幕間13.「恋愛成就」
さて、暗転だ。
あのあとバーンズ卿は邸を出てすぐに近衛兵に捕まった。そして翌日には爵位を剥奪されることとなったのだよ。邸宅は王城に差し押さえられ、もはや帰る場所を失った。つい先日まで貴族としてふんぞり返っていたのに、気付けば家無しだ。金貨数枚程度は所持していただろうが、なにもかも失ったと言って差し支えないだろう。
諸君らはやり過ぎだと思うかね?
まあ、同情に足る顛末だとは思うよ。バーンズ卿のしたことと言えば、奥方への痛罵とグレキランスへの締め付けくらいのものだ。オブライエンという青年にかかわってしまったのが運のつきだね。しかし、十代半ばの少年にすべてを奪われるだなんて想定は難しいものだ。かく言う私も例外ではないしね。
『オブライエン……君はいつからこの計画を?』
舞台はドゥネ卿の邸宅――オブライエンに割り当てられたゲストルームだ。時刻は二十三時。バーンズ卿に決定打を与えたその日の晩である。
オブライエンの静かな微笑を見たまえ。なんとまあ恐ろしいではないか。バーンズ卿を打ち砕き故郷の危機を救ったと言える状況なのに、普段と少しも変わらない。
『具体的な方針が決まったのは二週間前だよ』
『……はじめから金貨五千枚は眼中になかったのかい?』
『そうだよ。僕には金貨の価値がどれくらいかは知らないけど、そう簡単には稼げない額だってことは想像がついてたからね。別の方法を考えた』
まったく、まいってしまうね。バーンズ卿がウェルチ氏の邸宅に訪れたあのとき、私は主の機嫌を損ねないことや、なんとか容赦してもらえないだろうかとか、スケールの小さい現実的な算段ばかりしていた。
オブライエンは明らかに父の死から立ち直っていなかったというのに、邸宅でバーンズ卿と邂逅した瞬間には、なにもかも取り戻す方向へと動いていたわけだ。
『君はとんでもない男だ』
『褒め言葉でいいんだよね?』
『もちろん』
『どうもありがとう』
これではどっちが家庭教師でどっちが生徒か分からないね。まあ、すでにオブライエンに教えることなどなにひとつなかったのだけれど。
『それにしても、いつドゥネ卿と交渉したんだ?』
『一週間前だよ。利害が一致してたから簡単だった』
『利害……?』
『先生は気付いてなかったの? ドゥネさんはずっとメイリイさんのことが好きだってことに』
当時の私は気付いていなかった。まったく、愚鈍にもほどがあるね。自分の恋のことで手いっぱいだったという背景もあるが、それにしても迂闊だ。
さて、この瞬間の私は動揺している。ドゥネ卿の想い人がメイリイ夫人だと知ると同時に、一週間前のおぞましい不倫劇が脳裏に蘇ったのだよ。
『し、しかし君は、メイリイ夫人を……』
『抱いたよ』
『オ、オホン……。あれは確か一週間前のことだ。ドゥネ卿への裏切りなんじゃ――』
ああ、オブライエンはひどく愉しそうに笑っているね。私の言葉も途中で止まってしまったよ。
『ごめんごめん。説明が足りなかったね。あれは裏切りでもなんでもなくて、ドゥネさんを説得するためにやったんだ。最初から言うと、ドゥネさんはメイリイさんのことを想いながら、けれどすっかり諦めてたんだよ。なぜって、彼女がバーンズさんの奥さんで、しかも僕に惚れてることもすっかり分かっていたからね』
『……八方塞がりじゃないか』
『うん。普通ならドゥネさんの想いはどうやったって叶わない。だから、普通じゃない提案をしてあげた』
『普通じゃない提案……?』
『彼女を抱くときだけ、僕の五感を全部ドゥネさんに分け与える』
呆れた提案だよ。倫理観の欠片もない。そして現実感もない。ラガニアでトップクラスの魔術師でも、五感の共有なんて芸当は実現出来なかったろう。私にだって無理だ。……いつの間にやらオブライエンは常識の物差しを遥かに超越してしまっていたというわけだよ。
『じゃあ、一週間前のあれは……』
『ドゥネさんもさすがに信じてくれなかったからね。お試し、ってことさ。次の日には、ドゥネさんは僕の作戦に本気になってくれたよ』
諸君はドゥネ卿を薄汚い男だと思うかね? しかしね、決して振り向かれない立場と言うのは苦しいものなのだよ。オブライエンの垂らした希望の糸にむしゃぶりついてしまった男爵の気持ちは、決して不自然なものではない。
とはいえ、第三者的に批評する私もドゥネ卿と似たり寄ったりだろうね。なぜって、今日から私は彼の邸に厄介になるわけで、想い人と常に一緒にいられるような状況を得たのだから。
翌日には判明したことだが、ドゥネ卿は私が使用人と関係を結んでいることを快く思っているらしい。当時はまるで、祝福の鐘の音を聴いたような心地だったよ。今となってはそれも全部、オブライエンの根回しだったと推定しているがね。というのも、彼はこの一件で損害を被るのはバーンズ卿ひとりだけに絞っていたのだ。彼の私兵さえ、ドゥネ卿のもとに吸収したのだよ。私兵たちはバーンズ卿の失墜の原因がオブライエンの策略にあると察していただろうが、それでも文句はなかったようだね。かつての主人より目先の雇用のほうが大事だったと見える。もっとも、バーンズ卿の周囲に侍る者どもの忠誠心の薄さまで見極めて事に及んだのだろう、オブライエンは。
『明日になれば僕はドゥネさんの養子に入る。グレキランスの権利はドゥネさんだけのものではなくなるのさ。ラガニアに納める食糧はこれまで通り。それで彼も文句はないってさ』
おや、ノックの音だ。
誰かと思えば……ははは。ドゥネ卿だ。晴れ晴れとした表情だが、少しばかりそわそわしているね。
『オブライエン。約束は守ってもらうぞ』
『もちろん。……先生、ほかに知りたいことがあれば明日にしよう。そろそろ寝る時間だからね』
さて、再び暗転だ。
オブライエンは周囲を取り巻く三つの恋を見事に成就させた。
ドゥネ卿、メイリイ元夫人、そして私。倫理観こそ崩壊していたが、不満などあろうはずがない。
しかし、たいしたものじゃないか。与えられた期間は一年だったというのに、わずか一ヶ月で完璧にグレキランスを救ってみせたのだから。思うに、オブライエンの速やかな行動にはウェルチ氏への悔悟があるのだろう。魔術の研鑽が間に合わず、結果的に死なせてしまった事実が彼の核となっている。
『家族想い』なんて言葉で片付けるのは不本意だが、オブライエンの多くの行動には血を分けた存在への想いがある。概ね過剰だがね。
さてさて目的は達成したわけだが、オブライエンは故郷に戻るわけにいかなかった。なにせドゥネ卿との約束があるからね。ただ、彼がラガニアに逗留したのはそれだけが理由ではない。無論、私がそれを知るのは事が起こってからだが。
三日後、ドゥネ卿の邸宅に客人が訪れる。招待者はオブライエンだ。生え際の後退した、卑しさたっぷりの男だよ。なぜそんな男が晩餐に呼ばれたのか。なぜ晩餐のあとで、オブライエンの私室に招かれたのか。
じっくりと話を聞きたかったんだろうね、オブライエンは。
なにせ、その男がウェルチ氏に薬を送っていたのだから。
その正体は医者でも薬剤師でもない、酒屋の主人。バーンズ卿と組んで毒にも薬にもならん錠剤を一年間も送り続けた悪党だ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




