幕間12.「所有権」
『どうなってる……!? なぜワガハイの従士が引かれていくのだ!?』
壁の映像が消えたね。オブライエンが魔術を解除したのだろう。
さて、バーンズ卿はひどく面白い表情をしているじゃないか。これ以上ないくらい目を見開いている。口の端からちょっぴり涎が垂れているが、おかまいなしだ。
『先ほど君が自分で口走ったことを覚えているか……?』
『……なにが言いたいのだ、ドゥネ』
『領地侵犯は重罪だと言ったろう……?』
『ワガハイの領地にワガハイの私兵を向かわせただけだ!』
オブライエンとドゥネ卿が顔を見合せたね。いやはや、悪い男たちだ。
『バーンズ。グレキランスは君の土地ではないだろう……?』
『……は?』
バーンズ卿の当惑は尤もだ。私だって混乱のあまり、さっきから口を利けなくなっている。
『バーンズよ。君は土地の権利には詳しいかね……?』
『当たり前だ! グレキランスはワガハイの領地で、一切の権利はワガハイにある!!』
『土地の譲渡契約に関しても詳しいかね?』
『……譲渡契約?』
『わざわざ説明してやる必要性はないが、お前とは馴染みだからな……。グレキランスの土地は、はじめからお前の一族が所有していたわけではない。譲り受けた地なのだ。お前の父の、父の、父の、そのまた父の代にな……』
『それがどうした……! 今はワガハイのものだろうが!!』
『聞け、バーンズ。……土地の譲渡にあたっては、ひとつの取り決めを設けていたのだ。もともとの所有者一族が権利を主張した際には、土地の所有書が返還された時点で一切の所有権がもとの所有者に渡る……』
ははは。唖然としているではないか。バーンズ卿の顔面芝居も、なかなかどうして面白い。
『返還……? 所有者……? そんなことはなにも聞いておらんぞ!! それに、所有書はワガハイの書斎に今も――』
オブライエンが懐から取り出した一枚の紙にご注目。先ほどバーンズ卿が言いかけた、書斎で大事に大事に保管していた所有書がそこにある。
『これのことかい?』
『貴様……盗んだな!! 返せ!!』
当然の反応だ。バーンズ卿は家を空けがちだったし、実際盗み出すチャンスはいくらでもあったと言えよう。
ただし、そんな横暴が通るほど首都ラガニアの治安は落ちぶれていない。公的契約にかかわる一切は王城での手続きを経てなされる。紙一枚で土地の所有を主張することは出来ない。
『盗んだなんて人聞きが悪いなあ、バーンズさん。僕はなにもしてないよ。第一、僕がコレを持ってお城に行ったって捕まるだけさ』
事実、オブライエンはこれまで一度も王城に足を運んでいない。
おや、オブライエンがまた懐に手を入れたね。まだなにかあるようだ。
ご注目。もう一枚、大事な紙が登場だ。
『これが返還を認める書類さ。ここにあるのは王家の印だよね?』
読めるだろうか。少しばかり文字が小さいね。諸君らに向けて、私が肝心のところを音読しよう。
――当初の契約に基づき、グレキランス領の返還を認める。本書状の発行をもって、左記領地はドゥネ男爵の所有とする。
さて、オブライエンの指先が示しているのは紛れもなく王家の印だ。大樹をモチーフとした聖なるシンボル。辺境の出身であるオブライエンは知らなかったようだが、ラガニアに住まう者にとっては馴染み深いマークだね。
もちろん、書状にある『当初の契約』とやらも王城で行われおり、そのときの内容はすべて王城で保管されているわけだ。付帯条件も余すところなく。
バーンズ卿も、王家の印を偽物だと叫ぶほど愚かではない。そして、つい先ほど従士が近衛兵に捕まった事実からも、どうやら土地の所有権がドゥネ卿に移っていることも確からしいね。
『……ワガハイ抜きでこのような契約が結ばれるなど不当だ!! オブライエン! 貴様は卑劣な魔術でワガハイを欺いているだけだ! そうだ……そうだ!! おおかたワガハイの姿に化けて、王城で返還の手続きとやらを踏んだのだろう!! つまり王家を欺いたのだ! 貴様は死罪間違いなしだ!!』
バーンズ卿の逆転の目はそこだけだ。実際、変装魔術で王城の役人を騙したとなれば死刑は免れない。
しかし、バーンズ卿は知らないようだ。契約を司る官吏には、いかなる魔術的詐術も通用しない。そのような訓練を施されているのだよ。
『バーンズ。……王城での手続きには基本的に当人が足を運ぶ必要があるのは事実だ。しかし、例外も用意されている。当人の代理として認知される存在があるのだ』
『……メイリイ! メイリイ!! あの女め!!!』
どうやらバーンズ卿も代理人のことは知っていたようだね。そう、当人の配偶者だけは代理人として、当人と同等の存在として扱われる。
当時の私も段々と事件の模様が分かってきたようだ。
『オブライエン……君は奥方を使って土地を動かしたのか?』
『そうだよ、先生』
あっさりしているね。まあ、それも不思議ではない。もはやバーンズ卿に起死回生の手段などないのだから。私兵は出払い、これからバーンズ卿は領地侵犯の罪を負う。そしてオブライエンの魔術によって、ほとんど椅子から腰も浮かせられない状態だ。まるで拷問だね。
『ごめんね、バーンズさん。これからは貴族じゃないし、手下の人間もいない。きっと家だって失うだろうけど、バーンズさんなら大丈夫だよ。生きていればいいことだってあるしね。そうそう、バーンズさんが雇っていた使用人のみんなは、ドゥネさんが雇用契約を結んであげるそうだよ。負担はあるだろうけど、きっと平気さ。ドゥネさんは懐が広いし、なによりこれからは実入りも多くなる』
『……オブライエン、貴様……殺してやる』
『無理さ。バーンズさんは僕に指一本触れることだって出来やしない』
さすがに哀れだね。同情してしまうよ。
おっと、バーンズ卿の目に涙だ! 憤怒の形相で流す涙は、言葉を超えた迫力があるものだね。
『……魔術を解け、オブライエン。ワガハイは家に帰る。大事な用事があるからな』
『奥さんを殴ったり蹴ったりするのかい?』
『貴様には関係のないことだ』
『そうだね。メイリイさんがどうなろうと僕には無関係だ。……それと同じくらい、バーンズさんにも無関係だよ』
『……? 無関係なものか……! ワガハイの妻だぞ!!』
『昼間まではそうだったね』
またしてもオブライエンの懐から書類だ。こちらも王家の印がきっちり捺されている。
短い文言だね。読み上げよう。
メイリイ夫人の申し立てにより、バーンズ男爵との婚姻関係を解消する。
おやおや。これはびっくりだ。
補足すると、土地の返還は昨日の手続きで、離婚は本日の手続きだ。いささか陰謀めいた関連性が目立っているが、あくまで個々の手続きだから仕方ない。それらを繋ぎ合わせて裁くことは役人にも出来ないのだよ。
『婚姻関係解消……? 解消だと……? あの女狐め! 殺す!! 皮膚を剥いで八つ裂きにしてやる!!!』
怒りは弱いほうへと流れる。嫌なものだね、本当に。
メイリイ夫人がこの醜い叫びを聞かずに済んだのは、もちろんオブライエンの配慮だ。
そして――。
『バーンズさん。もう奥さんには指一本触れることも出来ないさ。これからはこの邸で過ごすんだからね。とりあえずは使用人として。……貴族の関係者に手出ししたらどうなるか分かってるよね?』
『……知らん。関係ない。殺してやる』
『バーンズさん。僕は魔術師だよ? この会話がここだけのものだなんて思わないほうがいい』
なんて鋭い脅しだろうね。実際オブライエンは会話の横流しまではしていなかったが、それをしている可能性はバーンズ卿も否定出来なかったろう。従士の視界を壁に映す芸当を見たばかりなのだからね。
バーンズ卿は俯いたきり、もう動けない。
『バーンズさん。あなたには靴磨きがお似合いだ』
これで決着だ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『変装魔術』→姿かたちを一時的に変える魔術。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




