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幕間9.「没落貴族の恋情」

 最初の一週間、オブライエンは外出ばかりだった。なにをしていたと思う?


 お勉強だ。皮肉な比喩ではない。言葉通り、彼は毎日図書館に行ったのだ。毎朝早起きしてね。


 いやはや、私とは大違いだ。久々に帰った故郷だと言うのに、私はなんとなく外出する気になれなくてね、家に(こも)りがちだった。父母はすでに亡くなっていたし恩義のある昔馴染みもいなかったから、街に用事なんてあろうはずもない。気が(とが)めることもなかったよ。


 さて、オブライエンのことだったね。私の知る限り、彼は熱心に取り組んでいた。偉大な論文を書くためには類似の研究を知る必要があるなんて言って、バーンズ卿も説得してしまったしね。表面上は真面目に過ごしているオブライエンを殊更(ことさら)咎めるのは体裁(ていさい)が悪かったのだろう。


 さあ、幕を開けよう。我々が首都ラガニアに到着した翌日の晩だ。




『この度はご招待感謝する、バーンズ卿』


『お前は堅苦しい男だな、ドゥネよ。同じ男爵ではないか。資産に差があれど、爵位の上では対等だ。楽に過ごすといい』


 舞台は二階の広間。こじんまりとはしているが、立派に飾り立てられた部屋だろう? 壁にかかった風景画。床には毛の長い赤絨毯。大きな張り出し窓からはラガニアの夜景が広がっている。


 恰幅(かっぷく)の良いバーンズ卿の向かいに腰かけているのは、没落貴族のドゥネ卿だ。かろうじて男爵の地位を保ってはいるが、領地から吸い上げる養分が少なく、こうも痩せ細ってしまったのだよ。不精髭もなければ眉も整えているし、身なりだって気を使っている……にもかかわらず浮浪者の印象が強いではないか。表情の暗さと頬の()げ具合だけが理由ではないと私は思うよ。この、不幸に全身を覆われた様相は、いわば不安や卑屈さが漏れ出ているからだろう。


 バーンズ卿と私が隣り合って座り、ドゥネ卿の左右をオブライエンとメイリイ夫人が挟んでいる。なんとも奇妙な位置取りだ。


『奥方のことは残念だったな』


『あれは……まあ……そういう生き物だったんでしょう』


 ドゥネ卿の卑屈な笑みは、見ているだけでなんだかゾッとするね。しかし気の毒な男なのだよ、実際。


 彼はつい二か月前に妻に逃げられたのだ。真の理由は私の知るところではないが、噂によるとドゥネ卿の落ちぶれ具合に嫌気がさして、使用人のひとりと駆け落ちしたのだそうだ。普通なら怒り狂って追手を仕向けそうなものだが、ドゥネ卿はなにもしなかったらしい。落胆はしたろうが復讐には(いた)らずというわけだ。いやはや。


『この二人は客人かね? 先ほどは名前だけ紹介に預かったが……』


『ああ、辺境からの客だ。なんだ、まあ、首都の進歩的な学問を得たいと言ってな。領地の有望株だと言うのでワガハイも喜んで受け入れてやったのだよ』


 バーンズ卿はすでに顔が赤い。少しワインを舐めただけだというのにね。


 しかし、大袈裟な紹介じゃないか。私にとっては別段文句のない説明だが、オブライエンはどうかな。これも普通なら不快に感じるところだろう。なにせバーンズ卿によって領地が危機に(さら)されているのだから、『有望株』だなんてのは皮肉以外の何物でもない。


 ところがだ。オブライエンの顔を見たまえよ。


『その節は感謝してるよ。僕の才能に賭けてくれるなんて、バーンズさんは優しいね』


 ははは……オブライエンは来賓(らいひん)がいようといまいとこの調子だ。口の()き方なんて知ったことではないのだよ。バーンズ卿もムッとしている。だが、少しだけだ。


『うむ、うむ』なんてすぐ得意気に頷いている。無邪気な賛美に簡単に騙されるんだから、バーンズ卿もおめでたい。


『学問か。専攻はなにかね?』


『魔術だよ、ドゥネさん。僕はこれまで誰もなしえなかった魔術理論を打ち立てたいんだ』


『は……そりゃいい。君の顔を見ていると、なんだか眩しくて目が潰れそうだ』


『目が潰れたら、僕が魔術で恢復(かいふく)させてあげるよ』


 ドゥネ卿は面食らってしまったね。いや、悪くない返しだよ本当に。


『どうだね。愉快な男だろう?』


『ああ、そうだな』


 鼻高々のバーンズ卿は、きっとメイリイ夫人の顔など少しも見ていなかったに違いない。ふと笑みを浮かべて、それから思い出したようにぎこちない貞淑(ていしゅく)の無表情を浮かべる彼女は、分かりやすいくらいオブライエンを気にしているね。


 ドゥネ卿の落ち着きのなさも、バーンズ卿は浅い解釈しかしていないだろう。同じ男爵でありながら富の違いを(うれ)いている哀れな男、とでも思ったに違いない。


 そら、その証拠にバーンズ卿はどこまでも得意だ。晩餐に招待したのも、自分より明らかに劣った相手を(さかな)にして酒を呑みたいだけのことなのだよ。そうしたバーンズ卿の腹の内を、ドゥネ卿は万事(ばんじ)心得て晩餐に臨んでいる。なぜ私がそれを知っているかって? 本人から打ち明けられたのだよ。だいぶ後になってからのことだがね。


 暴露してしまうと、ドゥネ卿はメイリイ夫人を想っているのだよ。彼が奥方に逃げられても大して悲嘆に暮れなかった理由はそれだ。馬鹿にされると分かっていてなお、晩餐の招待を受けたのも同じ理由。


 こうして考えると実に奇怪な食卓ではないか。ドゥネ卿は左隣のメイリイ夫人を想い、彼女はというとオブラエントと自分との(あいだ)に男一人分の(へだ)たりがある事実に安堵(あんど)(もだ)えを感じている。当の色男――オブライエンは平気で軽口を飛ばし、テーブルに彩りを添えている。そんな彼を鬱陶しく感じているバーンズ卿は杯のペースが速くなる一方で、ドゥネ卿への嫌味も鋭さを増していく。私かい? 私は、どうだろうね。


 白状すると、彼らの内心でとぐろを巻く思惑や感情など、これっぽっちも分からなかった。なんとも危ういバランスで保たれている雰囲気を眺めて、どこか居心地の良さを感じていたのは事実だ。すると、私もバーンズ卿となんら変わらぬ程度の白痴(はくち)ということになるね。いやはや。


 さて、緞帳(どんちょう)を降ろそう。




 オブライエンの存在はバーンズ卿にとって鼻持ちならないものだったろう。しかし、自分とドゥネとの人望の差を見せつける道具になっていたし、現に勉学に励む彼はどこに出しても恥ずかしくない青年だったろう。言葉遣いこそ軽いが、魔術の知識は膨大だ。それにふとしたところで気が利く。さすがのバーンズ卿も彼に怒鳴り散らすことは悪手だと(さと)ったのだろう、つまらない小言を漏らす程度だった。


 そうなると、災難なのは誰か。


 そう。メイリイ夫人だ。


 彼女が怒鳴られる回数は日に日に増していったように思う。重箱の(すみ)渾身(こんしん)の力でつつくバーンズ卿。叱られたメイリイ夫人はというと、本当に寂しそうに謝るのだよ。そうした表情や態度が、余計に神経を逆撫ですることを彼女は心得ていなかったのだろう。


 バーンズ卿もまた、ひとしきり怒りをぶちまけた後、メイリイ夫人の態度を見ていられなかったに違いない。段々と外出の頻度が多くなっていった。


 その一方でオブライエンは家に籠りがちになっていったよ。なんでも、図書館での勉強はもう充分らしい。家にいても勉強は出来るなんて言っていたね、確か。論文を書いている様子はあったし、私も深入りすることはなかった。


 大変お恥ずかしい話だが、そのときの私はオブライエンどころではなかった。先ほどお見せした小規模な晩餐会はその後もたびたび開かれたのだが、ドゥネ卿が決まって連れてくる従者――可憐な少女に恋をしてしまったからね。


 さて、いくつかの恋が出揃った。


 ドゥネ卿からメイリイ夫人への恋。


 夫人からオブライエンへの恋。


 私から、ドゥネ卿の従者への恋。


 どの恋が成就(じょうじゅ)すると思う?


 全部だ。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』

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