幕間17.「領地経営権」
ラガニアにおける爵位は概ね所有する領地によって決まる。広大な領地を持てば、その分王城から要求される税も増える。爵位は、男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵の五段階であり、土地とともに世襲されるのが一般的だ。長いこと続く制度である。高位の貴族になればなるほど爵位の上下に敏感であり、相手の領地に対する干渉は暗黙裡に封じ込まれている。基本的に領地の所有権が委譲されることもない。所有権が動くような場合には、それを嗅ぎ付けた別の貴族が約定を白紙に戻そうと躍起になる……そんな事態がいつからか起こるようになっていった。ドゥネ男爵家がバーンズ元男爵家にグレキランスを譲ったのは、土地の移動が比較的許されていた時代の話だ。
私がそうした歴史背景や貴族制度の基礎を知ったのは、オブライエンとの旅の間である。彼がどうしてそんなことを把握していたのかというと、なんのことはない、図書館で学んだだけのことだ。首都ラガニアの土を踏んだはじめの一週間で、彼は図書館のありとあらゆる書物を頭に入れたらしい。諸君らのために説明しておくと、ラガニアの図書館は人間の一生で読み切れないと言われるほど膨大な点数を有している。それをいかにして一週間で掌握したのか。むろん、魔術の為せるところである。今は詳細を伏せるとしよう。当時の私も、背景を知るのはのちのことになるからな。
肝心なのは、オブライエンは爵位と領地の関連性について充分に把握していた点だ。『魔樹』の存在する土地は言うまでもなく山中の一角であったり、あるいは広大な森林である。そうした土地も農耕地と同じく課税対象となる。所有する貴族にとっては負債じみた存在ではあるが、それで爵位を保っている家もあるため、厄介だからといって手放すわけにもいかない。
ちなみに領地の分権も制度として認められてはいる。所有者と実際の領地経営者が異なるケースも一部には存在するのだよ。以前のグレキランスが好例だ。実際に領地を支配していたのはウェルチ氏だが、税を納めていたのはバーンズ元男爵だ。元男爵は土地から納められる農作物をラガニアおよび近郊の街で取引し、その売り上げを納税していたのである。実を言うと、領主の過剰要求を王城に訴えれば是正も可能となっている。グレキランスの場合も、領地経営者の証書を携えて申し出れば王城で公正な判断が下されたはずだった。が、オブライエンはそれを知った上で、土地そのものを奪取する戦略を取ったわけだよ。
さて、前置きはここまでだ。ポイントは領地の分権と、貴族たちの牽制の二点。
『ガーミール公爵、ご決断感謝申し上げます』
『なに、魔術の発展のためなのだろう? 一向にかまわん。領地経営の契約を結ぶために、かたちだけでも一定の金銭授受が必要となるが……我の想いとしては無償でも良いのだ。あくまで金銭は形式に過ぎん』
『万事、承知しております。ガーミール公爵のお心がいかほど寛大かは、一介の民も知るところにございます』
豪壮な客間だろう? 大袈裟なガラス窓から日光が燦々と射し込んでいる。床はラガニアでは珍しく大理石だ。私の腰かけているソファから壁に取り付けられた燭台に至るまで、贅を尽くした品々。正面の老人――ガーミール公爵も、装いだけは見るからに金満家だろう。シャツとズボンは清潔そのもので、上着は金糸をこれでもかとあしらっている。が、金持ちにありがちな高慢な余裕は影も見えない。御年七十にもかかわらず、眼光の鋭さたるや……実務家のそれだ。
さて、今まさに私は公爵と取引をしたばかりだ。彼の所有する領地のうち、いくつかの森林と山地の経営権を得たのである。名目は魔術研究。さして渋られることはなかったよ。いずれの土地も公爵の持て余していたもので、経営者に名乗り出るような者もいないような辺境だ。
『もし希少な鉱石が採れるようなら、すぐに報告せよ。それ以外は好きにするがいい』
『承知しております』
通常の土地ならば、公爵も厳密な取り決めをしたことだろう。しかしながら私が取引したのは、これまで爵位の維持以外になんの実益ももたらさなかった負の土地である。
さて、お気付きのことと思うが、公爵との取引の場にオブライエンはいない。目下、魔術の研究中だ。むろん、『魔樹』に関する研究だよ。
『しかし、ラルフと言ったか。貴兄の生活は苦しくなるのではないか?』
『貯蓄がございますので、その点はご心配に及びません』
私はドゥネ卿の名を一切出すことなく、契約に及んでいる。公爵が不安に感じるのももっともだ。だとしても、すでに前金は払ってある。金貨五十枚。向こう一年分の領地経営権は得ているわけだ。言うまでもなく私の懐から出た金ではなく、ドゥネ卿の財産である。ガーミール公爵を含め、侯爵一名、伯爵二名、子爵一名とすでに契約を結んである。公爵と同じく一年分の前金を支払って、それぞれの貴族の持つ土地の経営権を得たのだ。契約途中の金額是正は無し、という破格の条件付きだ。
さてさて、これも重要なことではあるが、領地経営権の取得において、一年分もの前金を支払うケースは滅多にない。長くて二、三ヶ月程度の前金だ。経営権を与えた土地において、王城を介しての是正などの公的手続きが可能となるのは、前金分を消化したのちである。つまり今回の場合、いかなる物事が持ち上がろうとも一年間は王城から手出しされない。
『貴兄はドゥネの邸宅に起居していると言ったか』
『ええ』
『奴も奇矯だな。グレキランス以外の土地をすべて放り出して墓地なんぞを買うとは。世間では墓守卿なんぞと呼ばれているのを聞いたぞ』
『こう言ってはなんですが、ドゥネ男爵は心を病んでおりまして……』
『だろうな。辺境産の芋を養子にするあたり、狂人と評されても仕方あるまい』
散々な評価だね、いやはや。しかしガーミール公爵が特別嫌味なわけではない。ドゥネ卿の養子の取り方は零落と見られても仕方ないことなのだ。入り婿にするでもなく、ただただ男子を養子にするなど、子孫を残せずに家名だけを残そうと躍起になっていると見られるのが自然だ。加えて、墓守は賤しい身分の者がする仕事とされている。不名誉の割に実入りも少ない。墓地の購入までならなにも言われないだろうが、経営までもドゥネ卿の名の下で行うよう手配したのだ。落ちぶれたと叫ばれるのが当たり前である。
世間の評価など、オブライエンにとっても私にとってもどうでもいいことだ。ドゥネ卿は気にしているようだが、今さら男爵としての権威を家庭内で振りかざすことなど不可能だ。少なくともオブライエンと私相手には。殺人を知られているからというのもあるが、それ以上に、蘇ったメイリイ元夫人にご執心なのだよ。物言わず侍る彼女を、ドゥネ卿は四六時中撫でまわしている。死体が動いているだけに過ぎないという事実は、どうやら彼にとっては些細なことらしい。
『失礼ながら、そろそろお暇します』
『そうか。魔術研究とやらに精を出すといい』
『お気遣いありがとうございます』
さてさて、これで万事整った。明日からは各地に人員を派遣して『魔樹』の伐採にかかれるだろう。
最後に振り返ろうではないか。ははは。公爵の満足気な表情たるや、見ていて気持ちがいいね。彼は金貨五十枚を拾った気になっているようだが、代わりに金脈を失ったのだ。
現に、一年を待たず公爵は躍起になって土地を取り戻さざるを得なくなる。相応の武力を持って。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『魔樹』→魔力の宿った樹。詳しくは『198.「足取り蔦と魔樹」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




