幕間22.「変わりゆく地」
『先生。僕はね、ずっと研究したいものがあったんだ』
さあ、舞台は魔術学校の学長室――その奥にある、秘密裡に作られた書庫だ。入り口は隠し扉になっていて、その存在を知る者は歴代の学長のみらしいね。当然、私も知らなかった。なにが収められているかというと、過去に魔術師が執筆した論文だとか、魔術の実地試験の報告書だとか、そういう代物だ。オブライエンの論文ももちろん収められている。
およそ三階分にもなる縦長の一室。所狭しと並んだ書架。あちこちにかけられた梯子。宙に浮かんだ魔術製の青い光の粒が、それらを幽玄に照らし出している。内緒話にこれほどぴったりな空間もあるまい。
これは、オブライエンが学長になって間もなくの場面だ。彼に呼び出されて、あれほど忌避していた魔術学校に足を踏み入れ、脇目も振らず真っ直ぐ学長室に向かったのである。
オブライエンは歓待してくれた。そうして大事な話があると言って人払いし、この秘密の部屋まで招き入れてくれたのだ。
さてさて、彼の研究したいものとはなんだろうか。聞こうではないか。
『僕はね、不死を実現したいんだ』
これまたご大層なテーマだね。不死とは。
お忘れかもしれないが、オブライエンがずっと心残りにしていたことがあるだろう?
父であるウェルチ氏の死。彼がはっきりと魔術的に敗北したのは、後にも先にもあれだけだ。
『不死……? それを魔術で実現するのか?』
視界が少しばかり広がったね。目を見開いてしまったのだよ、当時の私は。
死霊術だけでも充分、オブライエンは常軌を逸した奇跡を実現している。しかし蘇らせることと、そもそも死なないようにすることは似て非なるものだ。
『もちろん魔術だよ。で、先生には僕の想いをちゃんと伝えておきたかったから、今こうして打ち明けているのさ』
『それは嬉しいが……しかしオブライエン。実現の目途は立っているのか?』
『不可能じゃない、ってところまでだね』
『……理論上は可能だが、非現実的ということだな?』
『だいたいそんな感じかな』
てっきり理論を教えてくれると思ったのだが、オブライエンはそこまで打ち明けてはくれなかった。まあ、机上の空論レベルの物事を意気揚々と語る男ではない。実現可能性が充分に担保されてはじめて、筋道立てて語ってくれるだろうとは思っていたよ、このときの私は。
しかし、いささか寂しかったね。私ごときが彼の研究に意見出来るわけもないが、もしかすると良き助手としてのアドバイスを求めてくれるんじゃないかとか、そんな淡い期待があったのさ。残念ながら、そうはならなかったがね。
『この研究のことは、あまり人に教えたくないんだ。だから先生だけ』
『……そうだろうな。死霊術もそうだが、露見したら批判だけでは済まないだろう』
『うん。でも、僕の研究を知った上で手助けしてくれる人がどうしても必要なんだよ。素材を集めたりとか……』
つまり、働き蟻が必要だったというわけだ。そして手駒には忠実さと一定の知識が必要。ははは。自虐的に聞こえるだろうが、この頃の私に適任だ。
『そうか……君はもう学長だもんな。そう簡単に首都を離れられない』
『そうなんだよ。ラルフ先生の理解は早いね』
『そう褒めるな。君と私の仲じゃないか。……よし、素材集めでもなんでも請け合うよ。私を不死研究の礎としてくれ』
『時間はかかるだろうけど、かまわないかい?』
『ああ。一生捧げてもお釣りがくるくらいの大研究だ』
いやぁ、健気健気。従僕として花丸だね。
諸君らはもうとっくに把握していることと思うが、もはや私にオブライエンの申し出を断ることなど出来ないのだよ。なんとも馬鹿馬鹿しいことだが、心酔してしまっている。十代の娘の猛烈な恋心に勝るとも劣らないほどにね。
かくして私は、各地の珍素材を収集する役目を負ったのだ。北に南に、東に西に。夜を徹して移動したこともあるし、野宿なんぞはザラだった。まあしかし、悪くない旅行だったよ。伴侶もいなかったし、人間関係でも問題はない。
――おっと! 言ってなかったね。私はかねてから恋仲だった、ドゥネ卿の召使いと別れていたのだよ。とっくにね。確か、ランプの試作に明け暮れていた頃だったか。以来、私は恋の情熱の分だけ余計に魔術に熱を入れるようになった……と思うね。あまり自信はないが。
なんにせよ、私はオブライエンに命じられるまま方々を旅して回ったよ。その旅の間に目にした妙な光景をお見せしようではないか。
時間を飛ばそう。オブライエンとの面会から二年後だ。
今、私は丘の上に立っている。遥かな平原の只中には、ご覧いただいている通り、いくつもの建物が並んでいる。大小様々で、家屋もあればなにやら工場もあるようだね。市街地の外縁にはささやかな農地があり、それを囲うようにして建設途中の壁がある。
充分に発展した街。そんな印象を受けることだろう。現に、首都ラガニアに決して劣らない面積だ。家々のグレードは及ばないが、それを差し引いても『田舎』と呼べるような場所ではなかろう。
さあ、視界が動くぞ。気を付けたまえ。なにしろ私は、夢中で駆けているのだからね。
お察しの通り、私が目にしたのはグレキランスの姿だ。名残はあるが、牧歌的な雰囲気はすっかり消えている。
少しだけ時間を飛ばそう。
グレキランスの中心。つまり、ウェルチ氏の邸に私はいる。懐かしき応接間だ。私の向かいには精悍なる青年、スタインがいる。相変わらず日に焼けているが、おおらかさは少々失われているように見えるね。どこか頑迷な印象だ。
『スタイン。これは一体どういうことだ』
『なにを驚いているんだ、ラルフ。不満でもあるのか?』
以前の再会では敬語だった彼が、ぞんざいな口調に逆戻りしているね。まあしかし、スタインの反応は妥当だ。なにせ、私の口調には焦りと非難が籠っていたのだから。
『スタイン。私はこの街の景観や空気が好きだった。農地を耕す人々の姿は、自然と人間とが一体になって、ひとつの生命として生きているような、そんな趣さえ感じていたんだよ。朝焼けが遠くの山並みの輪郭を整え、平原を淡く照らし出していく。そんな風景にどんなにか心を洗われたか……』
『ラルフ。人は変わる。街も変わる。そういうものじゃないか? グレキランスを愛する気持ちは理解するが、永久不変なものなどありはしない』
『……このことはオブライエンも知っているんだろう?』
スタインは片手で右目を覆ったね。雄弁な仕草だ。今も双子の目と耳は繋がっていて、互いに多くを相談しながら進めているのだというメッセージにほかならない。
私はこのときはじめて、自分が歩んできた道がとんでもない誤りに満ちていたのではないかと反省したよ。なぜって、グレキランスの発展は明らかに永久魔力灯の製造がきっかけになっているだろうからね。なにせ、はじめは急ピッチでの製造だった。あちこちで工場が作られ、日夜手仕事に明け暮れたのは言うまでもない。そうして得た物は、地道に時間をかけての農作業の何倍もの利益だ。農民の意志さえ、もしかすると変わってしまっているのかもしれない。道々で目にした彼らの姿には疲弊などなく、充足感すらあったのだから。
『今は領地の内外を隔てる壁を作っているところだ』
『……なんのために?』
『……ラルフ。そろそろ時間だ。俺は忙しい。そしてあなたも同様に、無駄な時間など一秒だってないはずだ。オブライエンの魔術に自分自身の期待を寄せているんだろう? ならあなたは自分の仕事に邁進すべきだ。なに、自然を感じたいなら、どこへなりとも行くがいい』
諸君、スタインの言葉を冷たいと感じたかね。いやいや、決してそうではない。彼は本音を口にしているだけなのだ。当時の私はひどく当惑したが、結局のところ、このときのスタインに間違いはない。人は変わっていくものだし、自然もまた人の歩みにつれて変化していく。
葛藤は数日のうちに消えたよ。結局私は元の通り、オブライエンの助手としての仕事に戻ったのだ。ただ、自分の行為が巡り巡って途方もない過ちを生むのではないかという、小さな小さな疑念だけを覚えてね。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




