幕間32.「祝宴と手紙」
『諸君らの此度の尽力、一国の主として、また此度の戦の将として、心よりの感謝を伝える。しかし、諸君らは我に拝跪し、我のために刃を振るったのではない。気高き民の責務として、この地の自由を守るために戦ったのだ。わずか十年前、この地はラガニアの強欲な貴族によって作物の多くを奪われようとしていた。我が弟であり、現グレキランス国のもうひとりの王であるオブライエンの働きで、邪悪なる貴族の手から平穏なる生活を取り戻した。しかし、この肥沃な地がラガニアの支配下で仮初の自由を与えられていたことは事実である。この地の水を飲み、この地の光を浴び、日々健やかに謳歌している自由とは留保付きのものだったのだ。我々は自らの土地を自らで取り戻さねばならん。真の自由は何者からも支配を受けぬ独立の先にこそある。我々は二ヶ月前、そのための一歩を踏み出した。そして今日という日、最初の勝利を挙げたのだ。諸君らの踏みしめる大地は昨日と変わらぬ装いだろう。しかし、その意味するところはまったく異なる。我々は自由だ。そして自由であるために戦い続けねばならん。今宵はそのための英気を大いに養うといい。今日という日の自由と勝利を祝して――乾杯!』
ここはグレキランス領内の集会広場だ。見ての通り椅子やテーブルがずらり、そして様々な装いの人々が酒を手にし、料理に舌鼓を打っている。兵士も鍛冶師も女も老人も、生粋のグレキランス民も移住者も、ありとあらゆる顔ぶれが集っている。大変賑やかな場だ。
私も珍しく飲酒だ。正直、興奮していたのだよ。オブライエンの予言した通りにラガニア兵を退けることが出来たのだからね。紛れもなく勝利だ。
先ほどスタインが語った通り、彼自身は一国の王でありながら将軍として戦場に出た。自ら大槍の魔具を振るって敵を薙ぎ倒す姿は勇士溢れるものだったよ。私は壁上から魔術で援護するだけだったけどね、それでもこちらの兵とあちらの兵とではまるで士気が違ったようだ。敵にしてみれば、魔具という未知の兵器を前にしてひたすら動揺したことだろう。
とはいえ、全員分の魔具があったわけではない。急ピッチで製造を進めているようだが、実用に耐えうる品はひと握りだ。ゆえに戦場ではもうひとつの兵器を用いたのである。
いや、兵器というほどでもないね。なに、諸君らには一度お伝えした代物だよ。命なき兵隊。死霊術で蘇った者たちだ。
魔樹伐採に利用した死体たちは、きちんとグレキランス内で保管していたのだよ。それを使ったまでの話だ。今回の戦で出た死者もまた、オブライエンの力で再利用されることだろう。
さてオブライエンはというと、酒宴には出ていない。お付きのジュリアも同様だ。いったいどこでなにをしてるんだろうね。
ここでお伝えしたいのは、王都グレキランスはラガニアの兵を退けて最初の勝利を手にしたという点だ。
そして兵士たちの顔をよく目に焼き付けておいてほしい。どうだろう。彼らの表情に、どこか曇りがないだろうか。張り付いたような微笑の先に憂いが見えないだろうか。彼らの多くは、これまで人間を殺すことなく平穏に生きてきた農民だ。兵士としての『殺す心構え』が不完全なまま戦場に駆り出されているのだよ。あれほど勇猛なるスタインの演説の後でも、どうやら彼らのわだかまりは消えてはいないようだね。心の奥底に引っ込んだだけだ。
この後、一日置いて、予定通りラガニアの王に宛てて文が出された。手紙を鳥に化けさせてね。もちろん、その魔術の発想と実行はオブライエンによるものだ。
ちなみに手紙の内容を伝えよう。こうだ。
『ごきげんよう、陛下。
この度の戦はラガニアにとって残念極まりない結果だったね。
次の作戦を練っているのかもしれないけど、やめたほうがいい。何度やっても笑うのは吾輩だ。
このあたりで手打ちにしようじゃないか。お互いに不可侵ということでどうだろう。
それでも火の粉を散らすつもりなら、貴方がたに待っているのは徹底的な敗北だ。
かつてのグレキランスがそうであったように、領地として呑み込んで差し上げよう。
賢明なご判断を待つ。返事はこの書面の裏に書いて、空へ放ってくれたまえ。鳥として吾輩のもとに帰り着く。
王都グレキランス 双子王 オブライエンより』
……私は『出すな』と忠告したんだけどね、そのままの文面で出してしまった後だった。まったく、相手の神経を逆撫でするだけだろうに。しかしまあ、文は鳥になって大空へと翼を広げた以上、私には穏やかな返事が訪れるのを待つことしか出来ない。
それでは時間を飛ばそう。一週間後だ。
まずは、ご覧いただいている舞台について言及すべきだろう。上下左右、前に後ろ、すべてが銀色の平板な素材に囲まれた真四角の空間。光源はないにもかかわらず、一切が見通せる奇怪さ……これが中央の椅子に腰かけるオブライエンの仕業なのはお察しのことと思う。彼の右腕と左足は、ご覧の通りすっかり恢復している。どちらも手袋や靴下に覆われて中身は見えないが、いずれも精密な義手と義足だよ。
そうそう、この空間についてだったね。
彼はグレキランスに帰還してから、自分の空間を作ったんだよ。王城も悪くないが隠れ家を持っておきたかったんだろうね。秘密基地というやつだ。
この空間に私が足を踏み入れるのははじめてのことだ。王城の地下へと向かう階段を下って、それから薄暗い通路を歩いているうちに行き着いたのだ。もちろん、オブライエンに招かれて。
『驚いたかい、先生』
『ちょっと言葉にならないな……。私が歩いてきた道すら塞がっている……』
『生きている地下。能動空間。変幻城……まだしっくりくる名前が浮かばないんだよね。少しだけ説明すると、ここは僕の意思でかたちを変える空間なのさ。移動も出来る。まあ、決まった範囲内で、だけど』
『いや、充分すごい……』
オブライエンの頭のなかをぜひとも観察したいものだね。いったいどれほどの魔術的なアイデアで満ち溢れているのやら……。
『この場所に先生の研究室も作ってあげるよ』
『そりゃ、ありがたい。でも君の意思でかたちが変わってしまうんだろう? のんびり昼寝してたらぺしゃんこになったりしないかい?』
『あはは! 大丈夫大丈夫。生き物を潰さないようにセーフティロックがかかってるから』
『しかし、どういう理屈で成立している空間なんだ……?』
『詳しく説明すると長くなっちゃから、秘密にしておくよ。ちょっと特別なものを使ってる、とだけ言おうか』
『特別なもの?』
『そう。グレキランスのずっと西のほうに優秀な魔術師がいてね。流体力学と魔術を研究してる人なんだ。ほんの短い期間だけど、彼と一緒にちょっとした物作りをしてね……出来上がったのが液体魔具さ』
『……液体魔具?』
『詳しくは今度説明してあげるよ。……それより先生に見せたい物があるんだ』
彼が懐から取り出したのは、例の手紙の返事だ。
『それはラガニア王の――』
『そう。この間のお手紙の返事だよ。内容はもうスタインに伝えてある。読み上げるよ』
さあ、待ちに待った瞬間だ。
オブライエンの朗々たる読み上げを聞こうではないか。
『笑止千万。愚の骨頂なり。ラガニアの聖火が貴様らの劣悪な血を浄化する。……過激な王様だね』
残念至極。ラガニア側は徹底的にやるつもりらしい。
しかし、果たして本当にそう書かれていただろうか。甚だ疑問だよ。
なぜなら翌日からスタインの率いる部隊がラガニアの土地へ先制攻撃を仕掛け、次々と奪っていったのだから。ラガニアのほうから積極的に攻めたのは後にも先にも初戦の一度だけだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『魔樹』→魔力の宿った樹。詳しくは『198.「足取り蔦と魔樹」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




