幕間8.「首都と奥方」
草木の乏しい山岳地帯。雲海の絨毯。明星に照らされた荒野。煉瓦造りの飲食店が並ぶ通り。運河沿いにどこまでも続く賑々しいマーケット。
さて、早回しでご覧いただいたのはラガニア国の首都――ラガニアまでの道中の断片だ。二週間のゆったりした馬車旅をぎゅっと数分に圧縮したわけだが、さぞかし目まぐるしい光景だったろうと思う。麗しい小鳥の鳴き声が降り注ぐ森に入ったかと思えば、時間の波に削られた天然自然のアーケードを潜っているのだからね。そうかと思えば、小綺麗な食堂で肉の塊を切る仏頂面の紳士が映ったりするのだから、さぞや落ち着かない気分になったことだろう。本当なら道中の一切を割愛なしにお見せすべきとは思うが、いかんせん無駄が過ぎる。それに、諸君らに二度目の人生を味わわせるつもりはないのだよ、私は。
さて、今諸君らの目にしているのは旅の終わりだ。どうだね。馬車に揺られるバーンズ卿のしかめ面にも、どこか弾んだところがないだろうか。
『約束を忘れるなよ、小僧』
はは。まただ。バーンズ卿が道中、何度念押ししたことか。心配性にもほどがある。
すでにお伝えの通り、辺境の双子の片割れ――オブライエンは首都ラガニアで五千枚の金貨を稼ぐと宣言し、家庭教師ラルフこと私も同道することになったのだ。出発前にひと悶着あったがね、結局は私の身柄もバーンズ卿に押さえられてしまったかたちだ。
当然、双子の兄であるスタインは留守番している。故郷の町をたったひとり――ではないな。母や使用人たちとともに守ることとなったのだ。なんだか皮肉だね。スタインは幼い頃からラガニアへ行くことを夢見ていたのだから。そのために私の授業をキチンと受けていたのだ。青年になってからは大っぴらに口に出すことはなくなったが、それでも淡い憧れは消えてはいなかっただろう。しかし彼は少しの嫉妬も見せなかったよ。
立派だと思うかね。
それは違う。大いなる誤りだ。
スタインはオブライエンとともに旅立っていたのだよ。グレキランスを出発するその日の朝には、オブライエンの片目には兄が宿り、片耳は兄に明け渡していた――というと少し比喩的に聴こえるかもしれんが、いやいや、言葉通りなのだよ。
共有魔術。感覚共有と言ったりもするね。その名の通り、離れていても感覚を共にする魔術だ。親しい相手であればあるほど、魔術的結びつきは強いという。いやはや、素晴らしい兄弟愛だよ。なにせ途方もない距離をゼロにしてみせたのだから。……といっても、私がオブライエンの共有魔術を知ったのはずっと後になってからだったが。
おや、馬車が止まったね。バーンズ卿の邸宅に到着だ。
面積こそウェルチ氏の邸に劣っているが、高さは比じゃないね。三階建てで、グルニエまである。白の壁に黒の梁が走っていて、なんともメリハリの利いた雰囲気を醸しているね。教会風の豪邸というわけだ。この時代の小金持ちはこぞって『教会風』をもてはやしたものだ。ははは……。
さあ、振り返ろう。どうだね、この光景は。中央の平地に巨大な城が建っていて、それを囲うように、なだらかな窪地に街が広がっている。城が全方位を見守り、また、ぐるりの街が城に祈りを捧げているようだ。
城に住まうのは言うまでもなく王族である。もう何代になるかな……はっきりとはしないが、遥か昔より、ひとつの血を絶やすことなく続いてきた王家だ。首都ラガニアの精神的支柱であり、あらゆる物事に対して比類なき権力を持つ。しかしながら、これまで加虐的・破滅的な支配はただの一度も行われなかった。市井の尊崇を一身に浴び、高貴であることの真の役割を心得ていたからだろう。
……いささか持ち上げすぎている感があるのはご容赦いただきたい。私も首都ラガニアの人間で、王家は絶対的な崇拝対象なのだよ。魔術学校の教授連や脳味噌の代わりに欲望を詰め込んだ貴族どもは反吐が出るほど嫌いだがね。
『オブライエン。いい加減貴様の考えている計画とやらを言え』
さて、五千枚の金貨をいかにして手に入れるか。問題はそれだ――とバーンズ卿は思っていたようだね。いやはや、彼のオツムもなかなかどうして高貴だよ。
『まずは魔術理論の発表からはじめるよ。僕の理論が優れているのは先生も認めてくれたしね……』
『はん! どうでもいいからさっさと結果を出せ。いいか小僧。世の中でもっとも価値を持つのは数字だ』
『分かってるよ、バーンズさん』
『何度言えば貴様は口の利き方を直すのだ! 折檻だ折檻! 鞭を持ってこい!』
『まあまあ、落ち着いてくださいバーンズ卿。オブライエンには私が言って聞かせますから。それに、鞭打ちに時間を使うのはもったいないと思いませんか? 金貨五千枚を稼ぎ出す期間はたった一年です。今のオブライエンには一秒だって惜しい。バーンズ卿、貴方としても実入りを優先すべきではありませんか?』
『チッ……確かにラルフ君の言う通りだ。オブライエン、貴様も師匠の態度を見倣え!』
ははは……なんだか苦笑してしまうね。道中、私はバーンズ卿に媚びを売り続けたんだ。これからの一年間はラガニアで彼の厄介になるんだからね。金を生むと宣言したオブライエンと違って、一介の家庭教師である私はどんな扱いを受けるか分かったものじゃない。あまり好ましい言葉ではないが、バーンズ卿のご機嫌を取るのは私なりの生存戦略だったわけだ。
まあ、徒労だね。なにせオブライエンは一ヶ月もかからず目的を達成したのだから。
『メイリイ! メイリイはいるか!!』
おや、バーンズ卿が奥さんを呼んでいるね。ろくに合図もせずにずんずん邸に入っていくじゃないか。付いてこいということさ。大人しく従おう。オブライエンと肩を竦め合ってからね。
『メイリイ! メイリイ!』
さてさて、なかなか奥さんは姿を見せないね。せっかく威厳たっぷりなところを見せつけたかったというのに、バーンズ卿の思い通りにはいかないようだ。
『は、はい……今行きます』
『メイリイ! どこだメイリイ!』
『ここにいます、すぐに行きますから……!』
どうだい、蚊の鳴くような女の声が聴こえたかね? そして慌ただしい足音が近づくのが分かるかね。
そら、エントランス中央の螺旋階段にご注目。二階から、いかにも地味な顔の女が降りてくる。貴族の夫人とは思えないほど幸の薄い雰囲気だ。たっぷりとレースで飾られたブルーのワンピースが、なんとも似合わない。
『メイリイ! 何度呼んだら返事をするのだ! 仮にも男爵の妻だろうが! 自覚を持って過ごせ!』
『ごめんなさい、ごめんなさい』
『簡単に頭を下げるな馬鹿者!!』
バーンズ卿はカンカンだ。おおかた、彼の脳内には妻を華麗に紹介するイメージでもあったんだろう。それが等身大の奥方――メイリイ夫人とかけ離れているんだから呆れて物も言えない。
『バーンズ卿、そちらは奥様ですか?』
『そうだ、ラルフ君。ワガハイの妻メイリイだ。……メイリイ。この二人は辺境からの客人だ。向こう一年、この邸で過ごすことになる』
『それはそれは……よろしくお願いしますね。メイリイと申します』
夫を気にしながらの、なんともギクシャクした挨拶だね。気の毒になってくるよ。
そんな夫人に跪いて手を差し出したオブライエンを、諸君らは軽率だと思うかね?
『よろしく、メイリイさん。僕はオブライエン。魔術師の卵です』
『軽率に手を取るな馬鹿者! 恥を知れ!』
ははは……ご立腹だ。バーンズ卿としてはムシャクシャするだろう。妻の目がオブライエンを捉えて明らかに輝いたのだから。
さて、幕を下ろそう。
暗闇で少し聴いてくれたまえ。
バーンズ卿にとって家庭とは、『貴族の』が枕詞になる虚飾でしかなかった。しかしメイリイ夫人はどこまでも凡人である。小金持ちの家で育った裕福な娘だが、精神性は村娘となんら変わりない。だからこそバーンズ卿は常に苛立っていたし、家を開けてばかりいる。
この後、家庭は変貌を遂げる。それがバーンズ卿にとって幸せだったかどうかは私の知るところではない。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




