幕間25.「告発者たち」
ご覧の通り、私たちは中庭の中央へと歩んでいる。場が静まり返ってしまっているね。好奇の目ばかりだ。誰もが、若き成り上がり者に注目しているのだよ。
『やあ、ごきげんよう皆さん』
オブライエンは気さくだね。しかし誰の返事もない。貴族たちは一様に私たちから距離を置いて、なにやらひそひそ話に興じはじめたではないか。ご婦人がたはいささか目を輝かせているようだけど、しかし大っぴらではないね。
耳を澄ましてごらん。そら。
『墓守卿の養子だ』
『田舎出身』
『ガーミール公爵を蹴落としたらしい』
『ただの成金だ。高貴な血ではない』
散々な呟きじゃないか。まったく、けしからんね。まあ、彼らの評価は誤りではないが。
いやはや、オブライエンは堂々たるものだね。ワインを一気飲みだよ。豪快なのに少しも粗暴な様子がないのだから不思議だ。思うに、彼の持つ美しい白髪や細面が大いに影響しているのだろう。
貴族たちの向ける厭な注目とは毛色の違った視線もある。それぞれの侍らせている召使いたちだ。いずれも鋭い視線を向けているね。警戒しているのだよ。オブライエンが魔術師として非常に優秀であることはもはや周知の事実。ゆえに、貴族たちはお抱えの魔術師や兵士のなかでも一番上等な者を連れてきたに違いない。猛者というものは、出で立ちひとつ、目付きひとつ、佇まいひとつで分かるものだ。私のような素人にもね。
『ぜひとも皆さんと懇意になりたい。お互いに仲良く平和に暮らそうじゃないか』
あらら。さっき言葉遣いを注意したばかりだというのにこれだ。
すまないね、諸君。せっかくの景色が暗闇に変わってしまっている。当時の私は落胆のあまり目を覆ったのだよ。気持ちは理解してくれるね?
さて、そうこうしているうちに、だ。
『陛下……!』
『ご機嫌麗しゅう、陛下』
『本日は好天に恵まれましたね』
『王妃様もお変わりなく、お綺麗ですわ』
さあさあ、最高権力者のお出ましだ。回廊を行く壮年の男がラガニア国の王だ。左隣をしずしずと歩くご婦人は、言うまでもなく王妃である。遠目でも分かるほどの煌びやかな衣装だね。王の右隣を行く、鷹に似た顔立ちの男はドラクル公爵だ。いかにも気難しい性格が溢れている。
王のご子息とご令嬢の姿は見えないね。まあ、それも当然なのだよ。この場はいささか危険だ。
さて、王が中庭に足を踏み入れたね。そして、どんどんこちらへ足を運んでくるではないか。
視界が下がったが、ご容赦いただきたい。陛下を前にして跪かずにはいられなかったものでね。
『貴殿がドゥネの息子、オブライエンだな。魔術学校の学長をしていると聞いている』
私が急いで息を吸った理由は、諸君もお分かりのことと思う。
オブライエンに口を開かせてはいけない。その一心で口を開いたのだが、残念、先を越されてしまったね。
『ご機嫌麗しゅう、国王陛下。いかにも、吾輩はオブライエンにございます。以後、お見知りおきを』
お見知りおき。なんて失礼な男だ。しかし、先ほどまでの口の利き方から考えれば目覚ましい進歩だ。敬語らしきものが使えているのだから。
しかし、吾輩だなんて似合わないね。ははは。
さて、陛下はだんまりだ。オブライエンの言葉に呆れているのだろうか。
『お招きいただき光栄です。ワイン、大変美味しゅうございました』
陛下は答えないね。
『吾輩、今回の食事会を非常に楽しみにしていたのですよ。吾輩自身の人徳のなさから、貴族の方々と少しばかり疎遠になってしまいましてね。この機会を和解の場と思い、馳せ参じた次第です。むろん、陛下にお会い出来る至上の幸福が第一でございます』
やはり答えない。不満がある様子でもない。ただただ、じっとオブライエンを見つめている。
が、少し動きがあったね。陛下ではなくドラクル公爵にだ。まるで王を庇うように足を踏み出したではないか。
さあさ、ご注目。夜会卿の口が揺らめいたぞ。
『本日はご足労いただき感謝する。が、貴殿は本日をもって爵位剥奪と相成った』
ご丁寧な言葉遣いではあるが、内容はひどいものだね。爵位剥奪。寝耳に水だ。
どうやらオブライエンも意外だったらしい。
『君、誰だい? 爵位を剥奪? なにを言っているのやら、さっぱり分からないな』
『魔術を使う素振りを見せたら命はないと思え。手練れの者が貴殿の心臓に狙いを定めている。いかなる魔術を弄そうとも無駄だ』
袋のネズミ。そう言いたいらしいね。庭の周囲を見渡してみよう。ああ、確かに公爵のおっしゃる通りだ。
回廊の柱という柱の陰。中庭を見下ろせるバルコニー。庭沿いの窓という窓。あらゆる場所から、矢じりや、あるいは魔術師の指先が見える。こちらが少しでも怪しい動きをするのなら即刻命を奪うというのは、どうやらただの脅しではなさそうだね。
まばたきの頻度と吐息の荒さでご理解いただけると思うが、このときの私は気が気じゃなかった。こんな展開は予期していなかったからね。動転するのも自然なことだろう。
しかし、オブライエンは冷静だ。ほんの少し意外に思っただけかもね。なんにせよ、彼の言葉には普段通りの落ち着きがあったよ。聞こうじゃないか。
『せっかくの食事会が台無しだよ。ほら、みんな怯えてるじゃないか』
『怯えの原因は貴殿にある。民衆をはじめ、皆が貴殿の振る舞いに恐怖しているのだ』
『君もかい?』
『私が怯えているように見えるなら、失礼ながら貴殿は失明しておられる』
『ハハッ。そうだね、君はちっとも怯えてない。さすがはドラクル公爵。噂通りの胆力だ。威風堂々とは、君のためにある言葉かもね』
なんとリラックスした返答だろう。何十もの凶器を向けられて平然と言葉を紡げるのだから、まったくもってオブライエンは異常者だね。私は冷や汗をコップ一杯分は流していたと思うよ、多分ね。
『それで、どうして剥奪されなきゃならないんだい?』
『貴殿のこれまでの行いが、貴族を名乗るに足らない下賤の所業であることが判明したからだ』
『具体的には?』
パチン。綺麗な指の音だ。ドラクル公爵はなかなかに器用な男だね。
おや、バルコニーを見たまえ。懐かしい顔がふたつと、見慣れた顔がひとつ。
『バーンズさんに、ガーミールさん。それと……ドゥネさんだね』
『貴殿は自分の父にも他人行儀なのか?』
『実際他人だからね。養子なんてそんなものじゃないかな』
『やはり貴殿は正道を弁えていないようだな』
そう、オブライエンの父はウェルチ氏ひとりきりだ。彼がドゥネ卿を父として扱う場面などついぞ目にしたことがない。
しかし、妙な取り合わせだね。バーンズ元男爵、ガーミール元公爵、そしてドゥネ現侯爵。
嫌な予感がたっぷりだ。
『で、あの三人がどうかしたのかい?』
『あれらは貴殿の罪を暴いた功労者だ』
『へえ、罪? 面白いことを言うね』
『じき笑えなくなる。……バーンズ! まずは貴殿から、この者の罪業を糾弾せよ!』
バーンズ元男爵は少し痩せたようだ。以前のような油断に満ちた傲慢さはすっかり消えて、代わりに、蛇に似た狡猾な目付きをするようになったね。復讐者に似合いの人相だ。
『申し上げます。その男は倫理を逸脱した魔術を使っております。命なき肉体――死人を手駒として動かしているのです!』
おやおや。まさかバーンズ元男爵に見破られるとはね。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』




