幕間14.「倫理なき魔術」
石造りの部屋。壁沿いの棚には様々な形状のガラス瓶がずらり。液体の入った瓶が多いが、そればかりではない。空のものもあれば粉末の入っているものもあり、また、なにやら植物とおぼしき物体がぎゅうぎゅうに詰まっているものもある。
反対側の壁にはいかにも頑丈そうな鉄扉が取り付けられ、空いた空間にはいくつものフックと、冷え冷えとした鉄製の器具が並んでいる。列挙してみよう。大鋏。ペンチ。ノコギリ。鉈。ハンマー。そして昆虫の顔を思わせる分厚い革のマスク……。
諸君らはどのような印象を抱いただろうか。拷問部屋。実験室。はたまた変わり種の牢獄……そんなところだろう。
今ご覧いただいているのは、ドゥネ卿の邸の地下室だ。魔術実験の名目でオブライエンが使用している一室である。立ち入りは厳禁。なにをしているか話題に出すのもタブー。そんな約束をドゥネ卿と交わしたらしい。随分と念入りだね。
無論、通常であれば私でさえ足を踏み入れてはならないことになっている。オブライエンとそう約束したのだ。しかしね、このときばかりは例外だったよ。
『先生』
部屋の奥から声がするね。ちょうど私の後ろの方角だ。今は頑なに扉のほうを凝視しているのだが、ちゃんと理由がある。
さて、今からきっかり三十秒後に振り返る。心の準備をしておいてくれたまえよ、諸君。その間に少しだけ説明を加えよう。
今はドゥネ卿の邸に住みはじめて二週間後の晩だ。例の薬師モドキの悪党が晩餐に呼ばれてから十日後のことである。この前日にオブライエンから『晩餐に来た男が実はウェルチ氏に薬を送っていた奴であり、薬の知識もなにもないただの酒屋の主人』であることを聞かされていた。いやはや、心が痛んだよ。憤りもした。しかし、慰めは不要だったね。オブライエンは怒りも悲しみも見せなかったのだから。
この日、私が地下室を訪れたわけは単純だ。見せたいものがあると言ってオブライエンに呼ばれただけ。ノコノコ地下室の扉をノックした私は、とんでもないものを目にして思わず硬直し、今こうして目を逸らしているのだ。
さあ、三十秒だ。振り返ろう。
私の震える吐息が聴こえたかね? 諸君らも息を呑んだかもしれない。
シーツひとつ敷かれていない鉄製のベッド。その傍らに立つオブライエンは見事な微笑だ。しかし、笑みを浮かべることの出来る空間ではないことは諸君らもご承知のことと思う。
ベッドに拘束されているのは、十日前の晩餐の来賓だ。つまり、例の偽薬師というわけだ。素っ裸にされ、身体中いたるところに傷を負っている。
『オブライエン……』
私が様々な言葉を呑み込んで、ただただ青年の名を呼んだ理由が分かるかね。敵討ちは良くないだとか、やり過ぎだとか、そんな当たり前の感情だって私のなかにはあった。しかしね、それ以上に憎しみがあったのも事実だ。相手は一年間も病身のウェルチ氏を騙し続けた男なんだからね。バーンズ卿から幾ばくかの金を貰っていたのだろうが、あの素晴らしい人格者の命に見合う金額ではなかろう。
いや、すまない。金額の多寡は問題ですらないな。いずれにせよ、私は言葉を失うだけの複雑な感情を抱えていたというわけだ。
しかしオブライエンは決してそうではなかったらしい。すぐに分かる。
『先生、僕はすごい魔術を完成させたよ』
はは……。どうだい、この、なんら憎悪の籠っていない言葉は。私が思うに、オブライエンは実験の相手が誰であろうとどうでもよかったのではないだろうか。偽薬師が選ばれたのは、たまたま殺すのに抵抗を感じない相手だったというだけのことではないかな。
『……すごい魔術?』
『こっちに来てくれ。この男が間違いなく死んでるか、確かめてほしいんだ』
『……分かった』
うん、死んでるね。瞳孔が開いている。呼吸もない。触れはしなかったが、鼓動も止まっていただろう。
『確かに死んでる。オブライエン……いつ殺したんだ』
『昨日の晩かな。ずっと実験してたんだ。悲鳴は音吸い絹で封じ込めたから、ちっとも聴こえなかったでしょ?』
『実験?』
『そう。色々と試せたよ。その成果のひとつを先生に見てほしいんだ』
『オブライエン……。君の故郷でもそうだろうけど、人殺しは問題になるぞ。……ちゃんと分かってるのか?』
この至極真っ当な疑問を口に出すために、私がどれだけの勇気を振り絞ったことか……もし体験させられるなら、それも併せて再現したいものだけれど、生憎記憶の完全な追体験までは私の技術の範疇ではない。ふた回りも年の離れた青年に恐怖を感じていた、という点だけ伝えておこう。
さて、オブライエンの反応だ。先ほどの微笑がちっとも揺らいでいないね。オブライエンとしては、この殺人をなんとも思っていないようだ。
『心配はいらないよ、先生。こいつに家族はいない。商売相手は彼がいなくなったことを気にしてるだろうけど、それも時間が解決してくれるさ』
『……もし露見したらタダじゃ済まないぞ』
『あは。先生は心配性だね』
死体の横に立って笑えるんだから大した男だよ、オブライエンは。
さて、当時の私はもう返す言葉がない。なにを言ったところでオブライエンには届かないことを知ってしまっているんだよ。
『それじゃ、特別な魔術を見せてあげるよ。ぜひ意見を聞かせてね』
パチン。綺麗に指を鳴らすね、彼は。
さて、偽薬師にご注目。
ぎょろり、ぎょろり。ははは。目玉が動いてる。指先もだ。おや、拘束具の下で一斉に四肢が蠕動しているではないか。なんだか虫のような反応だね。
『お、オブライエン……! これはなんだ! い、生き返ったのか!?』
『いや、違うよ。彼は今も死んでる。魔術を送って、生きていたときのように動かせないかって思ったのさ。人形術みたいに物体を動かすような方法じゃなくってね。さあ、もうじき魔力が馴染んでくるよ』
……どうだい。先ほどまでの気味の悪い蠕動が収まっていくではないか。両目の動きも段々と不自然さがなくなっていくね。
さあ、オブライエンが拘束具を外したぞ。
お見事。ちゃんと立ったね。
ははは。視界が揺れてしまって申し訳ない。しかし、私が腰を抜かすのも理解してくれたまえ。死体を動かすような魔術を見たのははじめてなんだ。
『流し込んだ魔力を呼び水にして、肉体に残った記憶を再生するんだ。つまり、歩いたり、立ったり、座ったり、ジャンプしたり。それをある程度まで死体の側でコントロール出来るようにする。もちろん意志なんてないし、物を考える力もないよ。インプットとアウトプットのセットを用意すれば、人の命令だって実行できる。こんなふうにね。――おすわり』
見事に正座したね。びっくりだ。
……お気付きだろうか。私の視界はもう震えていない。
実を言うとね、この瞬間にオブライエンの狂気が伝染したのだ。彼は倫理を跳び越える。軽々と。躊躇なく。常識の壁を前に二の足を踏んでいた魔術を、飛躍的に進化させることが出来るんじゃないかと思ったものだよ。
実際、人体へ介入するような魔術はタブーとされていたのだ。身体強化系の魔術でさえ好ましく思わない連中が山ほどいる。
『死者を蘇らせる魔術。……といってもかたちだけだけどね。僕はこれを死霊術って名付けようと思うんだ。こいつは意志のない、反応だけの人形だけどね。肉体の記憶を色濃く残すように調整すれば、きっと生前とほとんど変わらないくらいには再現出来るんじゃないかな。生きてるときと同じように喋って、生きてるときと同じ表情を浮かべて、生きてるときと同じように日々の生活を送る。死んでるのに、だよ?』
オブライエンの心になにが残っているかは、すでにお伝えした通りだ。ウェルチ氏の死が、彼の魔術の方向性を定めたに違いない。
そして私という人間が彼を常識的に導いてやってさえいれば、のちの様々な悲劇は起こらなかったように思う。
はじめに断っておいたように、これは懺悔だ。私の醜さも露わにしようではないか。
さあ、このときの私の感想まできっちり再生して、幕を下ろそう。
『……君は天才だ』
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『人形術』→無機物を操作する魔術。複雑な機構のものを操るのは不可能とされている
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて




