そう、このときの私はオブライエンの力になりたがっていた。心の奥底に膨大な不満と反発があったにもかかわらず、ね。


 こちらを見つめるオブライエンの、あの優美な眼差しが諸君らに()らぬ感情を起こさせないか心配だよ。


 さあ、肝心の本題だ。オブライエンの口が開くぞ。


『スタインの軍が敗北した』


『……え?』


『もちろん全滅したわけじゃないよ。上手く撤退したさ。ただ、死霊兵の大部分と雑兵(ぞうひょう)を少し失った』


 信じがたい! と当時の私は思ったものだ。


 しかし、よく考えれば不思議なことではないのだよ。


『先生、ドラクルさんを覚えてるかな?』


『ああ、覚えている』


 王の横で裁判を始めた公爵だ。オブライエンの失脚の元凶であり、戦争の引き金になった人物とも言えよう。


『スタインたちは彼の領地に侵入し、返り討ちに()ったんだ。どうも負け方が妙でね、死霊兵が機能しなかったらしい』


『機能しなかった……?』


『死体に戻されたんだ』


 びっくりすることでもない。作れるということは、無力化も出来るはずだからね。そして多くの場合、作るよりも壊すほうが容易(たやす)い。もちろん、私以上に魔術的才能に優れている必要はあるが。


『まさか、公爵についていたあの魔術師……』


『ご名答。どうやらヘルメスさんが僕の半身を吹き飛ばしたのは偶然じゃなかったようだね。死霊兵が駄目でも魔具を使えばそれなりに戦えるけど、どうにも人員がね……。しかもドラクルさんは魔術部隊を持っている』


 それゆえ、撤退に至ったのだろう。


 賢明な判断だ。勇猛さと無謀さをはき違えてはいけない。


『それで、どうするんだ……? 勝機はあるのか?』


『急ピッチで魔具を増産して、グレキランス諸国からも兵を(つの)るしかないね。スタインとも相談して、すでに決まっているよ』


 オブライエンの目と耳と思考の一部はスタインと共有している。スタインのそれも、オブライエンに流れてきているのだろう。


『……勝てるのか?』


 ハハッ! 見たまえオブライエンを。なんて恍惚とした表情なんだ。


『勝てるよ。間違いなく』


 さて、幕を下ろそう。たびたびの暗闇を申し訳なく思うが、やむなしと心得てくれたまえ。


 オブライエンの確信の根拠は、この面会では語られなかった。ただ、彼の語る勝利が果たして一般的に戦勝と呼べるものを()していたかは疑問だね。


 もっと別の、異形の勝利(・・・・・)が彼の視線の先にあったんじゃないかと思う。今となっては。


 ここからの半年、戦は泥沼の敗走劇を繰り広げることになる。得た土地を失い、その過程で兵士の命を失い、しかし戦線を下げ切らずに踏ん張って余計な被害を出すことになるのだ。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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