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幕間16.「物言わず、意志もなく」

 記憶を再生するのは、やめておこう。決して気分がいいものではないからね。メイリイ元夫人の名誉のためでもある。


 ゆえに、想像したまえ。


 邸の地下室の扉は二重になっている。廊下の突き当りに一枚目の扉。邸の美観を損なわない、木製の重厚な仕立てだ。扉の先は階段になっている。段差は急で、五十段以上あるんじゃないかな。そして手すりはない。ランプを使っても不便な場所だ。魔術で一切合切を照らし出さねば不安で昇り降りどころではないだろう。


 階段の中途で、壁や段差は石造りに変わる。そして冷え冷えとした階段の終わりに頑丈な鉄扉(てっぴ)が控えているのだ。オブライエンが鍵を持っているのは鉄扉のほうで、廊下に接する扉のほうはそもそも施錠(せじょう)出来る作りになっていない。


 地下室の入り口。鉄扉を前にしてひしゃげたメイリイ元夫人を見つけて、私とオブライエンは唖然(あぜん)としてしまったよ。まだ腐敗は進んでいなかったので、死んだのは帰還の前日あたりだろう。


 さて、諸君らは事故だと思うだろうか。確かにメイリイ元夫人に与えられた部屋は、地下への扉とそう離れてはいない。好奇心から扉を開けた彼女が勇敢にも暗闇へ足を踏み出し、そうして運の悪いことに滑り落ちて絶命した。なるほど。()に落ちるかどうかはさておき(すじ)は通っている。彼女の全身に刺し傷さえなければ完璧だ。


 彼女が誰によって殺害されたかは、ほどなく明らかになった。オブライエンが彼女の死体から記憶の断片を読み取って見せたのだよ。そしてご丁寧に、私にも記憶のおすそ分けをしてくれた。


 いやはや、ドゥネ卿も立派な悪党だ。


 顛末(てんまつ)はシンプル。ドゥネ卿は欲望を(おさ)えきれずにメイリイ元夫人を襲おうとした。もちろん激しく拒絶された彼は(なか)ば逆上し、これまでオブライエンと自分とが共有していた性体験を彼女本人にぶちまけたのだ。当然メイリイ元夫人はひどく傷付き、ドゥネ卿を(ののし)ったのである。卑劣漢(ひれつかん)人非人(にんぴにん)悪鬼(あっき)姦賊(かんぞく)、ならず者、人でなし……これでもかと人間性を否定したわけだ。はじめのうちはドゥネ卿も耐えていたようだったが、結局駄目だった。果物ナイフで心臓をぶすりとひと突き。それでタガが外れたのだろう。彼はとっくにメイリイ元夫人が死んでも、ナイフを振り下ろし続けた。最後に、見るに()えない姿になった彼女を階段から突き落として終わりだ。


 使用人たちがドゥネ卿の犯行を見なかったのは、それなりのわけがある。ドゥネ卿の邸に住み込みで働いている使用人はメイリイ元夫人ただひとりで、あとは全員(かよ)いで勤めていた。かくしてドゥネ卿は、朝陽が昇るまでせっせと血を拭き取る作業に集中することが出来たのだ。


 ドゥネ卿は私たちが地下へと向かうのを健気(けなげ)に、臆病に、しかし必死で止めたのだ。見られたくないのならもう少しマシな隠し場所があるはずだがね、気が動転していたに違いない。


 さて、緞帳(どんちょう)を上げよう。




『ドゥネさん』


『な、な、な、なんだねオブライエンっ』


 ここはドゥネ卿の書斎だ。ローテーブルを挟んだ一対のソファには、ドゥネ卿と、そして私たちが向かい合っている。


 ドゥネ卿が()頓狂(とんきょう)な声を上げたのも無理はない。オブライエンはかれこれ三十分ほど他愛のない話を繰り広げ、訪れたしばしの静寂ののち、改まって呼びかけたのだから。私たちが死体を見たのは確実で、いつその話題が飛び出るか冷や冷やしていたに違いない。そんなドゥネ卿をからかっていたのかもしれないね、オブライエンは。


『なんだか顔色が悪いようだけど、大丈夫かい?』


 オブライエンは眩しいほどの笑顔だ。邪気のなさが、むしろ純粋な邪気を示しているようにも感じてしまうね。


『い、いや、気分は、そ、そうだな。あまり、優れない』


『なぜだろうね』


『それは……』


 ドゥネ卿は顔中汗まみれだ。気が気じゃないんだろう。今さらどぎまぎしたところでどうしようもないというのに。まあ、居直ったり、(かたく)なにとぼけるよりはずっといい。


 さあ、ようやく観念したようだ。がっくりと肩を落として、ため息ひとつ。


『もう知ってるんだろう……?』


 はは。私とオブライエンは思わず顔を見合わせてしまったよ。


『分かった、話す……。メイリイを殺したのは私だ』


『メイリイさんを?』


『ああ、そうだ。果物ナイフで刺して、階段から突き落とした……』


 おや、ノックの音だ。ドゥネ卿は跳び上がらんばかりにびっくりしているね。ははは。


『だ、誰だ!!』


 しかし、ドゥネ卿の反応は決して過剰(かじょう)ではなかろう。


 今彼は人殺しの自白をしたところなのだ。もし使用人にでも聴かれたなら大事(おおごと)だ。


 やがて扉が開く。返事もなしに。


 私は振り返らないよ。ノックの(ぬし)が誰かは分かってるからね。ドゥネ卿の顔面芝居を楽しもうではないか。いやはや、人間の目はこれほどまでに大きくなるのだね。新たな発見だよ。それに全身、狂気的なほど震えているじゃないか。


『お、お、お、お前、め、メイリイ……!?』


 足音が近付いてくる。


 そら、微笑を(たた)えたメイリイ元夫人が、私とオブライエンに紅茶を持ってきてくれた。湯気の立つカップをローテーブルに置く仕草(しぐさ)はいかにも優雅だ。


『どうしたんですか、ドゥネさん』


 オブライエンは平然と紅茶をひと口。私も(なら)おう。うん、いい味だ――と、このときの私は思ったはずだよ。恐怖などあろうはずがない。その証拠に、そら、私の指先はちっとも震えてないだろう?


『メイリイ……! わ、私はっ……嗚呼(ああ)!! 嗚呼、嗚呼、嗚呼っ! すまないことをした。本当に……本当にすまないことを……』


 あらら。男爵ともあろうに、使用人相手に(ひざまず)いてしまったよ。


 しかしメイリイ元夫人は物静かに微笑むだけだ。跪く男爵にほんの少し反応しただけ――だが、これが素晴らしい進歩なのだよ。分かるかね。薬師は、外界で起こる出来事にマトモな反応を返すことなんてなかったのだ。メイリイ元夫人は確実に、跪くドゥネ卿に対して反応している。言葉は返さずともだ。


 さあ、もうお分かりだね?


『メイリイさんは見ての通り元気さ。でもね、喋ったり、食べたり、なにかに感動したりすることは出来ない』


『それは……』


『僕が魔術でメイリイさんを蘇らせたのさ。意志もないし、考えることも出来ない、けれど人形よりはずっと人間らしい存在だよ』


 オブライエンの笑顔は崩れないね。いやはや、お見事だ。


 しかしこのままで終わらせるつもりはない。


『ドゥネ卿』たまには私も喋るのだよ。役割に応じてね。『メイリイさんのご両親はすでに亡くなっております。親類はいるようですが、縁遠(えんどお)いのか、ここ数年は会っていないそうです。つまり、メイリイさんの違和感に気付く人はいません』


『し、しかし、ほかの使用人たちは……』


『それも心配いりません。オブライエンに任せておけばいいのです』


 ドゥネ卿が少し顔をしかめたね。不安なんだろう。


 実際、そのあたりの不安は杞憂(きゆう)だ。オブライエンはすでに、身辺の者の心は掌握(・・)していたのだから。


 さて、オブライエンにバトンタッチだ。


『でもね、ドゥネさん』


『なんだね……?』


『メイリイさんを殺したのは事実だし、彼女の人生を奪ってしまったのも事実だよ』


 そう、男爵が人殺しであることは変わらない。


『な、なにが望みだ……?』


 いい横顔だ。なんて満ち足りた顔をしているんだろう、オブライエンは。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。

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