幕間7.「バーンズ男爵」
ジュリアの麗しい心遣いを見たところで終わり……とはならない。この日は別の訪問者もいたのだ。決して望まぬ不幸の使者が。
そら、来るぞ。町外れから馬車に乗ってやってくる。じきに石畳を打つ蹄の音がする。
馬車は門前で止まり、まず降りてきたのは武装した男どもだ。総勢五人。その後で、ウェルチ氏よりも大柄で恰幅のいい、底意地の悪そうな壮年紳士が降りてきたろう?
少し場面を飛ばそう。メイドに呼ばれた私が、応接間で例の紳士と対面する場面までだ。その場には未亡人となった奥様と、そしてスタインがいる。ウェルチ氏亡き後、この町を取り仕切る者は双子の兄を置いてほかにはいないからね。いささか性急ではあるが重要な場面に居合わせるのは不思議ではない。
『家庭教師風情がこの場に顔を並べるなど、無礼千万』
私がソファの隅に腰を下ろすや否やの言葉だ。足を組んで、露骨にこちらを見下す紳士の顔を見たまえ。権力欲が貼りついているね。
『ラルフさんはわたしたちの家族同然のお方です。こんな大事なお話をラルフさん抜きですることは出来ません……』
奥様の声を聞くのははじめてだったかな、諸君は。どうだね、なんとも弱々しいだろう。ウェルチ氏が亡くなったからではなく、もともとこの調子なのだ。失礼だが町を取り仕切る器ではない。ゆえにスタインがやはり重要となる。
『家族ぅ? はぁ……家族ねえ。あぁ、そう。ワガハイはバーンズ。爵位は男爵。ラガニアの首都で魔術師をしていたそうじゃないか、君は。ええと、アレフ君だったかね』
『ラルフです』
『あぁ、そう。……爵位持ちと言えば意味は通じるだろう? 土人と違って』
『ええ』
ラガニアにおいて、貴族階級は生まれながらに優遇されている。男爵はもっとも低位の爵位だが貴族であることには変わりない。そして爵位を持っていれば、村や町を統治する権利を有している。
とはいえ、すでに為政者のいる土地に割って入るような無粋を住民が許すはずもない。したがって基本的には表には出ず、土地の所有権だけを得て実際の統治は村長や町長に任せるのがほとんどだ。貴族なんぞ、見栄えのいい名目にしか興味がないのだから。
辺境とはいえ、グレキランスもラガニアの領地である。貴族が土地の所有者となっているのも自然な話だ。
『この度は町長が亡くなったとのことで、冥福を祈りにやってきた次第だ』
『ご足労、痛み入ります』
『うむ、うむ。アラフ君はマナーを弁えている』
『どうも……』
『さ、本題だ。すでに亡き町長の奥方とご令息には話をしているが、改めて……。この土地はいささか問題になっていてな、男爵の名のもとに直接統治することになった。といっても、ワガハイがここに常駐するにはいかぬ。君らには想像もおよばぬだろうが、なにかと忙しい身でな。そんなわけでワガハイの部下を町に置く』
統治だなどと笑わせる。見たまえ、口元に光る涎を。
『それで、これまでとは違って少々シビアなやり方を取らねばならない。具体的には、首都に納める作物を三倍にするのだ』
おっと、スタインが机を拳で叩いてしまったね。少し宥めよう。どうどう……。
『落ち着け、スタイン。……バーンズ卿。三倍もの作物を納めるのは不可能です。農地は広大ですが人手が足りておりませんゆえ、農夫はこれまで納めてきた量で手一杯でしょう』
『年間の収穫量と町民の総数、および世帯当たりの食糧の備蓄を出せ。十年分の数字でよかろう。収穫量と備蓄は品目ごとに出したまえよ』
あろうはずがない。ウェルチ氏がペンを取る姿など、これまで一度も目にしたことがないのだから。
『ないのなら、アルフ君の言う不可能という主張も数的根拠のない妄言としかならんのだよ。ワガハイも締め付けたくて締め付けるわけではない。首都および近郊の食糧不足を嘆いてのことだ。それに、あー、亡き町長はご病気だったそうじゃないか』
『ええ。二週間前に病死しましたが、それがなにか?』
『そのときの薬代はツケだったようだね? それが巡り巡ってワガハイの首を絞めているのだよ。君らは知らんだろうが、首都の医師は別の男爵のお抱えでね。このままだとこの土地……なんだったかな……そう、グレキランスだ。グレキランスをそやつに渡さねばならなくなる。そうなれば、もっと厳しい統治が待っているだろうな』
たかが薬代で土地の譲渡になるわけがない。が、薬代を貸しにしていたのは事実だ。
どうすればこの性悪な貴族を穏便に撤退させることが出来るか、私は必死で頭を悩ましていたよ。ひと晩歓待して、宥めすかして、どうにか二倍程度の食糧献上で落ち着いてくれないかとも思ったが、徒労に終わる気配もあった。
そうこうしているうちに、だ。
『薬代はいくらだ! 言ってみろ!!』
『なんだね、この失礼な態度は。アラク君、ちゃんと家庭教師として教育しているのかね? 仮にも町長のご令息だろう?』
『スタイン、落ち着いて』
『母さんは黙っててくれ』
残念。もはや懐柔は困難だろう。この手の輩は一度受けた無礼を生涯忘れないのだ。
『教えてやろう、土から生まれた子供よ。薬は朝夕に三錠ずつ渡していたな? それが一年と十日続いた。錠剤はひとつで金貨一枚。つまり、金貨二千二百枚だ。ちなみに君ら土人の作った芋は、市場では五つで銅貨一枚。金貨二千二百枚だと一億一千個必要になるが、そんな量誰も欲しがらんだろうな』
『適当なことを言うな!!!』
『アルク君。このやかましいご令息は数学を学んでいないのかね?』
スタインが叫んだのは計算のおかしさなんぞではなく、錠剤ひとつで金貨一枚という点だろう。
確かに高すぎる。が、高すぎる薬が首都に出回っているのもまた事実なのだ。バーンズ卿の言葉はあながち嘘とも言えない。
『バーンズ卿』
景色がぐらついてしまって申し訳ない。しかしながら、ここで場面をスキップするわけにもいかんのだ。どうか、この狭苦しい土下座の視界を耐えていただきたい。
『この地にこれ以上の苦役を課すのはどうか……どうか、ご容赦ください』
『顔を上げたまえ。君の土下座になんの価値があるというのか』
私が本当に顔を上げたことに驚いてはいけない。なに、そこまで失礼ではないよ、私は。
バーンズ卿が理由ではなく、今しがたのノックの音で顔を上げたのだ。そら、扉を見よ。
『なんだ、貴様。みすぼらしい格好だな……何者だ!』
戸口に立つオブライエンは、なかなかどうしてひどい身なりだね。先ほど窓から見下ろしたときには気付かなかっただろうが、すっかり骨と皮みたいに痩せてしまっているだろう? 服は雨風にさらされてボロボロだし、髪だって麗しさの欠片もない。
だが、肝心なのは瞳だ。緋色の目に宿る薄暗い輝きが諸君にも分かるかね。
突然の闖入者をバーンズ卿が許すわけもない。そら、部下が剣を抜いたろう。なかなかスムーズな身のこなしだが、相手が悪かったようだ。
『!?』
見事に剣が吹き飛んだね。天井に刺さってしまったよ。むろん、彼が魔術で弾いたのだ。
『全部、話は聞いたよ。……パパの町を、お前らの好きになんてさせない』
いささか幽霊じみた掠れ声だが、なかなかに迫力があるね。風体とマッチしているからだろう。
『何者だ、貴様……!』
『オブライエン。町長の息子だよ』
『はん……! 息子二人か。どうしようもない乱暴者に、不潔な異常者か。いいかバカ息子ども。文句があるなら――』
いやはや、見事な手つきだね。さすがオブライエン。あっという間にバーンズ卿の首に触れてしまった。
『動いたら、魔術で爆発させるから』
脅し文句にも説得力がある。なにしろ、先ほど剣を弾き飛ばしたのは間違いないのだから。
『貴様! 男爵を放せ! 卑怯者め!』
『うるさい。首を飛ばすよ』
『ぐっ……』
こうなったら、バーンズ卿もお付きの兵士も手出し出来ない。
『オブライエンと言ったな。貴様、貴族に手出しをしたらどうなるか分かっているのか』
『さあ、知らない』
このままオブライエンの好きにさせるのも一興だろうが、あいにくこの瞬間の私にそんな余裕はなかった。
『オブライエン。手を放してやってくれ』
『ラルフ先生……なんで?』
『解決にならないからだ』
『じゃあ、どうやったら解決になるのさ』
恐ろしい目付きだね。家庭教師に向ける目じゃない。仇を見る目だ。
しかしすぐに目付きは変わる。理知的なそれへと。
『そっか……金貨だったね。じゃあこうしよう。僕が金貨を稼ぐよ』
『貴様が? はっ! 馬鹿にするな。たかが小僧に金貨二千二百枚も稼げてたまるものか!』
『五千枚稼ぐよ』
『……は?』
『金貨五千枚。それで僕が、この土地を買う。それでいいかい?』
馬鹿げてると思うだろう? 一生かかってもそれだけの財産を作り上げるなんて普通は出来ないものだ。
ただ、諸君らも把握しているかもしれないが、オブライエンは普通ではない。そしてこのときの私も、彼の異常性に賭けるほかなかった。
この後、私はバーンズ卿にオブライエンの天才性を懇切丁寧に、熱を籠めて説明したのだよ。長いので割愛するがね。
結果的に私とオブライエンはバーンズ卿とともに、ラガニア国の首都である『ラガニア』へ赴くこととなった。
金貨五千枚を稼ぐ期間は一年。期日を過ぎた場合には約束通り三倍の食糧を未来永劫首都へ納める契約で。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




