幕間24.「貴い食事会」
ガーミール公爵は、ご自身の所有しておられた領地の一切を公的契約に基づいて失った。爵位は王城より剥奪され、一般市民に成り下がったのである。それでも手元には金貨一千枚が残ったのだから当面の生活は問題なかろう。
一方でドゥネ卿はというと、いよいよ侯爵の地位を得た。オブライエンもまた侯爵のご子息と相成られたわけである。なんとまあ寒気のするスピード出世だろう。彼が十五のときにグレキランスを出てからというもの、わずか二十二歳でこの地位を獲得したのだから前代未聞だ。おまけに魔術学校学長という立派な肩書きも持っている。
順調どころか異常な速度で出世街道を歩むドゥネ家に対し、言うまでもなくほかの貴族たちの風当たりは強かった。方々で良からぬ噂が流れている。が、オブライエンはものともせず、周囲を取り巻く人間に惜しみない優しさで接し、敵はいつの間にやら彼のもとから離れている。残るのは噂ばかりで実害はない。おおかた裏で手を回して、害になりそうな芽は潰したのだろうね。そのあたりの手腕もまた見事だ。なにせ私でさえ、実際に彼がどのような手段を講じて敵を排除したのかはついぞ分からなかったのだから。
もはや積極的に領地を拡大する必要はない。それに侯爵から公爵へと地位を上げるには、領地の大小だけでは無理なのだ。『首都ラガニアへの多大なる貢献』を王城から認められてはじめて公爵の地位を与えられる。今のところオブライエンは特に王家が喜ぶようなことをしていないし、今後もすることはないだろうと当時の私は思っていた。そもそも彼は王家の面々と顔を合わせたことすらないのだ。四半期に一度、王城の中庭で貴族向けの食事会が催されているのだが、いまだにドゥネ卿は招待を受け取っていないご様子だ。思うに、ほかの貴族連中がドゥネ家の締め出しに躍起になっているんだろう。
そんなドゥネ家が、王城での食事会の招待状を受け取ったのは侯爵の地位を得て三年後のことだ。オブライエンは二十五歳になり、私は四十四歳。ドゥネ卿は御年六十七。平和な三年間を過ごしていた私たちは、もちろんこの招待に応じた。家族のほかに召使いの同行も認められていたため、私もちゃっかりついていったのだよ。首都ラガニア出身者ゆえ、王家への敬愛の情はあった。別段色褪せもせずね。だから随分と楽しみにしていたものだ。
さてさて、今回の招待はドゥネ家を貴族として暗に認めるための、そんな和解的な意味があったと諸君らは考えるだろうか。
実はそうではない。むしろ真逆の意味が籠められていたのだ。
さあ、緞帳を上げよう。
私たちの平和の時代は終わりを告げる。あらゆる物事の転機が、ここに幕を開ける。
『随分と華やかだねえ、先生。みんな凝った服を着てるし、オシャレだなぁ』
『オブライエン。お願いだから言葉遣いを直してくれ。でないと大目玉を食らうぞ』
舞台は四方を回廊に囲まれた、王城の中庭だ。本日は晴天なり。庭に配された丸テーブルのクロス、その上の銀器、貴族たちの手にするワイングラス、ご婦人の髪飾り……いずれも陽を照り返して優美な輝きを放っているね。
このとき私たちは到着したばかりで、まだ陛下にはお会いしていない。時間を違えたつもりはないが、そもそもこういうものらしいね。来賓がたが歓談をはじめ、料理に舌鼓を打ち、充分に場が温まってからホストが登場するものらしい。……とまあ、そう語ってくれたドゥネ卿も、この類のパーティに出席するのは半世紀ぶりらしいので眉唾だが。
さてさて、今私は回廊の陰でどぎまぎしているところだ。このままオブライエンを野放しにしたら、まず間違いなく失礼なことになるからね。まあ、身なりは申し分ない。仕立てのいいスーツにシルクハット。ドゥネ卿とお揃いで注文したものだ。問題は、言うまでもなく言葉遣いにある。
『先生、さすがに王様や王妃様にはちゃんとした言葉を使うよ。でも、ほかの貴族相手にはフランクにいきたいな。だって対等だもの』
『……角が立つぞ』
『僕を刺せないような角なら、いくらでも立つといいさ』
ああ言えばこう言う。彼の妙に頑固なところはいつまでも変わらないらしいね。
ははは。当時の私も呆れ返ってかぶりを振っている。
『礼儀は大事だ、オブライエン』
『大袈裟だなあ。でも、どうしてもって言うんなら考えておくよ』
『考えるだけじゃなくて実践してくれ。君の身の振り方はそのままドゥネ卿への評価にもなるんだから』
『ところで、ドゥネさんはどこだろう?』
『さあ……さっきまで後ろをついてきてたと思うが……どこかではぐれたみたいだ』
城内は入り組んでいるが、中庭までの道のりはそう複雑でもない。足を止めそうになるほど素晴らしい装飾品の数々に溢れているから、おおかた感動のあまりどこかで立ち尽くしているに違いないと、このときの私は即断した。
『せっかくの機会だから、お城を細かく見ているのかもしれな――おっと!』
おや、誰かが後ろからぶつかってきたね。ふむ、小さな子供だ。六歳か七歳か、そのあたりだろう。詰襟に釣りズボンなあたり、どこかの貴族の子だろう。
『ぶつかってしまって申し訳ない。以後、注意する。……赦してくれるか?』
ふふ。子供にしては随分と尊大な言葉遣いだ。しかし、律儀だね。まっすぐに私を見上げて、背筋を伸ばして立っている。普通なら『ごめんなさいオジサン!』と残してさっさと逃げるか、それともなにも言わずにさっさと逃げ出してしまうかだろうに。育ちの良さなのか、あるいは性格の問題か……なんとも言い難いね。
『いいんだよー。子供は元気に走り回るべきさ』
実際、オブライエンの言う通りだね。子供は子供らしくあるべきだ。
『心遣い、感謝する』
『いいのさいいのさ。君、お名前は?』
『ヴラド』
『ああ、ドラクル公爵のご子息だね。お父様はどちらに?』
『陛下と一緒にバラ園を逍遥してる』
逍遥だなんて子供らしくない言葉だ。まあ、厳格なお父上に色々と教え込まれているのだろう。
ドラクル公爵。王家の親戚筋にあたる貴族であり、首都ラガニアに次ぐ都市を支配している男だ。首都の高級酒場の元締めをしているとの話もあり、ついた異名が夜会卿。厳格で知られる当人の前では、口が裂けても言えない名だ。
『ヴラド、手を開けてごらん。なにを握ってるんだい?』
『ダンゴムシ』
うへえ。辟易してしまうね、子供という奴は。なんで虫を手で触れるのか理解に苦しむよ……。まあ、かく言う私も潔癖症ではないがね。ただ、苦手なものは苦手だ。オブライエンの素材収集で虫集めをしたときは何度か吐いてしまったくらいだよ。
どうやらオブライエンは平気なようだ。そもそも、彼には苦手なものが果たしてあるのだろうか。今となっては確認しようもないが……。
『六匹も集めたんだね。それをどうするの?』
『イブにぶつける。……あ! いた! じゃあ、僕はこれで失礼するから』
諸君、見逃してはいるまいね。回廊の先、柱の陰からこちらを覗いていた女の子のことだ。今しも走り去っていった彼女のことだよ。
名はイブ。陛下のご令嬢だ。確か三女だったかな。滅多に表には出ない内気な子らしいが、いやはや、ヴラド少年のせいかもしれないね。ダンゴムシを投げつけてくるような男の子と仲良しになるのは難しい。
さて、そろそろ中庭に出陣しようか。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




